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第24話 白木蓮

「兄上!」 「頼隆!」  国境の峠、大きく枝を拡げる木蓮の真っ白な芳しい花の下で、兄弟は互いに姿を見留め、走り寄った。  黒糸縅の甲冑、望月の兜に渋色の陣羽織---待ち構えていた懐かしい姿に頼隆は思わず泣きそうになった。  幸隆もまた、昇ったばかりの日輪を背に走り寄ってくる弟の姿に眼を潤ませた。優しげな美しい面差しに、揺れる黒髪は烏の濡羽そのものに艶やかに光を弾き、朱色の鎧の縅が良く似合う。陽炎う日輪を背負ったその様は摩利支天女そのものだった。 「息災であったか?」 「はい。兄上こそお元気であられましたか?」  感極まって、ひし---と抱き合った。暖かい胸---懐かしい、兄の匂い---頼隆は久しぶりに安らいだ心地になった。 「兄上---ご無事で良かった!」  感動の再会の今ひとりの主役、弟の政隆も抱きついてきた。 「心配をかけたの。ん?また大きゅうなったか?」  覆い被さるように見下ろす頬を軽く撫でた。髭までたくわえて、すっかり漢(おとこ)の顔になった---頼もしくも、ほんの少し悔しい。頼隆はふたりに埋もれるように立っていた。 「羨ましいのぅ。---いい面構えじゃ。もう一人前じゃなあ。」 「兄上---。」  政隆は、一瞬言葉に詰まった---が、ふと頼隆の背を包んでいる陣羽織に目を止めた。 「この陣羽織は?」  幸隆も、抱擁を解き、頼隆の背を見た。  煌雅やかな綾錦の襟、白地に赤の日輪、それを掲げて、黄金の鳥が翼を広げていた。 「三本足?」  政隆が不思議そうに首をかしげた。確かに羽根を広げた大鳥の足は三本あった。 「ヤタガラス---だそうだ。」  頼隆は少々困惑した面持ちで言った。 「絢どの---直義どののご正室に頂いた。」  山越えの小屋に用意されていた甲冑一式は、あの戦の折りに頼隆が身に付けていたものだった。それを絢姫に頼んで探し出してもらい、適当な場所に隠してくれるよう、頼んであった。櫃を開けると、愛用の甲冑があった。その脇に丁寧畳まれた見慣れない布地が三つ添えられていた。  鉄鉢を入れた頭巾に陣羽織、そして--- 「旗印まで作られてしもうたわ---。」 シギ、と呼ばれていた忍びが旗竿を立てると、同じく金色の鳥が天に向かって飛翔していた。頼隆は思わず苦笑いをしつつ、有り難く拝領することにした。 「妻女には、あやつがカムヤマトイワレヒコに見えるらしい---」  これには、幸隆も政隆も苦笑するしかなかった。カムヤマトイワレヒコは、伝説の原初の帝。 ー新しい世は、我が殿がお創りになる。ー  絢姫は、その原初の帝を導いた聖なる鳥を頼隆になぞらえ、その背に負わせた。 「まぁ、良かろう。」  言って、頼隆達は再び馬に跨がった。 「して、何処に参る?」  幸隆が訊いた。出来ることなら、このまま真っ直ぐ佐喜に頼隆を連れて帰りたかった。 兄のその本音を敢えて知らぬふりをして、頼隆はきっ---と顔を上げた。 「箕浦へ。」  ササギの手渡した頭巾を付け、あの軍配を手に、おもむろに西を指した。 「吾桑に『礼』をしてやらねばなるまい。」  不敵に笑むその横顔に、幸隆は再び弟の内なる鬼神が蘇るのを感じた。 「参ろうぞ。」  三千の将兵達が静かに動き出した。  山づたいに粛々と馬を進める。  箕浦までは、まだかなりの距離がある。  到着までには二日、迂回路を取れば五日はかかる道筋だ。それまでは、なんとか九神の軍勢には持ちこたえてもらわねばならない。  幸隆は、並べて馬を駆る頼隆の真っ直ぐな眼差しに、弟の武士の魂が静かに燃え盛るのを感じていた。 ー変わらぬ-----。ー  胸を撫で下ろしながら、もしや------を考えずにはおれなかった。それは------ ー到着が間に合わなかったら---。ー  敗北----は、武将にとっては考えてはならぬことだ。しかし、もし万が一、救援が間に合わなかったら-------。 ー首に縄をつけてでも、佐喜に連れ帰る。ー  ふと目をやると、やや後ろに馬を進める政隆と目があった。政隆は、幸隆の表情に瞬間、顔を強張らせた。そして、無言で頷いた。  その瞳で、前を行く頼隆の歪みの無い背を変わらず眩しげに見詰め、唇を引き締めた。 ー頼隆兄上は、白勢の頭領。我れの兄上だ。ー  この戦の行方が、理由がどうあれ、兄と共に戦える。政隆の胸は感動と興奮にうち震えていた。兄弟が揃って駆け抜ける、初めての戦だった。   「戦況は?」 「未だ膠着状態のようで---」 「睨み合いか---。」  物見に走っていたトキが、頼隆の問いに応えた。『始末』を終えたトビが合流して、城の様子を伝えた。頼隆に逃げられた---と知った近習達は当然の如く切腹しようとしたが、絢姫に止められた。ー頼隆さまは、殿の援軍に参られたのです。私がお願いしました。ー 絢姫はそう言って、頼隆がいるかのように振る舞え---とふたりに命じた、という。 ー大したお人だ---。ー  あやつにはもったいない---と嘯きながら、頼隆はトビに、内通者の名を確かめた。さして予想は外れてはいなかった。 ー後で柾木に教えてやろう。ー  まぁ、先に伝わっておるかもしれんが---と頼隆は、宿がわりの寺の天井を見た。 「なれば、あと三日、踏ん張ってもらう。」  向坂を越え、箕浦に入って八日。直義の家臣が奪取した城を宿には出来ない。 ー九神の援軍に参れ、との殿のお下知じゃ。ーと言えば、すんなり通ることは出来るが、頼隆の姿を見られては面倒になる。敢えて、付近の寺を宿にして進んできた。直義の陣まではもうすぐだが、頼隆は大きく迂回する道を取った。 「吾桑の陣の近くまで、寄る。」  吾桑には、トビに命じて、偽の書状を送ってある。ー吾桑の本意が判らぬので、頼隆と合流して、戦に加勢したい。ついてはまず、頼隆と共に吾桑の殿に目通りしたい。ー  幸隆の名で、頼隆がひとりで吾桑の陣に現れない理由を示しておく。吾桑の部下達は共に参る---と。 ー致し方ありませんな。ー  過保護で有名な兄だ。それに、白勢単独で九神の後ろを突け、と言われても荷が重い---という言い分もわかる。思ったより呼応する領主がおらず、それがゆえに膠着状態から抜けきれない。ー本当に白勢が降るのか---ーという疑いを晴らすには、共に馬を並べて対峙した方が効果的かもしれない。---ー柚葉は、幸隆の書状を信じた。 「兄上の人徳ですな。」 「茶化すな---」 頼隆の本音だった。実直な兄の言葉であればこそ、人は信じる。 ーさればこそ---ー  頼隆の策も活きる。頼隆達の軍勢は吾桑の陣のすぐ側まで迫っていた。

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