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第1話
ある村はずれの静かな森に、一人の魔法使いがひっそりと住んでいました。
高位の魔力使いでありながら、優しく少し気弱なその魔法使いは、他の魔法使い達とのお付き合いに馴染む事が出来ず、魔法を使う人々の住む世界を離れ、地図にも載らないような小さな村のそばにある森の中で、もろく弱い、そして儚い存在である人々を見守りながら暮らしていました。
そんな魔法使いは村人達からの信頼も厚く、両者は大変に良い関係を築いていましたし、心優しい魔法使いに村の子供達も大変懐いていました。
午後になると、子供達は皆で森の中の魔法使いの家に出かけていきます。
晴れていればお散歩や森での遊びを教えて貰い、雨などの時には家の中で少しだけ魔法で遊ばせて貰うといった特別で楽しい時間を過ごしていました。
ある日、いつものように子供達の声が耳に届き、魔法使いは家から子供達を迎えに出ました。
子供達の顔を見回し挨拶をしていると、見た事のない少年がいる事に気が付きました。
「あなたはどなたですか?」
そう聞くと少年は下を向いたまま首を横に振ります。
「この村に引っ越してこられたんですか?」
そう尋ねる魔法使いに村の子供達が、
「違うよ。この子はそこの森の入り口の木の根っこの所に膝を抱えて座っていたんだ。それでみんなで相談してここに連れて来たんだ。」
そう答えました。答えた子供の頭をありがとうと言いながら撫でると、少年の頭を軽くポンポンとたたきながら、
「お父さんやお母さんはどうしたんですか?」
とたずねました。
少年は再度下を向いたまま首を横に振るだけで、何も言おうとはしません。
その顔は疲れ果て、服も体も汚れています。
子供達には魔法で出した遊び道具を与え、魔法使いは少年を連れて家の中に入りました。
「少し待っていて下さいね。」
そう言うと魔法使いは懐から杖を取り出しさっと降ると、魔法を使ってお風呂やご飯の支度をしていきます。
人は魔法使いという者がいる事を知識としては知っていますが、大体の魔法使いは人の側で暮らすことはないので、魔法というモノもそうそう見る機会はありません。
目の前にいる黒い服を着た青年が魔法使いだとは知らなかった少年の顔は疲れを忘れ、たちまち上気していきます。
「あなたは魔法が使えるんですか?」
そう尋ねる少年のきらきらした目に、魔法使いは少し気恥ずかしさを感じながら、
「多少は……。」
と答えました。
「貴方はきっと凄い魔法使いなんですね!」
そう言うと、少年は魔法使いに抱きつきました。
急に抱きしめられた魔法使いが驚いていると、少年は自分は両親に捨てられたんだと話し出しました。
貧乏な少年の家ではそれしか方法がなかったし、殺されなかっただけましだった。
両親を恨むつもりも恨んでもいないが、自分の帰る家も、待ってくれる家族ももうないんですと。
魔法使いはそれを聞くと、涙が溢れて来ました。
「それなら、私とこの家で一緒に暮らしませんか?」
少年に尋ねます。
少年も一瞬は嬉しそうな顔をしましたが、やはりご迷惑になるのではと下を向いてしまいました。
魔法使いはその顔を両手で優しく包み込み、しゃがみこんで少年と視線を合わせると、
「いいえ…皆には内緒なんですが、実は私は大変な寂しがり屋なんです。
皆が帰った後、一人でいるにはこの家は広すぎます。
貴方がいてくれるなら、きっと私の寂しさもなくなるでしょう。
むしろ私の方からお願いします。私と住んで下さいませんか?」
魔法使いがそう言うと、少年は目に涙を浮かべながら頷きました。
「そう言えば、あなたのお名前を聞かせて頂けていなかったですね…お名前を教えて頂けますか?」
そう尋ねる魔法使いに、少し寂しそうな表情で少年は
「両親を恨んではいません…でも二人に捨てられた時、それまでの人生、名前も含めて全部を捨ててきました。もし叶うのなら、あなたが僕に新しい名前をつけていただけませんか?」
目に涙を浮かべながら、それでも笑顔で答えるその健気な態度に、魔法使いは少年の腕を引っ張り、覆うようにして抱きしめました。
そして少年の顔をじっと見つめると、一つ大きく頷き
「リュー…ク…リュークというのはいかがでしょうか?」
「リューク…すごくいいです!」
「気に入っていただけて良かったです。」
微笑む魔法使いにリュークが抱きつきます。
「あなたに会えて、僕は再び自分を取り戻すことができました。
これからよろしくお願いします…あっ!」
「どうかされましたか?」
「申し訳ありません。自分の事で夢中になってしまって、あなたのお名前を聞き忘れていました。」
「あ…あぁ…。」
そう言ったきり、魔法使いは黙ってしまいました。
暫くその顔を見つめていたリュークでしたが、あまりにも長い沈黙に耐え切れず、おずおずと口を開きました。
「あの、僕は何かマズい事をしてしまったのでしょうか?」
心配顔で尋ねるリュークに魔法使いは手を振りながら、
「そんな事はありませんよ。ただ…」
「ただ、何ですか?」
「ただ、私がここに住んで数百年、名前を聞かれることはなかったものですから。」
「え?何故ですか?」
「…そうですね。魔法使いと呼ばれる者が私だけなので、それですんでしまっていたんでしょうね。私も気にしていませんでしたし。」
そう言う魔法使いにリュークが下を向いてぽそっと呟きました。
「あなたは人間の世界では異形の存在ですものね。」
「リューク?何か言われましたか?」
そう言う魔法使いにリュークはぶんぶんと顔を横に振り、
「何でもありません。それで、僕はあなたの事をなんとお呼びしたらいいのでしょうか?」
「そうでしたね。私の名前…」
そう言ったきり、魔法使いは再び黙ってしまいました。
「どうされたんですか?」
リュークが魔法使いの目を覗き込みながら尋ねます。
すると魔法使いはふふっと笑いながら、リュークの耳元で囁くように話し始めました。
「実は、魔法を扱うものにとって名前を知られるというのは、その相手に自分の魂をも支配下に置かれるという事なのです。なので通常、私達は本当の名前の他にもう一つの名前を持ちます。
ですが、ここ数百年、それを誰にも聞かれる事なく過ごしてきたので、その名前を忘れてしまって。」
「本当の名前を知っているのはあなたお一人だけなのですか?」
「いいえ、その名前を付けてくれた私の両親と、魔法を使う者達が住む世界の統治者である統治の王は知っておられます。」
「統治の…王?」
「この世界の王様と同じような存在の方の事です。」
「怖い方なのですか?」
「私は今の方とはお会いしたことは無いのでよくは知らないのです。ただ、少々難しい方だとは聞いています。それで、名前でしたね。」
じっと考え込む魔法使いの隣で、その顔を見つめながらリュークが待っていると、突然魔法使いがあぁ!と大きな声を出しました。
少し眠くなり始めていたリュークはその声に驚き、コロンと後ろに転がってしまいました。
魔法使いはクスクスと笑いながら、リュークの体を起こすと言いました。
「私の名前はブランでした。」
「ブラン…いい名前ですね。これは言っても大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。久しぶりに名前を呼ばれると、少しこそばゆい感じがしますね。」
そう言ってブランがふふっと笑います。
二人は立ち上がると、ブランがその両腕を開き、走り寄るリュークをぎゅっと抱きしめました。
「私達は今日から家族です。あなたの事を私は、私の全ての力をもって守るとここに約束します。リューク、これからよろしくお願いします。」
そう言ってほほ笑むブランに
「僕とブランは家族…?」
「そうです。血のつながりはなくとも、私とあなたはこれから家族として絆を深め、助け合い暮らしていくのです。」
「僕とブランが家族…嬉しい、すごく嬉しいです!
ありがとうございます、ブラン!」
そう言ってリュークはブランの首に抱きつくと、その唇に軽く自分の唇を重ねました。
驚いたブランが呆然としていると、
「すいません…僕の家では挨拶や嬉しい事があると軽いキスをする習慣があって…今までの人生を捨ててきたはずなのに、習慣って出てしまうんですね。」
寂しげに話すリュークにブランは顔を近づけ、リュークと同じように軽くキスをしました。
驚くリュークに
「これを私達の習慣にしましょう。挨拶をするとき、嬉しいとき、その全ての時に軽いキスを交わす…どうですか?」
そういうブランにリュークが抱きつくと、再び二人は軽いキスを交わしました。
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