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第2話
泣くもんか。そう思う。
海斗たちが僕をからかってくるのはよくあることだ。
そんなのにいちいち取り合っていたら、涙なんてすぐ枯れ果ててしまう。
それでも誰にも見つかりたくなくて、僕は大きな窓を開け、バルコニーに出るとそこから庭へと降りた。
夜露に湿った芝生を歩く。
昼間は汗ばむほどの陽気だけれど、夜は冷いやりとした風を感じる。木々の葉擦れの音が、耳に心地よい。
外灯に照らされてぼんやりと浮かび上がる小道へと出ると、僕の前にまっすぐ伸びた道と、さらにその奥には生け垣が見えた。
満月の光に照らされて、生け垣と生け垣の間に白いアーチがある。月光に浮かぶ薔薇の生け垣に、つる薔薇の絡まるアーチ。
生け垣は赤い薔薇、アーチには白い薔薇。おとぎ話にでも出てきそうだ。甘い匂いに誘われるように、僕はアーチをくぐった。
中は薔薇の生垣で作られた、細い小道になっていた。もしかして迷路なのだろうか。しばらく進んでから、そう気づく。けれど引き返す気にもなれなくて、僕は足を止めることもなく歩みを進めた。
さくさくと、土を踏む音が心地よい。今日のパーティの主催者は、アルファの中でも重鎮で、父とはかなり親交の深い相手だと聞く。その本邸だから屋敷だけでもかなり広いのに、この庭はさらに広そうだ。本当に迷い込んだら出られない迷路かもしれない。
でもその時の僕はそれが怖いとか思わなかった。むしろワクワクして、楽しくなるほどだ。
先ほど聴いた楽団の音程を思い出しながら、リズムを付けて歩く。色々な色に満ちた音だったな。
昔から僕は、音に色がついて見えた。茶色に緑、オレンジ。とてもきれいな音だったなと、そんなことを想い返している間に、僕は自分が別の世界にいるような錯覚を覚えてきた。ここではきっと誰も僕を知らない。アルファでもなく、水無月柚葉という人間ですらない。
なんて途方もない解放感。
そんな僕の耳に、別の音階が飛び込んできた。あぁ、たぶんこの色は青。けれど時折ちかりと金色が混ざったような。
足を止めかけた僕は、ちょうど小道の曲がり角に差し掛かった。
その先に見えるのは広い空間。小さな家なら一軒、すっぽりと入りそうなくらいの広さだ。
その中心に、彼がいた。
彼、というのは表現としてはおかしい気がするけど、『彼』としか言いようがない。
月光がまるでスポットライトのよう。月明かりの下に立つ彼。
生け垣に囲まれた中心に、あずま屋と小さな川、花壇や池がある。
昼間だと美しい光景だろう。けれど今は夜。ひっそりと眠る景色の中、月と同じ金色の髪を揺らして、歌う少年がいた。
さらさらとしたストレートの髪をゆるく後ろで結わえ、ラフに着こなした白いシャツがドレスのように月光に透けている。
僕のいる位置からは遠目だし、横顔しか見えないけれど、それでもまるで月の精霊か、薔薇の妖精のように美しいのが判る。
朗々と伸びる声は高く、まだ声変わり前なのだろうか、いくぶん高めのボーイソプラノ。
なんと歌ってるんだろう。ちかちかとした金色の声をもっと聴きたくて、思わずそちらへと歩み出すと、気配に気づいたのか『彼』がこちらを向いた。
射貫かれそうなほど、きつい眼差し。
まるで僕の深い部分を、一気に貫かれたような気がした。
あぁ、綺麗だ。ただそう思う。
吊り上がり気味のきつい眼が、僕を見て丸くなる。そりゃこんなところに人が来るなんて思ってないよね。僕も人がいてびっくりしたし。
彼はしばらく僕を見ていたけれど、やがて元のきつい眼差しに戻った。
形の良い、花びらのような唇が開かれる。
「誰だ、てめーは」
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