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沢木からの手紙-はなむけの言葉-

――― 植野へ 高いホテルにレターセットがあるというのは本当なんだな。せっかくだから、きみに手紙を書く。 先にひとりで帰ることにしてすまない。「楽しい卒業旅行が台無しではないか」と、きみは怒るだろう。許してほしい。 ゆうべ、きみとふたりで初めて寝た。 あの瞬間まで、僕は自分が、きみをそんな対象で見ているとはわからなかった。自覚していれば、きみを泊まりがけの旅行には誘わなかった。 きみにふれて、僕は不安になった。 僕の求めに、怯えつつもきみは応じた。「眠くなったからやめよう」と僕が嘘をつかなかったら……きみと僕は、もう友達には戻れなくなっていただろう。 まったく。このままだと、東京でいろんな奴に食われるぞ。女にも。男にも。 僕はきみの寝顔を見ながら、一晩考えた。 きみにはお守りが必要だ。 大学の入学祝いにお揃いで買った数量限定モデルの腕時計。 シリアルナンバーを確認してくれ。ひとつずれているだろ? きみのと僕のを取り替えた。 僕の腕時計を東京まで持っていってくれ。 きみが「あのお姉さん、かわいいなあ」、「このお兄さん、素敵だなあ」と流されそうになったら、腕時計がきみの左手首を締めつけて警告する。 「もっと自分を大事にしろよ」と。 これが、きみへのはなむけの言葉だ。 昼になると学生食堂の人波に気後れしていつもコンビニに走っていたきみが、人、人、人の東京でやっていけるんだろうか。 まあ、僕が心配しても仕方がない。決めたのはきみだ。 新人賞を獲ったのだから、きみの夢は絵空事ではない。数ヶ月後には出版されるんだから、きみはもう立派な作家だ。 植野。 もし東京の空気が合わなかったら。 いっしょにワインを造ろう。 きみの身体に指を滑らせたとき、ワインの名前が浮かんだ。 僕は甘い余韻が残る酒を作りたい。ワインができたら、きみに贈る。その頃には腕時計を交換しよう。 その日まで、僕だと思って離さないでくれ。 沢木真昼 ――― 私は腕時計の文字盤に唇を落とした。沢木と別れてからついた癖だ。 彼の手紙にあったスマホの番号に、私は電話をかけた。

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