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#2
「パシリ、タオル。主役が風邪ひいたら、失格だろうが」
タオルを放り投げられ受け取る。突き放す口調裏腹、師匠が心底心配しているとわかる。
「すみません」
「ったく、何かあったか?」
コンビニスイーツを一瞥してから取り出し、暖房の温度を上げている。
「昔の恋人にばったり会ってしまって。色々思い出して……」
食べ損ねた朝食を食べようと、おにぎりのフィルムを向きながら、空腹なはずなのに空腹ではない腹に、無理やり入れる。
「らしくねえな。着替えてから来い」
藤埜と別れて、依頼以外ポートレート撮影しなくなった。
あの頃は彼を撮りたい、不確かな記憶ではなく記録媒体に一瞬まで閉じ込めたいという強く激しい思いが自分を突き動かしていた。
「わかってます」
師弟で写真展を開く機会に恵まれたのだから、と目をつむって気持ちを切り替える。
3年かけて、高校2年の秋に、弟子を持たない主義の師匠を口説き落とした。決定打になったのは、藤埜を撮った写真だった。「いい表情だ」と初めて褒められた勢いで、「もっとあなたのもとで勉強したいです。弟子にしてください」と言った。それ以降、パシリと呼ばれながら、貪欲にカメラの技術などを学んできたのだ。
§
「いらっしゃい」
SNSと協力店にビラを置かせてもらう程度の宣伝にもかかわらず、夕方になるとまずまずの混み具合に、目を細める。
ドライマウント加工をし展示した写真を説明したり、購入希望者の対応をしたりしていると、はしゃいだ子どもの声が聞こえる。
「あっ、パパ。パパがいるよ」
最後に会った夏祭りの日の写真と藤埜が音和を撮ったのを目いっぱい腕を伸ばし、指差している。今までの写真展には一切公開しておらず、売り物ではないポートレートの1つだ。
ねむい(コントラストが弱い)写真や手ブレを省き、何千何万枚から、悩みに悩んで数枚を選んだのだ。
「好きな映画を見ているときに、はしゃいでいる人がいたら、どう思うかな?」
自分にとっても、藤埜にとっても、なつかしくて悲しい思い出だった。
「いや」
「そうだよね。だから、静かに見ようね」
藤埜が息子の肩に手を置き、諭している。彼があこがれていた光景だろう。筆記体のローマ字を指差しながら、「これなんて書いてあるの?」と訊いている、幸せな光景だった。
心の奥底から突き上げてくる強烈な衝動。空虚な心が満たされ、泣きそうになる。
気付いたら夢中でシャッターを切っていた。
「sand sound って読むんだよ。パパが大学生の時の写真で、とっても腕がいい写真家の名前だよ」
昔を思い出しているのか、甘酸っぱい表情で食い入るように見つめる。
師匠がパシリにも名前を……ということで、名前と英語の発音とスペルが似た単語を使用し、しゃれた名前をつけてくれたのだ。
「おと。本当におめでとう」
人目もはばからず、音和をひしと抱き締める。嗅ぎ慣れた匂いが鼻孔をくすぐる。記憶と共に、忘れようとした想いがよみがえってくる。
やっぱり、カズが好きだ。
「ありがとう。ゆっくり見ていって」
声が湿らないようにさらりと言うのが、精一杯だった。
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