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第12話 山梔子

 床一面に、波の花のごとく拡がる紙の傍らで、頼隆は、丸窓にもたれて座っていた。ぼんやりと天井に描かれた百草を眺めていた。  その中に一羽の鳥が紛れこんでいた。 ー孔雀---か。ー  鮮やかな羽根の色は確かに花にも見える。  ふと、あの日の酒宴の前に、直義の自室で金色の羽根をした鳥を見せられたことを思い出した。 『金糸雀という。南変人からの贈り物じゃ。大層、美しい声で啼くそうだ。』  その綺麗な鳥は、鳥籠に一羽きりで、なんだか寂しそうに見えた。 『番はおらぬのですか?』 と訊くと、直義は黙って首を振った。 次に何処ぞの戦場で顔を合わせた時に、 『あの鳥は?』と訊くと、『死んだ。』と答えた。 『良いのじゃ。儂はもっと美しい、良い声で啼く鳥を見つけた。』 『なれば、機会があれば見せてくだされ。』 と言った頼隆に、不思議な笑みを浮かべて『捕まえることが、出来たらな。』 と言った。 ーまさかな---。ー  ふっと小さく笑って、頼隆は、目の前の紙の海をもう一度見やった。そして、大きく息をついた。 ーあの男は、いったい---ー  ぶるぶると頭を振って、もう一度、机に向かい直した。だが、あの金色の鳥の美しい切なげな囀りが耳から離れなかった。 「精が出るのぅ---」  半ば呆れ気味に唇を歪めながら、直義が頼隆の居室に入ってきたのは、はや暮れも八つ時になろうとしている頃だった。   燭を灯し、熱心に何かを書いている頼隆は顔を上げようともしない。 「今宵は評定ではなかったのか?」  机に目を落としたまま、愛想なく言葉を投げ掛ける頼隆に少々、むっ---として直義は答えた。 「とうに済んだわ。」 「そうか---」  頼隆はようやく筆を置き、直義の方に向き直った。 「あの鳥---」 「ん?」 「そなたが、見せてくれたあの美しい鳥は、どうして死んでしもうたのじゃ?」  唐突な問いに直義は少々面食らったふうであったが、あぁ---と小さく呟いて言った。 「小姓が水やりのために開けたら、籠から逃げてな。---追っている間に烏に襲われてしもうた。追い払ったが、間に合わなんだ。」 「そうだったか---」 ー籠の中でしか生きられない鳥---だが、自分は違う。ー頼隆は、今一度、訊いた。 「あの後、戦場で他の鳥を見つけた---と言うておったが、捕まえられたのか?」  直義の口元がにたり---と笑った。 「捕まえた---が、なかなか懐かん。」  やはり、そういう意味だったか---と頼隆は眉をひそめた。 「猛禽は人になど懐きはせぬ。そもそも籠にて飼おうというのが、無理なのだ。」 「そうかのぅ---」  直義は、頼隆の髪に指を絡めると自分の側に引き寄せ、唇を軽く重ねた。 「儂は狭い鳥籠が気の毒ゆえ、出してやろうと思うたんだがなぁ--」 「どういう意味だ?」 「お前に佐喜は狭かろう。今少し広い空を飛ばせてやりたいと思うたでな。」 「この籠のほうが、余程狭かろう。」  頼隆が、むくれるのを宥め透かすように、直義はその頬に唇を寄せた。 「まだ雛鳥ゆえなぁ---烏に襲われてはかなわん。外には蛇も狢もおるしのぅ。」  例えば、葉室---とでも言いたいのだろうか、頼隆は、そっぽを向いて言った。 「だとしても、用意周到に過ぎぬか?これだけの部屋、すぐには出来ぬ。」 「気に入らなんだか---」  直義はカラカラと笑い、そして少し寂しかせそうな顔をした。 「ここは、元々は、儂の母のおった部屋でな。無論、格子は無かったし、調度も少し変えたがな。」 「そうだったか---済まぬことを言うたな。」  ー誤解であったか---。ー頼隆は、ほっ--と胸を撫で下ろし、急に自分が恥ずかしくなった。  頼隆のばつの悪さを和らげるように、直義は付け足した。 「儂の母は、正室と折り合いが悪くてのぅ--奥に入るのを拒んだゆえ、父がこの部屋に住まわせた。」  頼隆は、へ?というような顔で直義を見た。 「そなたは嗣子であったはずだが?」 「正室に子供があるとは限らん。その子が嗣子になるとも限らない。」  直義は続けた。 「正室の子は、早うに亡くなっての。---ゆえに儂が跡を継いだ。」  九神も先代の頃は荒れていた---と誰かが言っていたのを思い出した。 「要らぬことを訊いたな---済まぬ。」 「良い。」 言って、直義は頼隆を抱き上げた。 「この部屋が気に入らぬなら、いずれ新しい部屋をやろう。」 「新しい城を作るのか?」  察しがいい---と直義はクスリ---と笑った。 「そろそろ---な。お前も来るのだ。儂の側で羽繕いでもしておれ。」 「今度は格子の無い部屋が良い。」 「それはお前次第だ。」  直義が燭の灯を落とし、弓張月の朧な光だけが残った。  頼隆はふと淡い明かりの下で、自分に『番』はおるのだろうか---と思った。  ただひとり啼いていたあの鳥---あれは誰かを呼んでいたのだろうか---。誰にも届かない唄を謳い続けることに疲れて、空に逃れて---。  その俊巡を、直義の暖かい唇が遮った。  軽く啄むように口づけられをれながら、逞しい腕の中に抱き取られる。熱を帯びた指が肌をまさぐり、頼隆の夜気に冷えた身体に火が灯る。  肉体の奥深くからじんわりと熱が湧き、やがて頼隆の存在全てを包み込み、烈火の如く燃え盛り、意識を灼く。直義の熱に煽られ巻かれて、波の如く引いては返す幾度もの熱の交歓に我れを忘れ、緩やかに熔けて直義とひとつになる。互いに熱が尽きるまで奪い合い与え合い、燃え尽きると、その温もりの中にくるまって、眠った。 ー直義------我れは----ー  頼隆の唇が微かに震える。だが、言葉は静寂の中に拡散して、取り留めることもできない。 ただ、互いの温度だけが、肌に刻まれていく。  深い吐息がひとつ、零れた。  山梔子の花の香りが一段と濃く甘く、二人を包んだ。

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