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アレキサンドライト・ロング・デイ【シローサイド】──18

 まさか頭ごちんが解除方法の一つだなんて思わなかった。ユーキさんの体調なんて関係なくあの時やっていれば、なんて今言っても仕方がないか、と俺は、わーい、の万歳の腕をゆっくりと下ろす。ユーキさんは綺麗に拭いた眼鏡を掛け直して、あん? と眉間が寄った不機嫌顔を俺に向けた。 「……健康な身体が懐かしい」 「え」 「もうちょっと入れ替わっててもよかったかなーっつって」  後ずさると、冗談だ、とユーキさんはコートのポケットに手を突っ込んだ。そして顔を背けたまま、こう言った。 「──トールさんの事だけど」 「あ、は、はい……」  うやむやのままにするつもりかと思っていたが、違った。 「シロちゃんの親戚だからって今のとこ引くつもりは、ない」  引く? 「今は色々考え中でよ。まぁ、そっちの方が色々考えるとは思うが──」 「──待ってください」  俺は止めた。 「俺、良いと思ってます。二人の事」  大人だから色々あるかもしれない。同性同士だって事も理解が得られない事が多いかもしれない。  でもそんなの、俺には関係ない。  トールさんは昔から色んな事を俺に教えてくれた。助けてくれた。変な人なのは否めないけど、どんな事があろうと俺の叔父さんには変わりない。ユーキさんも知り合って間もない人だけど近い大人の人で、今日こんな事があったばかりだからかもしれないけど、そうじゃなくても近くに居たい人だ。  もっと、学びたい人なんだ。 「……そ?」 「はいっ!」 「ふ、いー返事」  ユーキさんはほっとしたように笑う。こんなに笑い合えるなんて少し前までなかった。俺も釣られて──嬉しくて笑ってしまった。 「じゃ、帰るか。帰りたかねぇけど」  ユーキさんの家にはトールさんがいる。まだ気を失っているか寝ているか。 「俺も一緒に行きますか?」 「いーよ、気にすんな。お前は早くお家に帰りなさい」 「子供扱い……」  そう言うとユーキさんは胸をとん、と軽く殴ってきた。 「早く帰ってやれっつってんの」 「……わかりました。じゃあ──お疲れ様、でした?」 「ふはっ、はいはい、お疲れさん。あー、タクシーで帰るか?」 「いいえ、走って帰るんで!」  おやすみなさい、と俺はすぐに走り出した。ほぼ丸一日ヘースケさんを見ていない。なんか急に、会いたくなった。  早く、早く帰りたい……っ。 ────  急いで帰った俺は家に着くなりすぐにコートを脱ぐ。暑くて仕方がなかった。リビングの電気を点けて、ヘースケさんは、と探す。廊下に出て、仕事部屋の電気が点いていない事に気づいて、もうこんな時間だし寝てるかも、と寝室をそっと開ける。まだ荒い息を落ち着かせて、ふくらみのあるベッドを確認する。  ……なんでだろう。久しぶりに会った気分だ。  静かに近づいて膝をついて寝顔を窺う。ぼさぼさの髪に、好きな顔は目を瞑っている。一定の寝息は安心する。そっと前髪を掻き上げた時、起こしてしまったようだ。 「……シロー君?」 「……はい、起こしちゃいましたね」 「いーよー……買い食いは楽しかった?」  何その理由。ああ、ユーキさんが俺を助けに来る際に適当に言ったのか。でも買い食いって、もうちょっとましな理由はなかったのかな。  少し笑って、視線が同じになるようにベッドに緩く頬杖をつく。寝ぼけ眼のヘースケさんは細目で俺を見る。 「はい、楽しかったです」 「そっかぁ……よかったねぇ──」 「──でもすぐにヘースケさんに会いたくなっちゃいました」 「ひひっ……変なのぉ」  ヘースケさんからすればそうかもしれない。  でもねヘースケさん、今日、色んな事があったんだよ。俺は俺じゃなくなって、色んな事が見えたんだ。多分言っても信じてくれないかもだけどさ。 「──へっくしょいっ」  くしゃみが出てしまった。寒い外にいすぎたせいか。 「はい」  ヘースケさんがよじよじと布団の中を動いて、べろ、と布団を捲った。 「おいでぇ」 「え、あの──」 「──甘やかしてあげるぅ」  何それ、と思った。寒いから早く、と言われて俺は、失礼します、なんてたどたどしく答えて入った。しかもヘースケさんの腕枕付きだ。  立っている時はいつも目線が下になるヘースケさんだが、今は視線が上になっている。それだけの事なのに、何だかとても恥ずかしい。 「あー、言ってなかったねぇ。おかえりぃ、シロー君……」  おかえり、の声に俺は目を見開いた。ヘースケさんはもう目を瞑っている。頭を抱えるように撫でられた。それだけなのにあったかくて、なんでか、泣きそうだった。  ただいま……。

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