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第1話

真っ黒い軍用宇宙船の巨大な影が、重く低いエンジン音を暗い街に響かせながら、頭上に高くそびえるビル間の夜空をゆっくりと横切っていくのが見えた。市境にある宙港を飛び立った所なのだろう。太った船の腹の中には、前線へ向かう兵隊が沢山詰め込まれているに違いない。 中空に架けられたレールの上を最終便らしいリニアカーが静かに滑っていく――その下の道路を、監視カメラを積んだ無人のパトロールカーが走り抜け、赤色灯が一瞬、暗い路地裏を奥まで照らし出した。それに驚いたのか、地面に散乱するごみくずの間からネズミが一匹逃げ去っていった。 「ノア――」 その路地裏に置かれたゴミ回収用のコンテナの陰に身を潜めるようにして立ち、逃げたネズミを見送っていたノアは、いきなり名を呼ばれてびくりと体を震わせた。 「ノア、こんなとこにいた」 声をかけてきたのは同じ男娼仲間のキオだった。振り返ってほっとしたノアに、キオは心配げに言った。 「こんな人の来ない裏道じゃあ……お客捕まえられないよ」 「わかってる――」 ノアは小さな声で答えた。 「おっかないのはわかるけど……」 キオが顔を曇らせる。 「ノア、今週全然稼いでないだろ、このままじゃまずいよ――あ、これ。取っといたんだ」 キオは懐に手を入れ、平たいパッケージを取り出した。薄いパンが入っている。 「お腹すいてるだろうと思ったから……食べて。少なくて悪いけど」 「キオ――」 ノアの声がわずかに震えた。キオにとっても食料は貴重だ。男娼達は、働きに応じて支給される食糧配給券と引き換えに食べ物を手に入れるのだが、自分が生きていくギリギリの分を稼ぐのがやっとで、本当は他人に分け与える余裕などない。 受け取れない、ノアはそう思ったが、空腹感は限界に達している。我慢できず、キオが差し出すパンを受け取った。 「ありがとう――ごめん」 情けなくて俯いた。 ――ノアは先月、タチの悪い客をとってしまい、知らない場所に連れ込まれて数日間監禁され、その間乱暴な行為を受け続けたのだった。 ようやく相手の気がすんで開放された時には身も心も傷つき、働ける程度に回復するまでに何日かかかってしまった。さらにその客がノアを買った時に支払いをしたクレジットカードが偽造品で、代金の回収すらもできなかった――今月の収入からはその治療費も差し引くと飼い主から釘を刺されている。だから普段よりも多く稼がねばならないのだが――しかしノアは、再び客を取るのがどうしても恐ろしい。 体の傷は回復しているし、あんな悪質な客はめったにいない――ノアのような男娼相手であっても、過度な虐待は一応法で禁じられている。あれは運が悪かっただけだ、そう自分に言い聞かせても、夜、仕事時間がやってくると――ついこうして逃げ隠れてしまう。 しかし、客をとらなければ生きていけない。他の仕事に就くことは許されない――ノアやキオ達男娼の身体には、隠せない目印がついている。動物の猫と同じ形の耳と尾。彼らは工場で培養によって作られる、人造生命体だった。

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