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第23話 沈丁花

ーふん、乗ったか。ー  頼隆は、今一度、柚葉からの書状に眼を落とした。無論、頼隆あての書状ではない。兄、幸隆に宛て、九神への翻意を促すことを目的として送られたものである。  幸隆の呟きを早速に吾桑に注進したのは、やはり、九神に反感を持つ家臣の一人だった。 ー小賢しい---。ー  吾桑の手の者が鷹垣城から頼隆を救出する。  白勢軍はそれに同じて挙兵せよ---というものだった。白勢は今や九神に最も近い。 その白勢が吾桑に呼応して兵を挙げれば、付近の領主もそれに追従して兵を挙げる。兵を挙げないまでも動揺する---と踏んでいる。他が兵を挙げなくとも、白勢に離反されたとなれば九神の痛手は大きい。 ーまぁ在りがちな手ではあるな---。ー   頼隆は長年、人質として国を離れている。実質的な領主は幸隆である。傍目から見れば、長兄である幸隆が潜在的に不満を抱き、頼隆を亡き者にして名実ともに領主の座につく、九神の抑圧から脱する良い機会でもある。文面はその支援をも匂わせていた。 『弟君は必ず、九神からは助ける。』---しかし、その後の事態は幸隆次第---と結ばれていた。なかなかに狡猾ではある。 ーどうしてやろうか---。ー  頼隆はくくっ---、と口の端で小さく笑った。  数日後、頼隆はトビを介し、幸隆に返書を出すよう伝えた。理由は任せるから、一度は本意かどうか、約束は実行されるのかどうか探りを入れてくれ---と付け加えた。  労さずしてここから出れるのは魅力だ。直義に咎められたとしても、十分、言い訳は立つ。問題は--- ー柚葉が、どれだけ我らのことを知っているのだ。---ー  頼隆は、吾桑に入り込んでいる間者に、それとなく探りを入れよ---と命じた。 ーそれと---ー  協力者がいる。柾木は戦場だし、頼隆に勝手をさせるような策に乗るわけがない。  頼隆は、絢姫に面会を求めた。  絢姫は、頼隆の居室でしばし話を聞いた後、ー信じております。ーと一言だけ言って立ち去った。  数日後、トビが吾桑からの報告を伝えてきた。頼隆は苦々しい顔で、ふんっ--と笑った。  幸隆の回答を得た柚葉正親もまた、ニヤリとほくそ笑んでいた。鷹垣城の図面は手に入っている。奥御殿のその先、厳しく出入りを制限されている一画がある---という報告は得ていた。かの麗人はそこに押し込められているに違いない。警備の兵は少なくは無いが、その一画には近寄れないので、遠巻きに警護している形になっている。 ー忍びであれば---ー  間隙を狙うことは難しくはない。城門近くまで連れ出せれば、後は周囲に潜ませた手勢が陣営まで運んでくる。 ー白勢の鬼神---か。ー  噂でしか聞いたことはないが、異様に美しく異様に強い---人間離れした麗人、御仏の化身---とまで言われている。柚葉の主君、吾桑盛昌は都振りや貴族趣味を好み、美しいものには目がない。御仏の如き麗人---を目の当たりにしたら、どれほど歓喜するだろう。  柚葉は優男の己のが主君とかの麗人とが並んで立つ図を思い描いた。それは古えの絵巻の一場面を彷彿とさせる景色だった。 ー見てみたいものだ--。ー  柚葉は、陣営の傍らにある香り高い花を手に取った。佐喜に潜らせた密偵が以前に言っていた。 ーさしずめ、あの方はこの沈丁花の花のようなもの。ー  美しく香り高いが実をつけない。だが、その香りに惹かれて多くの虫が寄ってくる。  それゆえ、あまり人目に触れないよう、兄が護っていた---と。 ー幸隆どの。---ご安心めされ。吾桑の殿は花の愛でかたを心得ておいでじゃ。ー  花ぶりの良い枝を一枝、手折って懐にしまった。  ー陣中は、殺伐としておるでなぁ--ー  策の子細が柾木に密かに伝えられたのは、直義が吾潟の川を挟んで吾桑の軍と正に対峙していたとしていた頃だった。 ーしばらくは動くまい。ー  冬の箕浦は天気が荒れる。風が止む日の少ないことと、雪解けの遅いことが、両軍の足を鈍らせていた。 ー那賀より南にあるはずだぞ。ー ー山塊が多く、雲が沸きやすいのです。ー 苛立つ直義を柾木は、やれやれ---となだめ、東の空を見た。日出る方よりの火急の文を懐に隠し持ち、敵陣を隠す重い雲を一陣の閃光が切り裂く様を思った。 ー御前様---頼隆様---。ー  頼隆の『神通力』の切り裂くその先を臨みながら、その目は何時に無く暗かった。  それに反して、一方の頼隆はかなり上機嫌だった。救出の日が決まると、早々にトビを呼んで幸隆に出兵の段取りを伝えた。 ー決行は、明後日。ー  柚葉の忍びが牢の鍵を盗み、密かに頼隆を連れ出す。門外に待たせた手勢20名が護衛をして箕浦の本隊まで送る---というものだった。同じて幸隆の隊が、背後から九神の陣営に攻め込む---という段取りだった。 ーさて、上手くいくかのぅ。---ー  鷹垣城の沈丁花は、そのふくよかな香りを一面に漂わせていた。    その翌々日、頼隆はいつもどおり、机に向かって書物を広げていた。夜もかなり更けた頃、燭台の灯りが、ジジ---と音を立てて、小さく揺れた。頼隆は、静かに外の方に目をやった。牢と縁を仕切る襖が音も無くするり---と開いた。黒い影が、わだかまっていた。 「白勢---頼隆さまでございますな。」  ひそ---と囁く声に、頼隆は、無言で頷いた。 「お迎えに参りました。」  かちゃり---とかすかな金属の擦れる音がして、格子の一部が開いた。 「さ---どうか、お出になってくだされ。」 「近習達は?」 「眠ってございます。」  頼隆はほっ---と胸を撫で下ろした。  出来るだけ、城のものを傷つけずに---というのが、条件だった。  頼隆は、身体を屈めて格子を潜り出で、そして、一度伸びをした。久しぶりの外の空気だった。戦の間は稽古も禁止、近習達の見張りも頻繁だった。 ー自由だ。ー  大きく息を吐き、肩を回す。 「さ、お急ぎくだされ。」  促す忍びに、頼隆はにっこりと笑いかけた。 「ご苦労だったな---。」  手元から、細い白い煙が立ち上った。  忍びが、胸元に赤い花を咲かせて倒れていた。 ー短筒は、やはり便利よの。ー  嘯きながら、その小さな鉄の塊を急いで懐にしまった。 「頼隆さま---」  時ならぬ銃声に駆け寄ってきたのは、絢姫だった。 「用意は?」  出来ております---と絢姫は小さく頷いた。  急いで、絢姫の用意した袴をつけ、刀を差す。 「甲冑は?」 「お渡ししてございます。」  絢姫は、城門までの道筋を傍らに控えるトビに伝えた。 「ご武運を---。」  深々と頭を下げ、青ざめてはいるが凛として見送る絢姫をあとに、頼隆は夜の闇に消えた。  ーいい造りだ。ー  一の曲輪、二の曲輪、矢倉の位地、高さ---通りすがりに吟味しながら、頼隆は、トビとふたり、それらしく外に続く城門を抜けた。  既に哀れな門番達は、骸となって転がっていた。 ー殺すな、と言うたのに---ー  仕事の粗さに少しばかり眉をひそめた。  トビが、ー打ち合わせどおりーに、小さな灯りを振る。物陰から数人の影が、走り寄ってきた。柚葉の手のものだ。  影達が目配せすると、トビもそれらしく目配せをした。 「白勢さまで---」と低い声が問う。  頷くと、影がひとつ、彼方へ走り去った。  「馬は?」  「此方へ---」  物陰から栗毛の馬が引き出されブルル---と顔を振った。なかなかの駿馬のようだ。  「ご苦労。」  頼隆の唇が、小さく笑った。そして白いしなやかな手が宙を舞い、影がふたつ、血飛沫をあげて、どうっ---と倒れた。 「な---に---」  声を挙げる間もなく、次々に影達は頼隆の刃に切り裂かれて、その場に倒れ伏した。 「相変わらず、お見事ですな、」  クナイで、ひとりふたりと仕留めながら、トビが口の端でにっ---と笑った。 「始末をしておけ。」  言って頼隆はヒラリ---と馬に飛び乗った。  鐙の足に腹を軽く蹴られた馬は夜の街道へ走り出す。 ー兄上、今参りますぞ---ー  目指すは、国境の峠。そこには、白勢の軍三千が、頼隆を待っている。鞭を握りしめる手に力が込もった。道端に積もった枯れ葉を蹴散らして、ひたすらに馬を走らせる。頬に突き刺さる夜明けの冷気も今は心地よい。山越えの道に差し掛かると、気配がふたつ三つ、伴走してきた。トビの配下、白勢の忍びだ。闇の中でもそれとわかる記が頭巾の裾にひらひらと揺れている。  試しに声をかけてみる。 「シギ!、トキ! ササギ!」 ーお久しゅうございます。ー  木々の葉ずれの音に混じって、幽かな声が応えた。  頼隆は頷き、馬を走らせたまま、問うた。 「装備は?」 ーこの先の小屋に---。ー 「諾(よし)」  頼隆は、今一度、馬に鞭を入れ足を早めた。夜明けが近かった。背後からうっすらと空が白んで、昇りかけの太陽の欠片が背中越しに覗いていた。 ー吾桑よ、柚葉よ、---そして直義、我れの戦を見よ!ー  ふと浮かんだ直義の仏頂面が妙に可笑しかった。

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