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第8話 白萩

 鷹垣城の庭先に秋草が揺れた。  頼隆は再びあの戦の真意を柾木に問い詰めた。    白萩の咲き乱れる戦場で、頼隆は直義に囚われた。  敵は一万、白勢は五千に満たない。湯原の裏切りで兵力が減り、しかも傷ついていた。  九神の大軍を前に、白勢は風前の灯火だった。頼隆は死を覚悟した。どうせ踏み潰されるなら、華々しく散ろう---と心を決めていた。  しかし、直義は一気に勝敗をつけようとはしなかった。  再三再四、兵力を削らせ、籠城に持ち込み、兵糧が突きかけるのを待って、和議を切り出してきた。 ---和議に応ずれば、将兵は殺さぬ。囲みも解く。九神の膝下に降れー  疲弊しきった臣兵を見れば、受け入れざるを得ない。 「いっそ、退却前に斬り死にしておくべきだった---。」  呻くように呟く頼隆を突き放すように柾木は喉で笑って言った。 「それは出来ませなんだでしょう。皆々様が、そのような真似はさせは致しますまいから---。」  背中から一気に冷や水を浴びせられる心地だった。頼隆の『奇襲をかける』---という策にこぞって強硬に反対した家臣達の顔が浮かぶ。思えば、皆、幸隆擁立を望んでいた者達だったかもしれない---だがしかし、あそこで頼隆が討死していれば、かえって都合が良かったのではないか?---頼隆は、混乱した。 「あなた様が討ち死にすれば、幸隆さまも無事では済まされますまい。」  頼隆の混乱を覚ってか、柾木は宥めるように言った。頼隆が討ち死にしたら---兄もまた、敵中にしゃにむ突っ込むであろうことは想像に難くない。 「それに---幸隆さまは、内政には敏腕でございますが、戦にはあまり向きませぬ。」  それゆえ、九神の後ろ楯も欲しかった---ということか。  頼隆は、崩れ落ちるように経机に手を突いた。柾木に丸め込まれたとしても、家臣達の判断はあながち間違いではない。もはや九神の戦力と白勢の戦力の差は歴然としていた。九神は日々勢力を拡大し、近隣に対抗し得る勢力は無いに等しかった。 ーだが---ー  その九神が、白勢に戦を仕掛けてきたこと自体が不自然だった。たとえ、叛臣から泣き付かれたとしても、若干の部隊を派遣すれば済む話だ。わざわざ直義自ら出張る必要などさらさら無い兵力差だった。  思えば、頼隆が奇襲を断念し、ーもはや籠城して一矢報いるまで---ーと家臣達が言い出してから、その動きは早かった。とにかく、自ら敵陣に突っ込もうとする頼隆を城に引き摺り戻し、天守閣に押し込めて、何とかなだめにかかっていた。  ぐるりと城を囲まれ、兵糧も心もとなくなり、ーこの上は---ーと自害をも考えた頼隆を必死で止めにかかったのは、そのせいか---と思えば思えなくもない。  「使者を差し向けたさい、幸隆さまが共においでにならなかったのは、幸いでした。」 そこが、一番心配なところだった。ーと柾木は淡々と言った。 「幸隆さまは弟君が何より大事な方でございますから---」  幸隆がともに来れば、『人質に---』という案さえ強硬に拒んだろう。ましてや直義の暴挙など許すはずもない。  幸いなことに、頼隆は使者の言葉どおり『ひとり』で来た。  故に『和平が成った』---と柾木は平然と言い放った。 「頚を討たれるのも、磔にかかるのも、城主たる我れひとりで十分だと思っておった。だからこそ---」  一人で出向いた。一人で討たれるため、一人で死ぬために---。そうすれば---幸隆は名実ともに、何の支障も無く、白勢の当主になれる。邪魔な自分は家のために身を捨てられれば、生命を捨てられれば、それで良いと思っていた。兄の為に死ねれば、本望だった。  だが---生命を捨てに赴いた先の直義の態度は、あまりにも予想を裏切るものだった。後ろ手に縄を掛けられた頼隆が、斬首を、自害をと申し出ると、憮然たる顔で言い放った。 『許さぬ。』  そして、大軍に囲まれた安能の城を馬鞭で指して、脅したのだ。 『そなたが死ぬるというなら、安能の城の者を全て供につけてやるが、良いのか?』 ー話が違うー抗議する頼隆に、追い討ちをかけるように、直義の脅迫は続いた。 『舌を噛もうなどとも思うな。狼煙の準備は整っておるゆえ、な。』  是が非でも、捕虜にしたいのか---と頼隆は口惜しさに涙を浮かべた。だが、屈辱はそれには留まらなかった。 『頼隆、安能の城の者達を、白勢の家を守りたくば、儂の『室』となれ。』  耳許で、ひそ---と言われたその言葉に、頼隆は唖然とした。いや、聞き違えたのだ---と今一度、顔を上げて、直義を見た。周りを見た。九神の家臣達も、『質』を聞き違えたのだ、と誰もが思った。ただひとり、柾木恒久を除いては---。 『人質とは、切のうございましょうが、お家のためにございます。何卒、ご辛抱を---』  付き従ってきた白勢の家臣が下がらせられ、幕外に追いやられた。 九神の家臣も柾木を除いて下がらせられた。直義と頼隆と----柾木と三人きりになったその場で、直義は、今一度はっきりとした声で頼隆に詰め寄った。 『どうした、頼隆。儂の命が聞けぬというなら、狼煙を上げるまでぞ。儂の『室』になれ。それが和議の条件じゃ。』 『我れに---そなたの情婦(おんな)になれというのか---?!』  怒りで声が震えた。この男は、いったい何を考えているのだ。一国の主を、城主を閨の慰みにしようとは---愚劣にも程がある。 『そうだ。』  平然と言い放つ直義に、頼隆は継ぐ言葉も無かった。ちら---と目を走らせると、柾木が幕外から、何らかの報告を受け、チラリとこちらを見た。 ーただの脅しではない。ーと、その狐のような目が伝えていた。 『わかっ---た。』  頼隆が、顔を伏せ、絞り出すように声を吐き出すのを、ふ---と鼻であしらう声が頭上で聞こえた。  『それではならん。自らの言葉で言え。儂の「室」になる---と。』 ーおのれ---ー  どこまで愚弄するのか---怒りに身を震わせる頼隆を直義は悠然と見下ろしていた。頼隆の青ざめた唇がやっとのことで小さく呟いた。   『我れは、そなたの「室」になる----。』    国のため、家のためなら---兄のためなら、どんなに屈辱的な言葉を要求されようと、拒むわけにはいかなかった。   しかし、直義はそんなことで満足はしなかった。求めたのは、言葉では無かったのだ。 『ならば、証しを見せよ。』  もぞもぞ---と何やら音がした。  次の瞬間、頼隆は、髪を掴まれ顔を引き上げられた。そして、とんでもないものを目の当たりにした。  それは、有り得ないほどに怒張し、いきり勃った、直義のそれだった。頼隆は、恐ろしさに身震いした。かつての一度きりの「その時」には見もしなかったし、見たとしても覚えている筈もない。  凶器のごとき、凶暴この上ない赤黒い一物を頼隆の顔前に突き付けて、直義は、信じられない要求を口にしたのだ。 『口づけよ。お前の『男』だ。その唇で慰めてみよ。』  頼隆は絶句した。この男は正気なのか?---弱味に付け込んで、どこまで人を愚弄する気だ。---怒りで紅顔を通り越して青褪める頼隆の頭をぐい---と引き寄せ、直義は、とどめの一撃を放った。 『もはや拒むまいのぅ---。お前の言葉が嘘ならば、怪しげな素振りなどあろうものなら---のぅ?』  結局、頼隆は直義の言うがままに、それを含まされ、喉元に苦い液体を放たれて咳き込むまで、奉仕させられた。  頼隆が両の手で草葉を握り締め、悔しさと情けなさと気持ち悪さで、むせいでいる頭上で、直義は勝ち誇ったさまで、柾木に命じていた。 『柾木、軍を引く用意をせよ。だが、城を囲む隊は残しておけ。いつでも伝令を走らせられるよう、抜かり無く---な。』 『心得てございます。殿が我が城に入られるまで、新在の隊を残しておきましょう。いずれ目付に配する予定でもありますし---』  喉元に刃を突き付けられたも同然の頼隆には、もはや成す術もなかった。抗えば城を攻め、家中の者を臣兵を皆殺しにする----と無言で脅されれば、どれほど口惜しくとも不本意でも身体を開かざるを得なかった。  柾木が何処からか調達してきた輿に押し込められ、陣屋に宿りする度に直義に押し倒され、鷹垣城に辿り着くまで十日余りの間、涙を堪えるのがこれほど辛いことは無かった。  そして---引き摺り込まれた城に用意されていたのは、豪奢な座敷牢。まさに巨大な鳥籠だった。  『そなたの住まいじゃ。逃げようなどと思うな。白勢には我らの手の者がたんとおれゆえな。』  逃げれば、幸隆達の命を即座に奪う---卑劣極まりない、と責める言葉を直義は平然と無視して、頼隆を『籠』に押し込んだ。 「あまりにも、卑怯ではないか。」  頼隆は唇を噛みしめた。力ずくで抑えつけ、頼隆から大切なものの全てを、翼を奪った。直義が心の底から憎かった。 「それが『恋』というものです。」  柾木はいつもながらの無表情で言った。 「殿はあなた様の『全て』を欲したまで。そこまで思い詰めさせたのは、あなた様です。」 「痴れた事を---!」  ブルブルと拳を震えさせる頼隆に、柾木は止めを刺した。 「あなた様の『無垢』こそが、罪なのです。」  すっくと立って歩み去るその後ろで影が長く尾を引いていた。

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