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75.約束(最終話)

「あ、聖さん」 璃玖がデビュー記者会見会場の控え室前で廊下の壁に寄りかかっていると、聖がこちらに向かって歩いているのに気が付いた。 「あれ?一樹君は一緒じゃないの?」 「今、中でメイク中です。隼人さんと喧嘩して中々進まないので、僕は避難してきました」 「ったく。まぁ、隼人も可愛い後輩が出来て、構いたくてしょうがないんだろうね」 「あー。なんだかんだ言って、一樹と仲良いみたいですもんね」 璃玖は肩を竦めて笑った。 そんな璃玖の隣に並ぶように、聖も廊下の壁に背を預け寄りかかると、腕を組んだ。 「さて、そんなことより…。やってくれたね」 「なんのことですかね?」 聖の真似をするように、璃玖は不敵な笑みを浮かべた。 「よく言うよ。まさか、隼人を使って相良先輩をあんなところに呼び出していたなんて」 「びっくりしました?」 「ああ。しかも、僕の知らないところで、あんなものを準備していたなんてね。だから、記者会見の前に映像を流そうなんて言い出したの?」 元々、これから行われる記者会見まで、聖が誰をプロデュースして、どんなユニットがデビューするかはメディアには一切秘密にされる予定だった。 だが璃玖の提案で、記者会見の前に先行して、ミュージックビデオと第二次性の発表を行おうと決まったのだが、聖を交えての打ち合わせの段階では、二年前に璃玖が作った相良に向けた曲を流すことは予定にも入っていなかった。 「社長に聞いたんです。相良先生が一時帰国するって。けど、僕たちが聖さんプロデュースでデビューした後だと、警戒して、また曲を聴いてもらえないかもって思って。それで、急いであの曲を編集して、一樹と歌って、今日流してもらったんです」 「なるほどね…。本当に、やってくれたよ」 聖は呆れたように溜め息をつくが、その顔には笑みが零れていた。 「僕からの、ささやかな仕返しです」 「仕返し…か。ということは、僕の計画は、璃玖君にはもうバレているってことかな?」 「予想…ですけど。それより、相良先生はなんて?」 「さあ…」 「聖さん!」 誤魔化そうとする聖に、璃玖は壁に寄りかかるのをやめて、怒ったような表情で聖の前に立つと、聖の顔を見上げた。 怒っていながらも、璃玖の表情からは心配しているのが聖に伝わり、聖は璃玖を安心させるように改めて笑みを浮かべると、璃玖の頭の上に手を置いて、軽く撫でた。 「ごめん、ごめん。ちゃんと僕の思いと、榛名さんの思いは伝わったよ。君たちのおかげで」 「本当ですか?」 「うん」 「そっか…。よかった…」 璃玖は肩の力が抜け、嬉しそうに両手で自分の口元を隠すように覆うと、安堵の溜め息をついた。 「よかった…。本当に…」 「ったく。君って子は…」 まるで自分のことのように喜び、今にも泣きだしそうな璃玖に、聖はもう一度璃玖の頭を愛おしそうに撫でた。 「相良先輩の反応もだけど、ミュージックビデオを見た人たちの反応を見せてあげたかったよ」 「僕も見たかったです。でも…やっぱり、驚いていましたよね?僕がΩだってこと」 璃玖は不安を隠すように、必死に口角を上げて笑みを浮かべた。 これから行われるデビュー記者会見でも、もちろん発表する予定であったが、Ωの璃玖がデビューすること、そしてΩだということを公表することは、スターチャートの社内でも問題になった。 特に、頭の固い幹部には聖が何度も説得を試みたが、前例のないことに難色を示すばかりで、話が全く進まなかった。 だが、見かねた社長が、聖の最近の曲を作っていたΩは璃玖だと伝えた瞬間、手のひらを返したように承認を得られた。 その時、璃玖は自分がΩだということは、改めて容認し難く、受け入れてもらうには実力と時間が必要だと再認識した。 そのことを十分理解した上で、決断し、アイドルらしく笑みを浮かべる璃玖の姿に、聖も同じように笑みを浮かべ、璃玖を安心させるように璃玖の肩に手を置き、二回ほど叩いた。 「正直、驚いてはいたよ、でもね、応援してくれる人ばかりだったよ。やっぱり、璃玖君はすごいよ。僕のやりたかったことは、璃玖君が全部叶えてくれた。本当に、ありがとう…」 「聖さん…」 聖の言葉に璃玖は自然な笑みを取り戻すが、その璃玖の笑顔に対して、聖は複雑そうな表情を浮かべた。 「璃玖君…。今まで、利用してごめんね。璃玖君は、どうして僕が璃玖君と一樹君、二人をデビューさせようとしたのか、もう分かっているんだよね?」 「…。聖さんが、誰よりも相良先生を大事にしていると考えたら、自ずと答えは出てきました」 璃玖はまっすぐ聖の目を見つめた。 「僕と聖さん…。本当に…運命の番…なんですよね?」 「やっぱり、そこまで気づいていたのか。さすがだね」 「気付いたのは…不破さんに捕まった時です。抑制剤を飲んでいても、αで何かを感じ取っていたのは聖さんだけだって…」 「そっか」 観念したように聖は笑い、軽く息を吐くと、昔を思い出すようにどこか遠くを見つめた。 「璃玖君と初めて会ったレッスンルームでね、僕は璃玖君が運命の番だってすぐに気づいたんだ。そして、運命には逆らえないって愕然としたよ…」 聖は一呼吸置くと、そのまま話を続けた。 「お互い抑制剤を飲んでいたし、璃玖君も発情期前だったせいか、僕だけが感じとったみたいだけど…今まで決意していたものが、まるで意味のないものに思えるくらい、璃玖君に心から身体まで惹かれかけた。笑えるよね。あんなに相良先輩のこと、軽蔑していたはずなのに、自分がいざ運命の番に会ったら、いとも簡単に運命に逆らえない思うなんてさ…」 「聖さん…」 「相良先輩が榛名さんのところに行ってしまった時、僕は一生、相良先輩を好きでい続けようて決めた。そのために、僕は璃玖君、そして一樹君を利用しようって思ったんだ…。この二人が結ばれれば、運命は越えられるんじゃないかって…てね。璃玖君の作る曲が榛名さんに似ていたのも、僕に与えられたチャンスだってね」 「聖さんは…」 璃玖は一度言葉に詰まるが、息を飲み込み、もう一度話し出した。 「きっと、相良先生を傷つけるのが、どこかで恐かったんですよ。自分と同じように、運命の番に奪われる気持ちを、相良先生にさせたくなかったんですよ」 「それだと、僕は必ず相良先輩を手にすることが分かっていたことになっちゃうよ?」 「聖さんにはその自信があったんですよ。それぐらい、相良先生に対する思いは強かったんです。だから…聖さんはすごいです」 目的のために利用していたと告げたにも関わらず、無邪気に笑う璃玖に、聖は胸が締め付けられると、深々と頭を下げた。 「ひ、聖さん!」 突然の聖の思ってもみなかった行動に、璃玖は慌てふためいた。 「僕は、僕の身勝手な理由で璃玖君を利用した。本当に申し訳なく思ってる」 「や、やめてくださいよ。僕だって、聖さんのこと利用したのと変わらないんですから。一樹への思い、聖さんが歌ってくれたおかげで諦めないでいられて…伝えることができました。こうやってΩとして恥ずかしくないって思えるようになった。聖さんのおかげです。だから、本当にありがとうございます!」 今度は璃玖が頭を深々と下げたため、聖は慌てて頭を上げた。 「璃玖君…」 すると璃玖も頭を上げ、神妙な面持ちの聖に、にっこりと笑いかけた。 「ねえ、聖さん。僕たち、互いに、運命は越えられるって証明したんですよね。それって、すごくないですか?」 「…そうだね」 聖と璃玖は顔を見合わせると、どちらからともなく笑いだした。 「やっぱり君は…」 聖はそう言って、璃玖の頬に手を伸ばそうとする。 「おい、璃玖何を笑って…」 控室のドアが開かれ、準備を終えた一樹がドアから顔を覗かせると、聖が璃玖に手を伸ばしているのが目に入り、一樹は慌てて璃玖の元に駆け寄った。 「聖さん!俺の璃玖に触らないでください」 一樹は璃玖の腕を引っ張り、璃玖の身体を自分に引き寄せると、璃玖を後ろから抱きしめた。 「ばか!一樹、ここ、廊下だよ!!」 抱き締められた一樹の腕の中で、璃玖は必死に抵抗するが、一樹は離そうとせず、さらに力を込めると、聖のことを睨んだ。 「聖さんは、相良先生一筋だって璃玖から聞いていたんですが?」 「一樹君が璃玖君を今度泣かせたら、僕も黙っていないよって忠告だよ」 「安心してください。二度と泣かせたりしないので。それに、璃玖が俺のこと好きだって言ったの、どうせカメラでしっかり見てましたよね?」 「え…?それってどういう」 璃玖は一樹の言うカメラの意味が分からず、思わず聖と一樹の顔を何度も見比べる。 「分かっていて、見せつけたんだろ?ごちそうさま。でも、独占欲の強い男は嫌われるよ」 「いいんです。璃玖にはこれくらいで」 「ふーん…」 「え、え、ちょっと待って!」 璃玖だけが置いてきぼりの二人の会話に、璃玖は一人で慌てふためいていると、聖は璃玖の顔を見て、何かを思いついたように悪戯な笑みを浮かべた。 聖の表情に璃玖は嫌な予感を感じ、一樹の腕の中から逃げ出そうとする。 だが、一樹の腕はびくともせず、聖は顔を璃玖にあっという間に近づけると、璃玖のおでこにそっと口づけをした。 「ひ、聖さん!」 声が裏返りながら、璃玖は顔を赤くしておでこを手で押さえた。 「たしかに隙がありすぎるからね。アイドルのままじゃ番になれないだろうし、一樹君、気を付けてねー。さて、僕も支度しようっと。隼人ー」 聖は笑いながら一樹と入れ替わるように、控室に入っていきドアを閉めた。 ドアを締めると、背後から璃玖と一樹の言い争う声が聞こえ、聖は思わず笑みが零れてしまう。 「ありがとう…。二人とも」 少しだけ上を見上げ聖は目を瞑ると、そっと呟いた。 「なーなー、怒るなって」 「知らない!なんで僕に、あの時教えてくれなかったの?」 璃玖はどこに向かうでもなく、怒りを露わにしながら廊下を歩き続けた。 そんな璃玖の後ろを、一樹は後を追いかけるようについていく。 「いや、あれは言い出すタイミングなんてなかっただろ」 「それでも…!」 璃玖は言いかけて、恥ずかしさで顔を真っ赤にさせたまま、廊下の突き当りにあった非常階段への扉を勢いよく開け、中に入った。 慌てて一樹は璃玖を追いかけ扉を閉めると、璃玖は足音をわざとたてて足を止め、一樹の方へ振り向いた。 「なんで今まで何も言わなかったんだよ。しかも伊織君との会話から、全部聞いていたなんて。その上、聖さんにあの後のこと、全部聞かれていたなんて…」 あの日、ハウススタジオの地下に事前にセットされていたカメラの映像を、聖と一樹は二階の部屋でずっと見ていたらしく、そのことを璃玖は今まで全く知らされていなかった。 今考えれば、一樹が乗り込んできたタイミングや会話から推測出来たことなのに、あの時の璃玖には余裕がなく、そこまで頭が回らなかった。 伊織に話していた一樹への思いを本人に知られることも恥ずかしかったが、それ以上に、聖が立ち去ってから、璃玖が一樹に告白した言動全てが聖に筒抜けだということに、璃玖は羞恥に耐えられずにいた。 「璃玖の熱烈な告白を聞けて、俺は幸せだったよ。あれ、映像残っているかなー」 「一樹!!」 璃玖は怒った顔で、思いっきり一樹を睨みつけた。 「嘘だって。あ、そういえば、首の傷、ちゃんと消えたか?」 「話をすり替えないでよ!」 首元に手を伸ばす一樹の手を、璃玖は怒りに任せて払いのけた。 「痛っ…」 「あ、ごめ…」 思っていた以上に力が籠ってしまったらしく、一樹を引っ込めて擦るような仕草をしたため、璃玖は慌てて一樹に手を伸ばす。 すると、伸ばした手は一樹に掴まれ引っ張られると、璃玖は一樹の胸に顔を埋めるかたちになる。 「ちょっと…」 すぐに身体を離そうとするが、一樹はすぐに璃玖の頭を抱えるように抱きしめ、璃玖の顔をもっと自分の胸に埋めさせた。 「ごめんな…。本当なら、璃玖に傷一つ負わせたくなかったのにさ…」 「一樹…」 抱き締められているため、一樹の表情は分からなかったが、璃玖には後悔し、苦しんでいるかのように聞こえた。 「あの時、さっさと璃玖を助けに入ればよかったんだけど、聖さんに証拠を掴むまで待てって何度も止められてさ…。結局、我慢出来ずに乗り込んじゃったんだけど」 「一樹…」 「でも、傷として残らなくてよかった。もし残ったりなんかしたら、俺…」 抱き締める力が緩められ、一樹の指先は璃玖の首筋を、傷跡が残っていないか確かめるように優しく触れた。 璃玖は一樹の顔を見上げると、一樹は俯き気味に悲痛な表情を浮かべていた。 そんな一樹に、璃玖は思わず言葉に詰まってしまうが、すぐに首を振った。 「ねえ、一樹…」 璃玖は自分の首筋に優しく触れる一樹の手に、自分の手を重ねた。 「璃玖…?」 一樹は不思議そうに璃玖の顔を見つめたままだったが、璃玖はゆっくりと首筋から、一樹の手を自分のうなじへ触れるように誘導した。 「一樹…。僕の居場所を作ってくれてありがとう。いつか…僕を一樹だけのものにしてね」 「えっ?ま、待って璃玖!それって!」 一瞬驚いた表情を浮かべた一樹は、言葉の意味を理解すると、見る見るうちに顔が赤くなっていった。 「さーてと、そろそろ時間かな?スタンバイしようか」 一樹の横をすり抜け、璃玖は非常階段の扉を開けようとドアノブに手をかけるが、一樹は制止するように璃玖の手に自分の手を重ねた。 璃玖はそのまま一言も話さずドアノブを握ったまま俯いていたが、耳から首筋まで先ほどの一樹のように真っ赤だった。 そんな璃玖の様子に、一樹は幸せそうに顔がほころぶと、璃玖の耳元に顔を近づけた。 「璃玖…好きだよ。もう一度…契約じゃなく、今度は約束をしよう」 璃玖の耳元でそっと一樹は囁くと、璃玖のうなじに唇を落とした。

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