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#3
「お疲れさん、明日は最終日だから、しゃんとしろよ」
師匠は、ずり落ちてくる眼鏡を指の腹で押し上げる。
「はい」
会場近くの自販機でホットコーヒーを買おうと硬貨を入れ、視界が涙でにじむ。
『奢り合うと、よりおいしく感じられるんだぜ』
感傷に浸っていると、ボタンを押す音が聞こえ、缶が落下する鈍い音が聞こえた。
「おとは?」
「ミルクティー」
ボタン押せよ、と言われその通りにする。
「息子さんは?」
「預けてきた。おとと話がしたくて」
手首を握られ、少しかがんで視線を合わせてくる。約10センチ高い彼と目を合わせる羽目になる。
「話すことは何もない! 明日も仕事があるんだから、離せよ」
何事かと通行人が見てくる。
これ以上音和の心をかき乱して、平穏な生活をぶっ壊してまで何を話したいのだろうか。
「話すまで帰らない」
「帰れってんだろ!」
すうっと藤埜の表情がなくなっていった。なまじ顔が整っているだけに、背筋が寒くなるような威圧感を覚える。
「泊まってる部屋どこ?」
「知らねーよ」
「なら、俺んちに来るか?」
「おたんちん。俺の部屋来い、渡し忘れたものがあるから」
「ありがとう」
気持ち悪いほどの笑みに、はめられたと内心舌打ちをした。
ビジホの一室に押し込まれた。ドアが閉まるか閉まらないかのタイミングで、ドアに押し付けられ、背中がひんやりとする。
喋ろうと開けた唇に、何度も柔らかい感触が伝わってきて、あの頃のクセで身体の力を抜く。そうすると、いい子だねと言うみたいに何度も黒髪を撫でられながら、舌で口内を愛撫される。
彼のキスは巧みで、息が上がってくる。久しぶり過ぎて、息継ぎってどうしたらいいんだろう。苦しいと服を引っ張ると、顔を離される。
「行こう」
行先は一つ、ベッドだ。彼の指を握る。足がもつれ、何度も転びかける。そのたびに、身体を支えてくれるたくましい腕。ぼうっとした意識の中、何度も何度も心の中で奥さんに謝った。
「痛いって、やめろっ」
「やめろ? 何、これ」
互いに服を脱がし合いながら、愛撫をする。執拗に、存在を刻むような愛撫。服で隠れる部分に執拗に痕をつけていく。まるで、自分の存在を忘れないように。
身勝手なのはお互い様だろうと、心の中でなじった。
乳首に吸い付かれ、きざし始めた自身を撫でられ、婀娜めいた声が漏れる。彼の頭をかき抱く。
「いい声。キツイな」
別れてから、誰とも関係を持っていなかった窄まりは簡単にはほころばず、時間をかけて丁寧に開花させていく。
異物感が半端なかっただけなのに、今じゃ彼の指の動きに合わせて腰を揺れ動かしている始末だ。水音と荒い息遣いに煽られて、もっともっとと欲しくなる気持ち裏腹、むなしさが積もる。
「あっ……ンッあああっ。乳首、やめっ、」
なぶられた乳首は赤くはれ、息がかかるだけで、鼻にかかった声を漏らすほど敏感になってしまった。服を着たら目立つだろう。
背筋を走る快楽に背筋を反らし、こらえきれず声を漏らす。
「中、キュウって締まった。相変わらず、エッロい体」
忘れたはずの恋心さえも思い出させるような、執拗な愛撫と痛みにも近い快楽に、意識がぼうっとしていく。
忘れるわけがない。体温も鼓動も、愛撫をする指先の優しさも。潤んだ瞳に、彼を映す。
「いれていい?」
髪をかき上げ、雄っぽい笑みを浮かべ、見下ろしてくる。
「嫌だ」
「本当に嫌だと思ってるのか?」
ここ俺の指じゃ足りないと思うけど、と耳朶に熱い吐息と共に吹き込まれる。
再会し、既婚者であろう彼を求める気持ちが抑えきれない、ズルい自分を赦して。
何も言わず、背中に腕を回す。
藤埜は返事を聞かず、性急にゴムをつけて、腰をつかんでくる。
押し広げながら入ってくる藤埜自身を受け入れ、快楽に溺れた。
§
藤埜との出会いは、私立凰蘭学園 時代にさかのぼる。濃紺のブレザーを小物やセーターでおしゃれに着こなしていた同年の彼が気になり、デジイチでストーカーのように撮影していたのがきっかけだった。
彼の追っかけとして有名人になり、誘われるというより、有無も言わせない強制に近い響きで『もっといい写真撮りたいなら、昼休みに裁縫室においでよ』と言われ、初めて会話をした。
音和は写真家、彼は親のテーラーを継ぐために、日々勉学と夢を叶えるための努力をしている同士だった。昼休みに裁縫室で会う関係になってから、恋人に変わるのに、半年もかからなかった。
音和はただ彼の夢を叶えたかったのだ。
藤埜がよく話してくれた昔話や子どもに仕事をする姿を見せたいという彼の夢を。だから、別れたのだ。
『おと、よく聞けよ。俺は自分の子どもじゃなくていい。おとと一緒に子育てがしたい』
何度も別れを決めようと話し合うたびに、言われた言葉だ。そんなきれいごと誰が信じるのだろうか。
やっぱり、自分の血がつながった子が欲しいけど、音和も失いたくないという一心で取り繕ったのではないかと思っていた。
けど……。
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