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第70話
「ま、まだ、待って……」
「……待ってって……オレはいつまで待てばいいんだ?」
少しだけ焦れた声で聞かれ、優志は焦る。でもまだ待って欲しいのだ、具体的にあと何分かと聞かれると困ってしまうのだが、まだ心の準備が整わない。申し訳ないとは思うが、もう少しだけ待って欲しいのだ。
だが、もう樹は待つつもりはないのか、真剣な顔を近付け肩を掴まれるとベッドへ押し倒された。
「い、樹さん?!」
「……風呂だって一緒に入ろうって言ってダメだったろ、そこからオレは1時間待った……いい加減待つのにも飽きたんだよ、優志」
「でも……」
「……もしかして、眠いのか?」
「眠くはない……ただ、その、まだ心の準備が……」
困ったような優志の顔を見つめながら、樹は溜息を吐く。押し倒したものの先へ進もうとしないのは、まだ待ってくれるという事だろうか。
この部屋に来たのが既に深夜1時位、想いを伝え合い直ぐにでもベッドへ連れて行かれそうになったのを風呂に入ってからと待って貰った。別々に風呂へ入り終わってからも優志はベッドへ行くのをゴね一時間……。
漸く寝室へ来たのに優志はまだ迷いを見せている。
「……今日はもう寝るか?オレはそれでもいいんだぞ?」
「だ、だめ……明日は休みだし……オレ明後日からロケあってちょっと忙しくなるし……だから……」
「無理しなくてもいい、お前の仕事が一段落してからだっていいぞ、待つよ……」
それは多分痩せ我慢だろう、押し倒されたままなので樹の昂ぶりがずっと優志に当たっているのだ。だけど、樹は待つと言ってくれる。
それなのに自分はまだ迷っている、いや、抱かれる事に迷っているのではないのだ。ただ、本当に心の準備が出来てないだけで。
「優志……」
優しいキスが額に落ちる。それは待つと言った樹の心情を表すようなキスだった。
これが初めて、という訳でもないのにどうしてこんなにも迷うのかと、きっと樹は不思議に思っている事だろう。優志も上手く説明は出来ない。
ただ、ずっと好きで、恋人になんてなれっこない、そう思っていた。まだ信じられない、その気持ちもある。
そして多分怖いのだ。きっと今よりも樹を好きになる、そして別れがきたら自分は立ち直れないのではないか。不安なのだ。
まだ始まったばかりの恋に臆病になっている、こんなにも誰かを好きになったのは初めてで、こんなにも誰かから愛された事も初めてで。
「……怖いのか?」
「……」
「心配しなくても大丈夫だから……オレはもうお前以外と恋愛する気なんて起きないよ」
「……樹さん……」
「何を心配しているのかは知らないが、余計な事は考えなくていい、オレは決めたんだ……これから先何があってもお前の隣にいるってな……」
優しい声音同様の手付きで、優志の頭を撫でる。その手付きは慈愛に満ち、恋人というよりも家族に対するような温かいものだった。
「……本当にオレでいいの……?」
「お前じゃなきゃだめだよ、心配なら何度だって言うよ、優志がいいんだ」
「……オレ……樹さんに迷惑かけない?」
「迷惑?どうしてそんな事を考える?」
「だって……もし、もし……関係がばれたら……オレ、樹さんに迷惑かけちゃうよね……」
「……オレの方は大丈夫だよ、オレとしてはお前の方が心配だ」
意外な事を聞いたという顔で見つめると、樹は苦笑を浮かべた。
「そうだろう、お前は人気俳優の仲間入りをするんだ……恋人が男だなんて……スキャンダルだろ?」
「人気俳優って……」
「いずれだよ」
「……オレは……」
「……対策は何か考えるつもりだ、だけど、スキャンダルが怖いからお前と付き合うのを止める、という選択肢はオレにはない、たとえ何か起きたとしてもオレの全力でお前を守るから……だから、側に居て欲しい……ダメか?」
「だめじゃないよ、オレだって……樹さんを守る、何があっても……側にいるから……」
「なら……怖がらなくていい……優志」
肩の力が抜ける、強張っていた優志の緊張が解けたのを知ると樹は唇を重ねた。
入り込んだ舌は待ち侘びていた事を隠しもせず、性急に求めるようなキスだった。絡み合う舌先から溶け出してしまいそうな程、熱くて、そして幸せなキス。
「……ふぁ……あ、で、でも、あの……ちょっと……」
「待ったなしだ、優志……」
「……うん、ん……いつき、さん……」
「……余計な事何も考えられなくしてやるよ……優志」
その獰猛な瞳と、熱の籠もった低音に優志の体が身震いする。ぞくりと走った震えは快感以外の何物でもなかった。
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