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#1
右手で紺色のランドセルを背負った男の子の手を引き、左手で傘を持ち正面からゆっくりと歩く男性。
どこかで見かけたことのある顔だと、頭の中がグルグル回る感覚を覚えながら、首を傾げる。
師弟で写真展を開くこの街に来た時から、頭の中が、まるでパソコンの検索待ちの時に出てくるマークのようになっていたのが、一層ひどくなる。
すれ違う一瞬、男性の顔を横目で見て、時が止まった気がした。雨音も、車が水を跳ねる音も、クラクションも、何もかも消えた。
毛先が内側に巻いているミルクティーブラウンの髪、はっきりとした二重、紙を丸めたように笑う不器用な笑顔。
元恋人――藤埜一志 から、金縛りにあったかのように、視線を外せなかった。
「カズ……」
思わず口からこぼれた愛称。
コンビニのビニール袋を落としかけ、ハッと意識が現実世界に引き戻される。
彼の父親の店があった町だと思い出し、一つため息を吐く。そう言えば、駅から徒歩10分の所にある古民家を知人に紹介され、一目で気に入り決定したのは、師匠だった。
(何、感傷的になってるのだろうか。らしくない)
表情は柔らかく、くしゃりとした笑みを浮かべながら、腰をかがめて話を聞きながら、歩いている。
最後に会ったのは、大学生の時だったとはいえ、だいぶ顔つきが違う。
(夢、叶ったんだな)
何も緊張しなくていい。どうせ忘れられているのだから。
すれ違いざま、子どもの手を離し、温かい手が上砂音和 の手首を握りつぶすくらい強くつかまれた。
「やっと見つけた。探したよ、おと」
顔を耳に近づけられ、しみじみと呟かれた言葉に、あの時の選択は正しかったのだろうかと悩んで迷っていた日々が、報われた気がした。
「……お幸せに」
冷たい雨は容赦なく体温を奪う。震えた唇を動かし、かすれた声でそう言った。
「これ、俺の連絡先ね。おとの連絡先は教えてもらった」
ポケットに紙切れを突っ込む藤埜の様子まで気が回らず、「誰に?」と、見開いた目で訴えかける。
「誰でもいいだろ? それよりも、いつ会える?」
「忙しい。俺を構っている暇があるなら、家族サービスしろよ」
男性二人に挟まれた息子が、上目遣いで右に左に視線を動かし、状況を把握している。
「そうだよね。写真展、本当におめでとう。後で見に行くよ」
なぜ知っているのかいぶかしな顔で「ありがとう」と言うと、店にビラを置いて、お客様に勧めているからと自慢げな答えが返ってきた。
「なあ、おと。俺には……お前だけだ」
髪を撫でられ、長い指先で玩ばれる。
涙がこぼれそうなほど嬉しい言葉だけれども、どの口が寝言をほざいてやがる。2年前、ピンチヒッターで呼ばれた師匠のアシスタントをしたときに、奥さんと息子がいたじゃないか。コンビニの袋を握る手に力がこもり、くしゃりと音を立てて、しわくちゃになっていくそれをぼうっと見る。
「からかうのもいい加減にしろよ! 二度と顔を見せるな!」
再会した嬉しさと、身勝手な言葉に激昂して、声を荒らげた。彼の息子がいる前で。
振り返る通行人と、怯える息子の姿を見て、手を振り払う。
何もかも忘れようと、傘を閉じ、雨の中、写真展を開催している古民家に走った。
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