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74.握り返された手

相良はコーヒーチェーン店の三階の窓際カウンター席に、陶器のカップに入ったコーヒーが載せられたトレイを置いて、カウンターチェアに座った。 ミルクと砂糖を三つずつ開封し、湯気がたつコーヒーに入れていくと、真っ黒だったコーヒーが次第にキャラメル色になっていった。 カップに添えてあったスプーンで円を描くように軽く中身を混ぜた相良は、そのままカップに口をつけることなく視線を少しずらすと、窓ガラス越しに見える眼下の歩道は、コンクリートの地面が見えないほどの人で埋め尽くされていた。 「今日はなにかあるのか?」 スターチャートの事務所からほど近いこの繁華街には、若者が最も集まる場所であったが、信号待ちでもないのに何かを待っている様子で足を止めている人が目立った。 相良は不思議に思い首を傾げながら顔を上げると、反対のビルの壁面に設置された大型液晶画面が目に入り、思わず反射的に視線を逸らしてしまった。 「重症だな…」 まるで自分の中の奥底にいる自分自身に問いかえるように、相良は小さな声で呟いた。 それからゆっくりと、企業やアーティストの広告が絶え間なく流される大型液晶画面を、もう一度改めて見つめた。 「まだ、こんなものが怖いと思うなんて…」 軽く溜め息をつき、視線をカップの中のコーヒーに移すと、相良はそのままカップを手に取り、苦みを感じさせないほど甘くしたコーヒーにそっと口をつけた。 甘くしたコーヒーの味は、榛名が飲んでいたものと同じ味がして、相良の心を落ち着かせた。 相良は、榛名を失ってすぐ、まるで抜け殻のように何もする気が起きず、ただ時間だけが過ぎていく毎日を過ごしていた。 次第に何気ない出来事で榛名を思い出し、涙が止まらなくなり、平常心ではいられない状態になってしまっていた。 特に榛名の作った曲は、昔から大好きだったせいか、感情のスイッチが入りやすかった。 そのため必然的に、榛名が今までに作った曲、そして榛名が残した聖の曲を耳にすることを、相良は避けるようになってしまっていた。 そんな日々を一年ほど過ごし、このままでは駄目だと相良自身が思い始めた頃、スターチャートを辞めたにも関わらず、演劇のオーディションの話が舞い込んできた。 一歩前に踏み出すきっかけにしようと、相良は必死にオーディションに臨み、見事合格し役を掴み取ると、その舞台の演技力が認めれ、次々に舞台のオファーが来るようになった。 次第に歌唱力も認められ、ミュージカル俳優として活躍しだした頃、きっかけとなった舞台の監督に久々に再開すると、聖が相良のことを話したことがオーディションの誘いのきっかけだったと聞かされた。 その話を聞かされた相良は、表情は笑っていたものの、本当は泣きそうなほど、胸が締め付けられる感覚に襲われた。 それは、裏切るように去っていった自分のことを聖がまだ気にかけてくれていた喜びと同時に、自分の中に、昔から聖に対してあった、ある感情の存在に気付いてしまったからだった。 自分には決して許されない感情だと思った相良は、気付いてしまった聖に対する感情を、心の奥底にしまい込んだ。 すると、榛名を思い出し、感情を乱されると避けていた榛名の曲は、いつのまにか、榛名への思いを上回ってしまっていそうな聖への感情を、溢れ出させないようにするため避けるものになっていた。 「はぁー…」 深い溜め息をついた相良は、カップに両手を添え、手のひらに伝わってくる温かさに心を預けた。 『榛名さんが気にしていた奪ったっていうのは、ユニットの相手を奪ったじゃなくて、結ばれるはずだった人を奪ってしまったって意味なんですよ!』 榛名の思いを璃玖から聞かされた相良は、今まで以上に、榛名、そして聖のことを考えることを酷く恐れるようになっていた。 本当は榛名の気持ちを、どこかで気づいていながらも気付かないフリをしていただけの自分がいたことを知ってしまった相良にとって、決して抗えない運命が待っているという事実は受け入れ難く、まるで逃げ出すように予定を繰り上げ海外に出発した。 慣れない土地で、オーディションとレッスンという目まぐるしい毎日のおかげで、出発前にあった出来事を思い出さずに日々を過ごすことが出来た。 だが、つい先日、聖が引退というニュースを聞いて、相良は居てもたってもいられず、スターチャートに今後の報告という名目で一時帰国をしたのだった。 「おっせーな…」 腕時計で時刻を確認すると、待ち合わせの時間を少し過ぎており、相良は苛立ったように指の爪先で机を数回叩いた。 「相良先輩、お久しぶりです」 声をかけられ、相良は眉間に皺を寄せた顔でカウンターチェアに腰かけたまま後ろを振り返ると、そこには昔なじみで元後輩の隼人が、笑顔で立っていた。 「おっせーよ。帰国早々の俺を呼び出した本人が遅刻なんて、いい度胸しているなー。この業界、時間厳守が鉄則だよなー?」 「やだなぁ。相良先輩があまりに儚げで綺麗になりすぎていて、声をかけるのを躊躇っていたんですよ」 「けっ、よく言うよ」 隼人は相良と同じカップが乗せられたトレイを目の前のカウンター席に置くと、相良の隣に腰かけた。 「げっ。なんですか、その砂糖とミルクの量」 ブラック派の隼人は、相良のカップの横に置かれた砂糖とミルクのゴミの量を目にして、思わず声に出して驚いてしまう。 「いいだろ、俺がどう飲んだって。俺にとってコーヒーは、昔から糖分補給なんだよ」 「糖分補給ですか…。昔、榛名さんも同じこと言って飲んでいましたよね」 「そうそ…う…」 昔を懐かしむように笑う隼人につられて、笑いながら榛名の話をしようとした自分に、相良はひどく驚いた。 あんなにも思い出すことが辛かった気持ちが、いつのまにか失いかけていることに気付いた相良は、次第に鼓動が速くなり、慌てて席を立とうとした。 「ば、場所変えるぞ。ここは落ち着かない…。この近くに昔行っていた喫茶店があるから、そこに行こう」 相良はトレイを持ち上げ、セルフの返却カウンターに向かおうとするが、隼人に腕を掴まれて、妨げられてしまう。 「待ってくださいよ。一体どうしたっていうんですか?」 「別に…。ただ、こんな場所で、落ち着いて話なんか出来ないってだけだよ」 目を合わせようとせず、表面上の笑みを顔に浮かべた相良の腕は、隼人には微かに震えているように感じ取れた。 「震えるほど、あの人のことを思い出すのが怖いんですか…?」 「ちがう、そうじゃない…。俺は…忘れないって約束したんだ。忘れちゃいけないんだ…。だから…」 相良はまるで自分に言い聞かせる呪文のように、榛名との約束を口にした。 そうでもしないと、榛名のことを過去のものにしようとしている自分が許せなかったからだった。 「ねえ、相良先輩。あの人は、あなたにこんなこと、望んでいなかったはずですよ」 「っ!お前に何がわかるんだよ…。俺は…!」 思わず大声を上げてしまった相良は、慌てて辺りを見渡すと、自分たちが店中の視線を集めていることに気付いた。 だが、隼人はそんなことは全く気にせず、ただ相良だけを見つめて優しく笑いかけると、掴んでいた相良の腕から手を離した。 「相良先輩。とりあえず、座りましょ?」 「…ああ」 仕方なさそうに、持っていたトレイをもう一度カウンター席に戻し、相良は席についた。 座ったことによって落ち着いたのか、相良は深い溜め息をつくと、頬杖をついた。 「なんか、お前には俺の駄目なところばかり知られるな。先輩らしいこと、何もできてないわ…」 自分に呆れるように鼻で笑った相良に対して、隼人は首を横に振った。 「いえ、俺にとって相良先輩は、ずっと憧れで目標です。それは、今も昔も変わりません。だから、そんなこと言わないでください。もう、これ以上、無理して笑わないでください」 「隼人…」 相良を見つめる隼人の目は、真剣だった。 「憧れ…か…。サンキューな。お前にそう言ってもらえると、頑張ろうと思えるわ」 カフェや空港でのやりとりはもちろん、自分の弱い部分やΩだと知っても変わらず接してくれる隼人に、相良は安堵の笑みを浮かべると、ふと、今日聞いた、あることを思い出した。 「そういえば、お前、会社作るんだってな。すごいな」 「もう知っているんですか?」 「さっき、スターチャートに言ったら、社長が教えてくれたんだよ」 「ああ、なるほど。でも、会社と言っても、ただの個人事務所ですよ。俺が好きなように続けるには、そうするしかなかったんで。ほら、聖様が引退すると、俺、自動的に専属解除で無職なんですよ」 引退という言葉を聞いた相良は、胸中がどうしようもなくざわついた。 「…。なあ、聖が引退って、本気なのか?活動休止ならまだしも、引退って…。しかも、社長も理由は知らないって言うし…。隼人は知っているのか?本当の理由…。実はどっか、悪いとか…」 本気で心配しているのが誰が見ても分かる様子なのに、それを悟られないよう平静を装う相良に、隼人は笑って答えた。 「安心してください。聖自身、至って健康で、歌えなくなったわけでもないです。でも、やらなきゃいけないことが終わったから辞める。それ以外アイツ、誰にも何も言わないんですよ」 「やらなきゃ…いけないこと…?」 「相良先輩は…やっぱり、気になります?」 「そりゃあ…。でも、先輩として、その…心配しているだけで…」 相良はソーサーに置いていたスプーンを手に取ると、冷めてしまったキャラメル色のコーヒーを、慌ててかき混ぜ始めた。 「そ、それより、俺をこんなとこに呼び出した理由、そろそろ教えてくれよ。まさか雑談しにってわけじゃないだろ?」 「実は…。俺も理由を知らないんですよ。璃玖から急に頼まれたので」 「神山から?なん…」 「僕も璃玖君に呼ばれたんですよねー…」 相良が言いかけた時、聞き覚えのあるよく知る声が背後から聞こえ、相良は慌ててスプーンから手を離し、振り向いた。 「ひ、聖!」 振り返ると、そこにはサングラスをかけて素顔を隠した聖が立っていた。 「あ、そういうこと…」 隼人は聖と相良を見比べると、何かを察したように席から立ち上がった。 「あー…。俺、この後仕事あるから、もう行かないと。聖、これ、口つけてないから、代わりに飲んでってくれよ」 カウンター席に置かれた自分のコーヒーを指差し、隼人は聖と入れ替わるようにその場を去ろうとした。 「ま、待て、隼人!」 そんな隼人の服の裾を相良は慌てて掴み、隼人を呼び止めた。 「相良先輩…。いいかげん覚悟を決めて、聖とちゃんと話したほうがいいですよ」 「そんなこと言ったって俺…」 聖がサングラスで隠した目でこちらを見つめていることに気付いていながらも、目も合わすことが出来ず俯き気味の相良は、隼人にまるで助けを求めるような目を向けた。 その様子に、隼人は呆れるような溜め息をつくと、服の裾を掴む相良の手に手を重ね、手を離させた。 「じゃあ、話さなくてもいいんで、俺に見せた泣き顔、いいかげん聖にも見せてやればいいんですよ」 「泣き顔…?」 聖は隼人の言葉に、眉間に皺を寄せると、苛立ったように腕を組んだ。 「隼人!誤解を招く言い方するな!!…はっ!」 思わずまた大声を出してしまった相良は、慌てて辺りを見渡すと、再び店内の注目の的となっており、数人と目が合うが、視線を瞬時に逸らされた。 「ほらほら、ここでも騒ぐんですか?たまには静かに出来ないんですか?相良先輩の声は通るんですから」 聖に指摘され、相良は顔を赤くする。 その様子に、隼人は思わず昔を思い出し、吹き出してしまう。 「隼人、何笑って…!」 「いや、懐かしいなって…。じゃあ、相良先輩。こっちにいる間に、俺の会社設立記念やるんで、絶対に来てくださいね」 聖の横を、隼人は笑いを堪えながら通り過ぎようとするが、急に何かを思い出したかのように、聖の肩に手を置くと、そのまま聖の耳元で囁いた。 「あまり、先輩をいじめるなよ」 「それはどうかな」 不敵な笑みを浮かべる聖に、隼人は再び笑った。 「おー怖い、怖い」 「そういえばお前、とうとう運命の番、見つけたんだって?」 「さすが、聖様は耳が早い」 「まさか、僕の探しものがお前のところにあるとは思わなかったよ。…もう番にしたのか?」 「さぁー。仕事とプライベートは分けたいんだよねー、俺」 「よく言うよ。散々、僕の周りで食い散らかしたくせに。まあ、いいや。今日は頼んだぞ」 「へいへい。後輩の晴れ舞台ですから、頑張らせていただきますよ」 隼人は笑いながら、後ろ手で二人に手を振って去っていった。 「さてと…。相良先輩、とりあえず座りましょうか?」 「あっ、ああ…」 聖に促され、相良はつい、逃げ出すことも忘れ、先ほどまで座っていたカウンターチェアに、また腰を下ろしてしまった。 聖も先ほど隼人が座っていた相良の隣に腰かけたが、そのまま何も言わず、目の前の外の様子を、ゆっくりと見渡した。 サングラスをかけたままの聖の横顔を見つめていたが相良だったが、その視線に気が付いた聖と目が合うと、すぐに目を逸らしてしまった。 逸らしたにも関わらず、ずっと自分に向けられている視線を感じた相良は、居た堪れなくなり、顔を上げることなく、今度はコーヒーの中身を俯くようにじっと見つめた。 すると、カウンター席に何かが置かれた音がして、相良が思わず視線を向けると、それは聖がサングラスを外して、机に置いた音だった。 「お、おい、サングラスなんて外したら、お前が聖だって…」 相良は慌てて、周りをキョロキョロと見回してしまう。 「堂々としていれば、逆にバレないもんですよ。まあバレても、僕は今、HIJIRIじゃなくて、僕個人としてここにいるから、いいんですけど」 サングラスを外した素顔を向けてくる聖に、相良は自分の胸が高鳴ったことに気付き、また聖から目を逸らしてしまう。 「何言ってんだよ…。意味が…分からない…」 「そうですか?」 肩を竦めて悪戯に笑う聖の横顔に、動揺していることを見透かされていたような気分になった相良は、そのまま言葉に詰まってしまい、無言になってしまう。 治まることのない鼓動の速さを決して悟られまいと、静かに呼吸を整えると、相良は無理やり平静を装った表情を作り、聖の横顔をもう一度見つめ、話し始めた。 「それで…。どうして、お前が…ここにいるんだよ。忙しいんじゃないのか?」 「璃玖君に、ここから見てほしいって頼まれたんですよ。まさか先輩もいらっしゃっていたなんて、びっくりです」 「見て欲しいって何を…」 「あ、ほら、始まりますよ」 聖は外に向かって指をさした。 聖が指さした先は、大型液晶画面で、そこにはカウントダウンが表示されていた。 カウントと同時に、先ほどまで何かを待っているように立ち止まっていた人達から歓声が上がった。 そして、数秒のカウントダウンが終わると同時に、映像と音楽が流れ始めた。 それは、璃玖と一樹のデビューシングルのミュージックビデオだった。 「神山と八神…」 「ええ。今日はこの後、二人のデビュー記者会見なんですよ。あれは、ファンへの先行お披露目なんです」 「じゃあ、あいつら…本当に夢を叶えたんだな」 「ええ。本当によく頑張りましたよ」 「そっか…」 相良はまるで自分のことのように嬉しくなり、窓ガラス越しに見える大型液晶画面から目が離せなくなっていた。 「すごいな、あいつら…。息の合ったダンスパフォーマンスだし、歌も比べ物にならないくらい、うまくなった」 「はい」 「正直、神山と八神では実力に差がありすぎると思っていたが…。神山は頑張ったんだな」 「僕も驚きました。でも、それだけじゃないんですよ」 「それだけじゃ?」 「ええ…。この曲の作詞作曲は璃玖君なんです」 「えっ…。本当なのか…?」 相良は目をパチクリさせる。 璃玖の作った曲を聞いたのは、自分の即興の授業の時だけで、たしかに人を引き込む何かを持つ曲を作る素質があると思い、その時は強みになると思ったが、まさかここまで成長するなんて、相良は思ってもみなかった。 「いい曲ですよね。僕に作ってくれた曲以上の完成度で、少し妬けました」 「神山が聖に曲…?」 「ええ。最近の僕の曲は璃玖君が作ってくれていたんですよ」 「そ、そっか…」 一度も聴いたことがない聖の曲について話すことが出来ず、相良はそのまま言葉に詰まってしまう。 今、そのことを素直に聖に伝え、自分の弱さを曝け出すことが出来たら何かが変わるかもしれないと、ふと頭に浮かんだ相良だったが、まるで耐えるように、カウンターテーブルに置いていた手でゆっくりと拳を作った。 すると、聖は黙って、その手に自分の手を重ねてきた。 「えっ…」 思ってもみなかった聖の行動に、相良の心臓は跳ね上がるが、重ねられた聖の手を払いのけることは相良には出来なかった。 聖は何も言わず、目の前の映像を嬉しそうに見つめたままだったが、その見つめる先には璃玖がいると気付いた相良は、涙が溢れそうになり、自分から払いのけられない手の代わりに首を横に振った。 「離せよ…。お前は神山の…」 「運命の番…ですか?」 聖と久々に再会した特別レッスンで、静かに耳元で告げられた時の衝撃を思い出し、相良はさらに胸が締め付けられ、聖から顔を逸らした。 「…そうだよ。お前ら運命の番なんだろ?だから…」 「だから…なんだっていうんですか。もう、僕は離しませんよ。だいたい、運命なんて関係ないって、あの子たちが証明してくれているじゃないですか。運命の番と結ばれなくても、あんなに幸せそうですよ」 「それは…」 相良が言いかけたところで、曲が終わると、画面に璃玖と一樹が並んで話し出した。 『僕、神山璃玖はΩです』 『俺、八神一樹はαです』 急に衝撃的な発表をした二人に、足を止めていた通行人も、わざわざ見に来ていたファンにも衝撃が走ったことは、離れた場所の相良の目から見ても明らかだった。 「お、おい…こんなこと公表するなんて…」 「しっ…。黙って聞いていてください」 聖は自分の口元に人差し指を立ててあて、相良に黙るように促した。 『今、聴いていただいたのは僕が作詞作曲をした、僕たちのデビューシングルです。ありのままの僕たちを見て欲しいという思いで作りました』 『曲を通じて、一人でも多くの人を笑顔に出来るよう、これから頑張っていきますので、応援お願いします』 深々と画面越しにお辞儀をする璃玖と一樹に対して、応援するように拍手をする人たちがたくさんいることに気が付いた相良は、胸が熱くなった。 「璃玖君、そして一樹君たっての希望なんですよ。自分たちの性別は隠さないでデビューしたいって」 「あいつら…。うん、やっぱりすごいな…」 「だから、強くなったって言ったじゃないですか」 「俺にも、そんな強さがあったら…。何かが変わっていたのかな…」 相良はボソッと呟いた。 「…」 聖は黙って真剣な顔で相良を見つめると、重ねていた相良の手を、今度は優しく包み込むように力を込めて握った。 「あ…今のはその…」 相良は初めて聖に弱音を見せたことに気付き、思わず戸惑ってしまう。 だが、そんな動揺した相良の手を、聖はもっと強く握った。 「ねえ、相良先輩…。僕にもいいかげん、そういうところ見せてくださいよ」 今までで一番真剣な目で聖に見つめられた相良は、聖から目が離せなくなってしまう。 すると、いつの間にか、次の曲が流れ始めていた。 その瞬間、相良は液晶画面に釘付けになった。 「まさか…」 相良の心臓の鼓動は加速していき、心が震えた。 流れ始めたのは、二年前、聖に頼まれて璃玖が完成させた、榛名の書きかけの歌詞の曲だった。 「やってくれたな、あの子たち…」 聖はばつが悪そうにしながらも、画面を見つめて優しく笑った。 「な、なあ、この曲って…」 「…。榛名さんの書きかけの歌詞から、僕が璃玖君に頼んで作ってもらった曲です」 「書きかけ…?榛名の…?」 「そうです。二年前…。僕のコンサートで、相良先輩に聴いて欲しくて、璃玖君に頼んだ曲です」 「なんでわざわざ…」 「…。榛名さんに頼まれたんですよ。僕に書きかけの歌詞を送ってきて、続きを僕に作って相良先輩に届けて欲しいって。でも、僕には出来なかった。それで…璃玖君に頼んだんです。あの子なら、榛名さんの気持ちを、ちゃんと受け止められるって」 「じゃあ、これは榛名の…。やっぱり、榛名の曲なんだな…」 「そうです。榛名さんの曲ですよ」 「そっか…」 相良はそのまま目を閉じると、メロディー、歌詞、ひとつも聞き逃さないように集中した。 あんなに避けていた榛名の曲は、スッと相良の中に吸い込まれるように、歌詞とともに自然と受け入れることが出来た。 「聖は…。俺にこの曲を…榛名の思いを、届けようとしてくれていたんだな…」 「…そうですよ。なのに…。あなたは何も言わずに、また僕から離れていってしまった…」 ゆっくりと相良は目を開けると、覚悟を決めたように、聖に覆うように握られていた手を、震えながらも、自分から握り返した。 「なあ、聖…。忘れないでって、どういう意味だと思う?」 「…」 「俺はずっと、一番にして心に置いて欲しいことだと思っていた。でも…」 「それは…。璃玖君が、僕の代わりに答えを出してくれたと思いますよ。あとは、あなたがどう思うかです」 「そっか…」 相良はそっと、涙を流した。 「相良…先輩…」 「なあ、ひじ…り…」 何かを言いかけた相良の口は、聖の唇に塞がれてしまった。 相良は目を開いたまま、状況が理解出来ずにいると、聖はゆっくりと唇を離し、悪戯した子供のような笑みを浮かべた。 「驚いて、涙、止まりましたね」 「お前…」 顔を赤くしながら唇を手の甲で覆った相良を、聖は今度は真剣な目で見つめた。 「ねえ、相良先輩。俺にもう一度、追いかけさせてください」 「え?」 「HIJIRIを引退して、ミュージカルを一から勉強する予定なんです。今度こそ、あなたの隣に立てるように…ね」 「まさか、それが引退の理由なのか?」 「悪い…ですか?」 いつもであれば余裕の笑みを浮かべる聖が、まるで照れ隠しのように不貞腐れていて、見たことのない聖の姿に、思わず相良は吹き出してしまう。 「いや…。うん、お前らしいわ」 そういった相良は、今度は自分から聖に唇を重ねた。 「…!」 目を白黒させ、動揺を隠しきれていない聖に、相良はまた、笑いが零れてしまう。 「ふっ!なんだその顔」 「こ、これは…」 聖が動揺したところを初めてみた相良は、今度は握っていた聖の手に指を絡めた。 「さっさと追いかけて来いよ。まあ、そんな簡単にはいかないと思うけど」 「ええ。もちろんです。今度こそ、僕はあなたを逃がさないので、覚悟してください」 聖と相良はお互いを見つめあうと、もう一度どちらからともなく唇を重ねた。 三度目のキスは、コーヒーの香りはするものの、聖にとって今までで一番甘いものだった。

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