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一、
「飛べない夜の鷹を、どうか天へ連れていってください」
黄昏も過ぎて墨の溶けたような宵闇の辻で、通りがかりの男に声をかけたのは、もはや珍しくもない夜鷹である。夜鷹とは、いわば私娼であり、幕府から公に認められてはいないが、かといって現状では取り締まられてもいない売春だ。
夕暮れ頃から道に立ち、堂々とおもてで男に声をかけて情けを求める。そうして持ち運んでいるむしろを褥かわりにし、一食分程度の代金を目当てに体を開いた。
「へえ、空を飛んでみたいか?」
「……はい。どうか」
ざらめと名乗る夜鷹もまた、行きずりの男へ声をかける。吹き流しにかぶった手拭いの下の顔を、男は品定めするように覗き見た。ほぼほぼ一度きりの処理相手ではあるが、やはり顔は気になるのだろう。どうせ欲を発散する相手なら、不器量の老婆よりも、器量良しの若い娘の方がいいに決まっている。
「へっ、天どころか極楽にでも連れてってやらぁ」
「ああ、そんな」
肩を寄せられる。知らない男の吐息が獰猛を帯びて始めた。ざらめの姿勢が少し崩れ、下駄の足先が半歩ほど動く。
「……では、……こちらへ」
ざらめは男に目配せをすると、草むらの方へ歩き出す。うなじで緩く結んだ、油を塗ってつやを出した黒髪がゆるやかに揺れる。なんとも艶めかしいことだ。
男は思わず舌なめずりをする。蕎麦一杯ていどで女が抱ける……なんとも手軽だった。
「行きましょう、極楽に」
陽の光の下で見れば綺麗な千草色であろう小袖を裾からまくり、ざらめは敷いたむしろに四つん這いになる。まるで犬のような淫らな姿勢に、男の息遣いがあがる。
向けられた白い臀部が、待ち遠しそうにふるりと揺れる。しかし挿入の直前になってふいに、男の動きが止まった。
「お前、は――」
◆ ◆ ◆
小さな灯りに、かけ蕎麦の湯気がほくほくと溶け入る。
二八蕎麦の屋台にて、六十は過ぎているであろう夜鷹が蕎麦をすすっていた。これから仕事なのだろう。このあたりは蕎麦の屋台はどこも盛況で、その客といえば主に夜鷹である。
「蕎麦三つ」
「……あいよ」
とはいえ、ここの主は愛想が悪いというほどではないが、どこか反応が薄く手応えのない暖簾のようで、どうも近寄りがたい。屋台には流行りの風鈴もぶら下げていないし、屋台のなかでは穴場ともいえる。
「かけ蕎麦三つ、お待ち」
この店主の名を、しまきといった。元は武士であるが刀を捨て、いまではしがない蕎麦売りをしている。
月代はすでに総髪となり、着物もずいぶんと着崩している。人の近寄りがたいのは、これも原因なのかもしれない。
「は~、やっぱり寒い夜は蕎麦が一番」
「うーんうまいうまい」
腹をすかせた中年の三人連れは、それぞれどんぶりを持ちずるずると蕎麦をすする。そうしているうちに老いた夜鷹は食事を済ませ、屋台を去って行った。
「ありゃ夜鷹か?」
「むしろ持ってるってことはそうなんじゃねえか」
「あんなばあさん抱くってよほどだな」
男たちは過ぎ去る彼女をあざけ笑った。店主には聞こえているのかいないのか、やはり感情の動きはあまり見えない。
「そういや、このあたりに男の夜鷹が出るって知ってたか?」
「男? そりゃ陰間じゃねえのか」
「いや。それが夜鷹なんだと」
会話の合間に、ずるずる、ずるずる、と麺の吸い込まれる音が響く。
「おい旦那、男の夜鷹のこと知ってるか?」
「……いや」
ふいに話を投げられ、しまきはそちらを見やるが、やはり短く答えるだけだった。男たちはそれを特に気にするでもなく、好き勝手に話しを続ける。
「なんだお前、興味あんのか」
「そういやこいつ、色子に入れ込んでたことがあるからな」
「うるせえ! なくもねえが、やっぱり女の柔らかさが一番だろ」
下世話な種を花と咲かせて、男たちはあっという間に蕎麦をたいらげた。そうして代金をしまきへ渡すと、またわいわいと話ながらどこか知らないところへ帰っていく。
しまきはただ淡々と、次の客にどんぶりを盛り始めた。
◆ ◆ ◆
「あっ、ああっ……」
「男だって知ったときゃどうかと思ったが、いい臀じゃねえか」
草むらといぐさが、男が腰を振る度に、かすかに擦れ合って乾いた音を立てる。
「はっ、は、陰間に行くより手軽でいい」
「ん、あ……奥ぅ……」
ざらめは男に身を委ねながら、ゆっくりと振り返り、ねだるように言う。その見返る視線はまるで流し目のごとく色っぽく、男は気をよくした。
客の言う通り、ざらめは男である。それも元は陰間茶屋に身を置く男娼であったが、いまはこうして夜鷹として生きていた。
「ああ。ここだなっ?」
「あっ、そこ……ん」
背後から突かれ、ざらめの体が揺れる。その度に彼は腰をくねらせる。別段それは、具合がよいとか、そういうことではない。
この仕事ではどれだけ客を悦ばせられるかが重要であり、それ次第では代金が弾むことがあれば、贔屓として寵愛されることもあるのだ。つまりこれらは、全てざらめの演技である。
「いい、締め具合だな……もっと鳴き声を聞かせろ」
「……はぁ、あ、あ……っ」
ぐいぐいと陽根を押し込まれ、一層よいふりをする。
ざらめはまるで金平糖の溶けるような、甘やかな声を響かせた。
つづく
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