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 *** 「聖一様、面接希望者から履歴書が送られて来ましたが、ご覧になりますか?」 「いいよ。いつもみたいに小林がやっといて」 「かしこまりました」  一礼してから下がろうとすると、「ちょっと待って」と呼び止められ、どうしたのかと足を止めれば、少し考える素振りをしてから「どう思った?」と、聞いてきた。 「なんの話でしょうか?」 「貴司とホテルに泊まった日に、会社の話をしたって言ったよね。小林は、また俺が無理やり言う事聞かせようとしたって思ってる?」 「いえ、そのような事は……」  プライベートな話をされた記憶は正直殆ど無いから、内心少し戸惑いながらも小林はそう言葉を返す。 「いいよ、思った事言って」 「では……多少は思いました」  次の日迎えに呼ばれて行くと、立っているのも覚束ない程フラフラしている貴司の手首にクッキリと痕が残っていた。  胸がキシリと痛んだけれど、笑みを浮かべる貴司の姿にもしかしたら合意なのかもしれないと思う事にした。 「そう」  あれから三週間が過ぎ……貴司の姿は全く見ないが、聖一自体に特段変わった所は無いと思っていたから、上手く続いているのだろうと思っていたが違うのだろうか?  ――首を突っ込むのは野暮だが……。 「あまり……手酷くされない方が良いと私は思います」  思案の途中、小林の口からスルリと本音が零れてしまう。その言葉に、目の前に座る聖一が、目を丸くしてこちらを見た。  あと3日で退職だから、最後まで気を引き締めなければならないと思っていたのに、つい口にしてしまった苦言に内心酷く動揺する。 「失言でした。忘れて下さい」  深々と頭を下げ、退席しようと後ろを向くと、ククッと喉で笑う音がしてまた「待て」と呼び止められた。 「いいよ、気にしないで。小林がそんなこと言うとは思わなかったから、驚いただけで怒ってない。本当の事だしね。空気みたいに自然だったから、あんまり思わなかったけど……一番長く一緒にいたんだ。小林がそう言うなら、酷くしないようにするよ。それで小林……最後に俺から頼みがあるんだけど」 「はい。どういったご用件でしょうか?」  そんな言葉をかけられるとは夢にも思っていなかったから、年甲斐もなく鼓動が高鳴るが、最後にきて失態ばかりは演じられないと思い直し、身体を(あるじ)の方へ向けると、いつものように問いかける。 「兄の会社を退職したら、俺の会社で働いて欲しい」 「は?」 「まだ退役(たいえき)するには早いだろ ?正直、お前がいないと困る。分かった?」 「は、はい」  口の片端を器用に上げ、愉しそうに浮かべた笑みが悪戯っ子のように見え……呆気に取られて思わず返事をしてしまった小林だが、我に返って再度問おうと口を開きかけたその途端、「二言はないね」と告げてくるから、何も言えなくなってしまった。 「……微力を、尽くします」  こうなれば、何を言っても無駄な事は、長い付き合いで分かっているし、何よりこんな年寄りが……まだ必要とされている事が、正直とても有難かった。 「俺が小林の事、人間みたいになったって言ったら、貴司もそう思ったって。小林が悲しそうな顔してたって言うから、何かの間違いだろうって思ったんだけど、いなくなってもいいのかって聞かれて、色々と考えた。貴司以外の人のこと、こんなに考えたの初めてだよ」  ――やはり、聖一様は変わられた。 「ここまで俺に言わせたんだから、死ぬまで働く覚悟しなよ」 「はい、出来る限り、お供します」  これ以上話をしていたら、涙が零れそうだったから、「行って良いよ」と聖一に言われ小林はホッと息を吐いた。 「失礼いたしました」  社長室を後にする。現状一つのフロアしかなく、少人数の会社だが、すぐに大きくなるだろう。  ――まだまだ……想い出に浸るには早い。あと、もう少し。  手に持っている履歴書に貼られた写真を見ながら薄く微笑み、背筋をピンと伸ばした小林は、表情を変える事なく、いつものように歩きはじめた。 おしまい

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