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第2話 side:S

「今日じゃなくてもいいでしょ!」 「今日じゃなきゃダメなんだよ!」 その時佐脇(さわき)志童(しどう)は、恋人が出かけるのを阻止しようとしていた。 場所は彼の個人事務所の勝手口。 目の前に立つ恋人は、お気に入りのスーツにネクタイ、新しい靴。 その上、甘いコロンの香りまで漂わせていた。 まるでデートにでも行くような格好である。 「天心(てんしん)、今日がなんの日だか知ってる!?」 志童が聞くと、彼は面倒くさそうにため息をつく。 「クリスマスイブだろ」 「そういう日に誘われてホイホイついていくなんておかしい!」 「おかしくないだろ! こっちは仕事で行くんだ」 「じゃあなんてそんな格好なの?」 「それは……マダムから、食事に行くからちゃんとした格好で来いっていわれた」 「ほらそれ、仕事じゃないよ!」 「接待も仕事のうちなんだって!」 戸口でのにらみ合いは続く。 志童としては、彼のこういう仕事の仕方が気になっていた。 小柄で細身、整った顔立ちをした天心は、男性にも女性にもよくモテる。 客の何割かは、そんな彼に下心で寄ってきて、彼自身もまた下心で客のふところを狙っていた。 だからといって天心はお世辞は言わないし、簡単に体に触れさせたりもしないけれど……。 それでもその関係は危ういバランスで成り立っているように、志童には見えていた。 「やっぱり今日はよしなよ。恋人が行かせたがらないって、俺のこと断る理由にしていいからさ」 そんな志童の提案を、彼はすげなく却下する。 「俺たち、そんなオープンな関係じゃないだろ」 「え……?」 「クリスマスには恋人と過ごすべし、なんていう最近の風習にも俺は参加する気ないからな!」 「そんなあ……」 呆然としてしまったその時、勢いよく腕を押され、志童は戸口から一歩後ろへ引く。 天心がするりと脇をくぐり抜け、通りの向こうへ駆けて行ってしまった。 「ちょっ、天心!? ……うわっと!」 追いすがろうとして、志童はガードレールに足をぶつける。 そして体勢を立て直した時には、恋人を乗せたタクシーがもう走りだしていた。 「えーっ、ちょっと待ってよ」 志童は彼と一緒に食べようと買ってきた、チキンのバスケットを見下ろす。 バケツサイズのバスケットからは、香ばしい香りが立ち上っているっていうのに……。 (つまり、どういう意味? 俺よりお金持ちのマダムが大事?) きっと彼はいいものを食べ、いいお酒を飲んでくるんだろう。 学生でお金のない志童にとっては、バスケットいっぱいのチキンだって奮発して買ったものだったのに。 そして……。 (俺たちってオープンな関係じゃなかったんだ……) もともと幼なじみで仲良しなのに、男同士だからって付き合い始めたらこそこそしなきゃいけないなんて。 志童としてはまったくもって納得がいかなかった。 「もー、天心なんか知らない!」 さっきぶつかったガードレールにひざ蹴りする。 と、視線を感じて振り向くと、自分と同い年くらいの青年が驚いた顔をしていた。 「うわー、ごめんね! びっくりしたよね? でも、なんでもないから大丈夫! ガードレールもほら、無事みたいだし……」 慌てて言ってガードレールを手で撫でる。 すると彼はくすっと小さな笑い声をもらした。 「そのチキン、美味しそうだね」 「え……?」 「僕なら恋人と食べるチキンを選ぶけどなあ」 セルフレームの奥の目が笑っていた。 「あー……もしかしてさっきの、聞こえてた?」 気まずい思いで聞くと、彼は微笑みを浮かべたまま小首を傾げてみせた。 子供っぽさを残す柔和な顔立ちに、その仕草はよく似合っている。 「接待も仕事のうち、辺りから?」 「……そっか」 「僕の彼も仕事が命みたいな感じ」 (彼……?) ガードレールを撫でていた志童は、上半身を起こして眼鏡の彼に向き直った。 つやつやな黒髪と黒い瞳が、イルミネーションの光をはね返している。 その彼が言った。 「甘いもの好き?」 「好きだけど……」 「じゃあ一緒にケーキ食べない?」 志童は戸惑いながらも頷く。 唐突なその誘いに乗ったのは、彼に自分と似たものを感じていたからだと思う。

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