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第3話
「え?」
「こんなところで、なにしてやがる」
低い、地の底を這うような声は、先ほどの澄んだ音とはまるで違うもので。というかイメージ違いすぎるし。
ずんずんと。そう、そんな表現としかいいようのない風で、彼が僕の方へと歩いてくる。
「え、いや、その……」
なんだろう。すごく凄まれている気がする。
気圧されるように一歩後ろへ下がりかけた僕は、ぐいっと、彼に胸元をつかまれて、顔を引き寄せられた。
「ご、ごめん!」
僕は胸の前で手を組むと、慌てて謝った。
なんだかよくわかんないけど、彼の気を損ねてしまったようだ。もしかしたら機嫌よく歌っていたのに僕が邪魔したからだろうか。
「あっ、あんまり綺麗な声がしたから、誰が歌ってるんだろうって思って! 君の邪魔をするつもりじゃなかったんだ。それどころかもっと聴きたいっていうか、ずっと聴いていたいっていうか!!」
一体僕は何を言っているんだろう。そう思いつつ口から出た自分の台詞の内容に、さらに訳が分からなくなる。違う、言いたいのはそうじゃなくて。
「ええっと、ちょっと空気を吸いに庭に出てきたら、綺麗な歌が聞こえてきてここを見つけてそんで別に他意はないというか月光の下で歌う君が妖精みたいだとかなんてそんな」
「ふ~ん?」
さらにぐいっと、引き寄せられ、ますます僕はパニックになる。
けれどそんな僕に凄んでいた少年は、それを聞いてにんまりと。例えばうちの猫がミルクをなめた時のように目を細め、笑った。
「てめー、わかってんじゃん?」
「へ?」
思ってもみない反応に、今度は僕の目が丸くなる。
「俺の歌、綺麗なんだろ」
「あ、う、うん! すごく綺麗!! なんだろう、深い海の青色に、ちかちかと金色が瞬いていて、宝石みたいなんだ」
「宝石?」
「うん。えーっと、なんだろ。あ、そう! ラピスラズリみたい」
我ながらぴったりの表現を見つけて、僕は嬉しくなった。月明かりに浮かぶ彼の白い顔。そこにある二つの宝石も深い青だと気づいた。同じだ。彼にぴったりのイロだと、僕はさらに嬉しくなる。
目の前の彼は僕を見て、しばらくきょとんとしていたようだけど、やがて笑ったらしい。口角を上げた。真っ白な歯が零れるように口元から覗く。
「てめー、変なやつだな」
「え? そ、そうかな」
そんなの言われたの初めてだ。グズとか、とろいとか。そんなのはあるけれど。……でも変っていうの、別に誉め言葉じゃないよね。ちょっと複雑。
「あぁ、それにいい匂いがする」
そう言って、彼はまた僕に近づくと、首筋に顔を埋めた。
すんっと、鼻を鳴らす。
近い距離にある金色の髪に、僕の胸がだんだん早鐘を打ち始めた。
僕の匂いはよくわかんないけど、僕からすると彼の方がいい匂いだと思う。この庭の緑の匂いをもっと深くしたような、薔薇のように甘くて、ハッカのように透き通ったさわやかな香り。
もっとずっと感じたくて、彼の身体に手を伸ばしかけ。慌てて手を自分の背中に回した。
自分でも赤くなってるのが判る。うぅ。
彼はしばらく検分するように、すんすんと僕の身体のあちこちの匂いを嗅いでいたようだけど、おもむろに背を伸ばして僕を見た。こうして見ると彼と僕の背は大体同じくらいのようだ。
「なんだてめー、俺の番か」
「え?」
「よし、てめーの名前を教えろ」
唐突に言われて、全身が固まった。そんな僕の腕を掴むと、彼はおもむろに歩き出す。釣られて僕も足を踏み出した。
「ちょ、ちょっと待って。なんの話?」
「俺の名前は瑠花。早く名乗れよ」
ずんずんと、歩みを進める彼――瑠花は横目で僕を見る。どきりと、また心臓が跳ねた。
「柚葉だけど、ええっと?」
「柚葉か、てめーにぴったりだな」
「そ、そう?」
考えたこともなかった。でも、大好きな両親がつけてくれた名前を褒められて、自然と頬が緩む。
瑠花はそんな僕に笑いかけて来た。
「くそつまんねぇパーティだから、フケようと思ってたけど、番に逢えたなら来て良かったな」
「つがい?」
「あぁ」
いつの間にか僕たちはあずま屋へと来ていた。籐のカウチとテーブルの置かれた空間は、まるで異世界のように現実味がない。緑の匂いと花の香り。
あずま屋の真ん中に立ち止まった瑠花は、こちらへと向き合うと、僕の胸元を押した。
構える間もなく僕は後ろへ倒れこみ、カウチの上に尻餅をついた。見上げる僕にのし掛かるように、瑠花がカウチに乗り上げてくる。
「え~っと?」
なにしてるのかな? と、乾いた笑いを浮かべる僕。
「なにって、番のすることと言えばひとつだろ」
いそいそと僕の服に手を掛けつつ、ペロリと舌舐めずりする瑠花。
「いやいやいや!!」
「大丈夫だ、初めてだから良くわかんねぇけど、俺は上手いはず!!」
「その自信はどこからっ!?」
「るせぇな。ちっと黙れ」
桜貝のような唇が近づいて来たかと思うと、そのまま口を塞がれた。絡められる舌に背筋に震えが走る。全てが初めての感覚に、頭がおかしくなりそうだ。身体がただ熱くて、むせそうなほどの花と緑の匂いがした。
「る……か?」
「おぅ」
キラキラとした綺麗な青が、僕を見下ろしている。
番という言葉が、ふいに浮かんだ。
僕を番という彼。髪が月光を浴びて金色に輝く。番、金色。そうか。
「黄金色のオメガ?」
「んだよ。んな、じじいが勝手につけたダッセーあだ名で呼ぶな」
むぅっと鼻白んだように、瑠花は唇を尖らせた。そう言えば、父が言っていた。
今日は主催者が特に目をかけているオメガが、お披露目をするって。
どうやらそれが僕の目の前にいるらしい彼みたいだけど、こんなところにいていいんだろうか。
「んぅ……」
彼の指が滑るたび、段々と息が上がり、思考もぼやけてくる。熱くなる身体をくゆらせると、僕は手を伸ばして彼の腰を引き寄せた。
月の光が、瑠花の背後から差し込んで、キラキラと金色に弾ける。出逢ったばかりなのに、全身で僕を捕らえる美しいオメガ。
静かな夜。この花の迷宮に咲く花の中で、最も美しい存在。
「る、か……」
綺麗な綺麗な、僕のオメガ。
「もう、黙れ」
一瞬で君に囚われた。まるで糸のように、運命に絡めとられた僕。
ゆるく彼の頬を撫でると、手のひらに口接けが下りてくる。傍らで甘い吐息を感じて、僕はゆっくりと目を閉じた。
僕の番。僕だけの。
そんな言葉が胸に落ちた。
落ちこぼれの僕だけど。なにもない僕だけど。
今だけは、君のそばで咲いていてもいいだろうか。
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