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第11話 鉄仙花
「ずいぶんな散らかりようですなぁ---」
呆れたように格子の外から声をかけたのは、柾木だった。この半端な刻限に顔を見せるのは、まずもって無いことだ。
「何かあったのか?」
と問うと、苦笑いが珍しく柾木の顔に浮かんだ。
「何も---。弥助が御前様の様子がおかしい---と言うて参りましたので-----」
今度は、頼隆が苦笑いした。弥助は、頼隆の世話をしている近習の少年のひとりだ。ここのところ、ある事に熱中しすぎて食事もろくに取っていない事を思い出した。
「大事ない。少々取り込んでいただけだ。」ーでしょうな---といった風に柾木は部屋の中に目をやった。
「絵図でございますか---」
「徒然過ぎるのでな、己のが戦をさらっておった。」
「さすがは、白勢のご当主。」
「皮肉か?」
「いいえ---」
柾木は、にんまりと笑った。頼隆は知らないが、白勢頼隆の戦ぶりは近隣には実によく通っている。正攻法と奇策とを巧妙に使い分ける手腕はなかなかのものだ。
見栄えはともかくも、ーあの腕、欲しいーと思う領主は少なくはない。柾木が直義の暴挙に加担した理由は、そこにもあった。
ー余所と組まれては厄介。ー
それは、軍師も努める柾木の偽らざる本音だった。
「そうだ、良いところへ来た。」
頼隆は、かっ---と目を見開くと、柾木に食い付かんばかりに迫った。
「九神の戦の記録はあるか?九神に限らず、昨今の戦に関する記録が欲しい。」
一瞬、その、気迫に後退りそうになったが、らしいといえばらしい、その要求に淡々と応じた。
「殿のお許しがあれば、お持ちしますが---」
思わず節くれだった指が襟を正していた。
「なんとなさいます?」
「流れを読む。」
一言だった。兵力-布陣-采配----見れば、領主の力量がわかる。九神の力量、他の領主の力量---誰が生き残るか、わかる。
ーわかれば、その先は---ーまだ、五里霧中だが、一人籠の中に取り残されていたくはなかった。
ー籠の中からでも、世は動かせる。ー
そう思いたかった。その心中を察してか、柾木は、一言残して、その場を去った。
「御前様は、やはり男でございますなぁ---」
「当たり前だ。」
後日、要望どおり、山のような文書が頼隆のもとに届いた。が、意外だったのは、その中の三分の一が国内の政(まつりごと)に関する文書で、各国から調べ上げたものが届けられていた。
「戦ばかりが、政ではありませぬ。」
柾木は不思議そうな顔の頼隆に平然と言った。
「頼隆さまには、内政が不得手なところがおありになりますから---」
「----。」
見抜かれているのが、やや口惜しいが、反面、よくぞこれだけ調べ上げたものだ、とも思う。ただ、墨の色がずいぶんと新しい。
「写しか---。そなたが、写したのか?」
「左様。原本は書庫にございます。」
「多忙であろうに、済まぬ---。」
尋常ではない文書の量に、頼隆は初めて頭を下げた。この男なりの『誠意』を初めて見た気がした。
「なんの、私にもよい思案の種をいただきました。」
丁寧に頭を下げる柾木に、この度ばかりは感服した。
「軍師とは、そういうものか---」
柾木はこくり---と頷いた。
『頼隆どのは国主には向かぬ。』---というのは、あらかたの見方としてあった。美し過ぎる、崇高過ぎる、世事に疎い---というのが、だいたいの見解だったが、柾木の見方は違っていた。
ー怜俐過ぎるーというのが、まずあった。
余地の無い冷徹な采配は、時に自分も部下をも追い詰める。---だからこそ、あの直義の暴挙が成ったのだが---
今ひとつは、ー独りでは立てぬーということだ。確かに頼隆と兄の幸隆は、互いに相手を慕い、よく支えあっていた。だが、それは、ある意味、『不自然な関係』に柾木には見えた。
幸隆は頼隆をなんとか守ろうとしていたが、頼隆は守られることより幸隆を押し上げることを考えていた。男女なら、或は兄弟の序列どおり幸隆が当主ならば不自然ではない。立場が逆であったことが、兄弟の不幸だった---と柾木は思っていた。
頼隆は、君主の直義に負けず劣らず、一途な性と柾木には思えていた。嫁を娶らないのは間違いなく兄のためであり、ある意味、頼隆は、兄以外の人間の「愛し方』を知らない。決して結ばれることのない、虚しい恋に、いずれ頼隆は窒息してしまうだろう。
ー早いうちに裂いて差し上げるのも、慈悲ー
柾木は、直義から幸隆-頼隆兄弟の様を聞き、また密偵の報告、戦場での有り様を己のが目で確かめた後、そう結論し、君主-直義の無謀な恋を肯定していた。傍目から見れば立派に『横恋慕』だが、頼隆にとっても『救い』だと柾木は確信していた。
直義の愛を受け入れられるようになれば、頼隆は『独り』ではなくなる。自分が主たる『欲』がさほど強くないのは、幸い---というか、ーだからこそ、君主には向かない。が、それが良い。ーと柾木は思っている。仰ぎ見る相手が幸隆から直義に代わるだけだ。
だが、幸隆と違って、直義には『枷』が無い。頼隆が己れ自身以外、何も持つ物の無い今、触れ合うことを阻む物は何も無い。直義は頼隆自身が好むと好まざると、せいせいとその腕に頼隆を抱き締める。頼隆自身が気付きもしていない『温もり』への渇望は癒される。
ー頼隆様には、殿は殺められぬ。ー
それは、後朝の様を見ればわかる。頼隆自身は知らないが、ー自失した後、いつも眠りの中で儂の胸元にうずくまっている---ーと直義が相好を崩して言っていた。
ーお寂しかったのでしょうな---。ー
直義の惚気に、柾木にはそれしか言い様が無かったが、同時にー殿は頼隆様の拠り所になられたーとの確信を得た。
頼隆は、一応は成人した男子ではある。恋に摺れた女やその辺の人恋しいばかりの童とは訳が違う。その頼隆が無意識であれ、身を『委ねて』いるのだ。本心から拒んでいるのなら、あり得ない。
ーまぁ、いずれ----ー
己のが本心に気付いた時には、賢過ぎるほど賢いだけに眼を反らすこともできまい---と柾木は踏んでいる。
ーその時までに、しっかりと学んでおいていただかねば---ー
頼隆の居室を辞して、こほこほ---と軽い咳をしながら、柾木は廊下を戻っていった。鉄仙の花がまたひとしきり、空へと腕を伸ばしていた。
ー時は、待ってはくれぬ---。ー
かさついた唇が密かに呟いた。
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