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第1話 side:A
12月24日、時刻は午後6時――。
定時きっかりに勤め先の出版社を出た月形 アユムは、弾む足取りで恋人の元へ向かおうとしていた。
勤め先から彼の部屋まで行く列車の時間は調べなくてももう頭に入っている。
けれども今夜はその前に、予約していたクリスマスケーキを取りに行くつもりだ。
「楽しみだなあ」
つぶやき、財布に入れていたケーキの予約伝票を取り出した。
高2の夏から付き合っている彼とは、もう7度目のクリスマスになる。
しかし学生時代は家族の手前、ひと晩べったり、みたいなことはできなかった。
そして今日はついに社会人になって初めてのクリスマス。
彼をどうやってベッドに誘おうか。
人気の洋菓子店に向かって歩きながら、アユムの胸は期待と興奮にふくらむばかりだった。
*
「こんばんはー」
裏路地にある洋菓子店のドアをくぐると、店内にはツリーとキャンドルが飾られていた。
「予約していたケーキを取りに来たんですが」
アユムは握って歩いていた予約伝票をカウンターに出す。
店主らしきエプロン姿の男がそれを受け取った。
「ブッシュドノエルですね。お待ちください」
店主が奥の冷蔵庫を確認する間、アユムは何気なくショーケースを眺める。
さすがクリスマスイブ、ほとんどのケーキがすでに売り切れ、残っているのはシュークリームにプリン、それに焼き菓子くらいだった。
(予約しといてよかったな……)
アユムはほっと胸を撫で下ろす。
ところが……。
「すみません。ご予約のケーキを、バイトの子が間違って売ってしまったみたいで……」
店主が申し訳なさそうに頭を掻いた。
「そんな……僕はここの評判を聞いて1カ月前から楽しみにしていたのに」
「本当にすみません。その代わりあなたには特別なケーキをお譲りします!」
銀色の業務用冷蔵庫から、白い大きな箱が取り出される。
「生クリームかチョコか、開けてからのお楽しみ! 生クリームが出れば今夜は天国のようなクリスマス、チョコクリームなら人生のスペクタクルを楽しめる。これはそんな特別なケーキなんです」
「つまり、この中身は開けてみなければ分からないと……」
アユムは眼鏡を押し上げ、ラベルの貼られていない白い箱に目をやった。
「店長さん、失礼ですがこれは、中身を確認せずに箱詰めしてしまった余り物では……」
「そ、そんなことはありませんよ!」
「本当ですかあ?」
苦笑いしている店主の顔を眺める。
彼の主張は疑わしいものだが、この箱の中身がこの店のケーキであることは間違いなさそうだ。
そして手ぶらで恋人の家へ行くより、詳細が不明でも人気店のケーキを持参する方が懸命だろう。
少しの間考え、アユムはそんな結論に落ち着いた。
「……分かりました、じゃあこれでいいです」
「ありがとうございます!」
店主はいかにも難を乗り切ったという笑顔だ。
まあいい。ずっしりと重みのある紙袋を受け取り、アユムはイブの洋菓子店をあとにした。
通りへ出ると、駅まで続く街路樹が無数の豆電球をまとってキラキラと輝いている。
(そうだ、ケーキ持っていくってハヤトに電話しとこうかな!)
アユムは片手に荷物をまとめ、もう片方の手で恋人の番号をコールした。
「あっ、ハヤト。これからそっち行くね!」
電話が繋がり弾む声でそう伝えると、返事が聞こえるまでに間があった。
「悪い、締め切りがヤバくて」
「え? でも今日行くって、僕、先週にも言ったよね?」
「分かってる、けど今日じゃなくてもいいだろう」
電話の向こうの人はひどくつれなかった。
というか青天の霹靂だ。
彼は作家で締め切り前は会えない時もあるけれど、まさかクリスマスイブに会うのを拒否されるとは思わなかった。
「待って待って! 1時間だけ、食事だけでもダメ!?」
ベッドになだれ込む気満々だったアユムとしては、泣く泣くの譲歩だったが。
「ホント悪い、今お前のこと考える余裕ない」
それから2秒、電話は呆気なく切れてしまった。
「え~……」
イブの夜、きらめくイルミネーションの下。
ケーキを抱えた22歳の男は立ち尽くす。
そして状況を頭の中で整理するにつれ、だんだんと怒りが湧いてきた。
(告白も僕からだったし、いつも家に押しかけるのは僕。どこか行こうって誘うのも、ベッドに誘うのもいつも僕……。だけどそれを受け入れている向こうにだって、それなりの礼儀と責任ってものがあるんじゃないの!?)
重たいケーキを街路樹にでも投げつけたくなって、アユムはそれを思いとどまる。
ケーキに罪はない。
けどこんな大きなケーキをどうしたらいいのか。
ひとりじゃ食べきれないし、これから職場に戻って人にふるまう元気もない。
これを持って電車に揺られて実家に戻るのだって嫌だ。
帰れない距離ではないけれど、電車や途中の道は、きっと幸せそうなカップルであふれている。
「ハヤトのばか~!!」
叫んでずんずん歩きだしたところで、どこからか大きな音が聞こえてきた。
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