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第21話 時鳥草

「これは、どういうことじゃ!」 直義のけたたましい声とともに、荒々しい足音が、居室の前で止まった。 ー来たか---。ー  頼隆は小さく溜め息をつき、机から離れ、格子の近くに寄った。 「なんじゃ騒々しい。何用ぞ?」  頼隆は、一通の書状を突き出す直義の顔をゆったりと見上げた。珍しく顔を真っ赤にして眉を吊り上げ、肩で荒たい息をしている。書状を握っている手も心なしか震えていた。 ーなかなかに珍しい眺めよの。ー   腹の中で嘯きながら、格子の間から手を伸ばした。 「見よ。白勢からの書状じゃ。あやつら、この期に及んで、儂に楯突く気か?」  頼隆は怒気を含んだ声でがなりたてる直義の手から書状を受け取り、さらりと開いた。 ー兄上のお手跡じゃな。ー  しばし、その端正で丁寧な筆跡を眺めていたが、ふ---と息をついて綺麗に畳み、静かに机の上に置いた。  九神からの出兵要請の返書だった。国境を接する吾桑方の領主の国に不穏な動きがあり、これを退ける---吾桑の治める箕浦への『道筋』を作る---。直義が天下を目指すには、重要な一戦であることは頼隆も承知していた。当然、戦巧者の白勢にも援軍の派遣を要請した。  しかし、幸隆は、ー白勢の当主は頼隆。当主の下知なくば出兵はできぬ。ーと返答してきたのだ。 「これのどこが、楯突いておるのじゃ?」 頼隆は静かな眼差しで直義を見上げ、極めて淡々と言った。 「あやつら、兵は寄越さぬと言うのだ。大事の戦じゃとわかっておろうに---!」  ますます頭に血を昇らせる直義に、頼隆は再び溜め息をついた。 ー落ち着け---。ー 上目遣いで制して、書状をもう一度開いた。 「兄上は、そうは言っておるまいに---」 「当主の頼隆の下知なくば兵を寄越さぬと言っておるのだぞ!」  頼隆は子供をあやすような口振りで、興奮する直義を諭した。 「その頼隆は何処におる?」  はっ---と、直義の面が正気に返った。 「此方に、そなたの目の前におるではないか。」  ゆっくりと言い含めるように頼隆は言葉を継いだ。 「我れが、この頼隆が白勢の当主。されば我れの下知なくば兵は動かせぬと言うのは当然ではないか?九神の命では動けぬ---というのは道理にかなった話であろう。」 「しかし---。」 「ここにおる我れが、出兵の下知を下せば良い、それだけのことではないか---?そうであろう?」 「それはそうだが---。」  なおも不満げな直義を前に、頼隆はささ---と机の前に座り直し、さらさらと一通の書状を書き上げた。 「これで、良かろう。」  手早く畳んで差し出した書面を直義は引ったくるように手に取り、開いた。頼隆らしい流麗な筆跡が戦の派兵を命じていた。出陣する将、兵馬の数も書き添えられていた。  柾木を通し、トビを通して、こちらの戦力、敵の戦力-陣営もほぼ掴んでいる。白勢は後詰め、そう多くの戦力を割く必要もない。頼隆には戦力を温存しておかねばならない理由もあった。 ー『必要』が満たされておれば良い。---ー 頼隆らしい差配だった。 「不服か?」 「そうではない。そうではないが---」  今までは、兵を出せと言えば言うがままに出していた。一言も異議を唱えたことはなかった。それが、この期に及んで、拒絶にも近い対応を取ってきた。 「そなたが、いかんのじゃ。」  頼隆は、あっさりと言い切った。 「兄上を怒らせるから---。」  頼隆は数日前にトビからの報告を受け取っていた。  安能の城に戻った幸隆はしばらくの間、自室にこもって何やら思案していたという。  せんだって九神からの出兵要請の書状が届いた時も、しばし腕組みをして黙り込んでいた---という。  返答の期限も迫った頃、ようやっと軍議を開いた。すっくと皆の前に立ち、発した第一声は、皆の予想とは異なったものだった。 「皆に言うておかねばならん。---殿は、頼隆はしばらくの間、此方には戻らぬ。」  当然のごとくざわつく家臣を前に幸隆は続けた。 「だが、案ずる必要はない。殿は、九神直義の軍師として、九神の天下覇業の一翼を担うことを決意された。人質として---ではなく、参謀として、直義どのの片腕として、覇業を成さんがために、傍らにてお力を振るうことを求められ、此れを受けた。」  ざわつきが、ーおぉ---ーという感嘆に変わった。 「よって、覇業成るまでは、なかなか国許への帰参は叶わぬ---が、殿のお働きをお助けするが、我ら家臣の務め。事が成れば、白勢の名も天下に轟く。---儂は、改めて、家臣一丸となって、殿のお働きの助けとなるよう、務めたい。」  反対する家臣は、一人もいなかった。  後で、幸隆はトビに漏らした---という。 ー浮き世に関心の薄い頼隆が、初めて持った『欲』だ。自分の意志で求めた『夢』だ。兄として、儂はその夢を叶えてやりたい。立場がどうでも、どういう扱いをされていても、その手に掴み取らせてやりたい。ー  頼隆は、しみじみと兄の大きさを感じた。ただただ頭の下がる思いだった。 ー有難い---。ー  頼隆の裏切りを一言も責めもせず、背中を推してくれる。兄の深い愛情に心底から感謝せずにはおれなかった。  そして、幸隆はトビを通して『白勢の軍の指揮権は頼隆に任せる』と伝えてきた。頼隆は、これには些か苦笑を禁じ得なかった。幸隆は苦手な戦を手放して、内政に専念するつもりのようだ。 ーそれも、良かろう。ー  頼隆が直義の『軍師』となれば、白勢は完全に九神の膝下に下り、もはや自ら戦を仕掛けることもない。既に近隣諸国は全て九神に下っていた。領内の安寧は保証されていた。この先の戦は九神の天下獲りの『手伝い』に過ぎない。---即ち、『頼隆の戦』だった。 「そなたが要らぬことをするから、面倒なことになったのじゃ。自業自得というものよ。」  つん---とそっぽを向く頼隆に、直義はむくれてつっけんどんに言葉を投げた。 「戦場には、出さぬぞ。」  意地悪な台詞に、頼隆は小さく笑って、しれっと応えた。 「此度は、必要あるまい。吾桑は虫の食った古木のようなもの。いずれは倒れる。そなたはまず最初の一斧を入れに行くだけであろう。」 ー小面憎いヤツめ---ー  こういう時の頼隆は、間違いなく『男』の顔をしていた。美しい細面の顔をきりっと引き締め、凛々しい目元に鋭い眼光、唇をきつく締めて、隙もない。  直義は、書状を懐にしまい、指先をくいくいっと曲げて頼隆を格子の際に招き寄せた。 「来よ。」 「なんじゃ?」  怪訝そうに歩み寄り、近づいた頼隆の後ろ頭を格子越しに引き寄せ、唇を重ねた。抗う口を開けさせ、舌を絡め、強く吸い上げる。頼隆の身体の力が抜けていくまで、許さなかった。 「何をする---!」 「派兵の礼じゃ。」  崩ず折れそうな腰を一方の手で支え、ニヤリと笑った。上目遣いで睨む瞳はうっとりと潤んで、唇から零れる抗議も吐息まじりで悩ましい。上気した頬に軽く接吻し、呆気に取られている頼隆の耳許で囁いた。 「お前は此方にて、儂の戦の帰りを待て。土産に綸子の帯でも買うてきてやろう。」 「我れは女ではない!」  今度は頼隆がむくれる番だった。 「なに---」  直義はぷ---と膨れた頬をニヤニヤと笑いながら突っついた。 「不如帰が啼く頃には儂が恋しゅうて泣いておろうぞ。」 「痴れた事を---!」  呆れ顔の頼隆を後に、直義は悠々と廊下を戻っていった。 ー長い戦になる---。ー  覚悟は出来ている。直義の居ぬ間に頼隆にはやらねばならぬことがあった---。頼隆は改めて机の前に座り、筆を獲った。  

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