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第26話 緋寒桜

ーなんの冗談だ---ー  頼隆はそれを目にした時、思いきり眉をひそめた。 「土産じゃ。ついさっき届いた。」 「はぁ?」  戦から一月も経った頃、直義は絢姫と侍女を伴い、頼隆の居室にやってきた。  絢姫の指図で柄衣掛けが立てられ、侍女達が持参した衣が広げられた。  濃い藍の地に裾回しから肩口の朧月に向かって枝振りも見事な桜花、片方の肩先から袖のあたりには薄く銀砂の霞がかかっている---凝った意匠のそれは、どう見ても『打ち掛け』にしか見えなかった。直義が、ニヤニヤしながら唖然として突っ立っている頼隆に言った。 「お前の土産じゃ、頼隆。購うてきてやると言うたろう。」 「なんじゃと----?!」  頼隆は絶句した。確かに寝物語で何やらたわけた戯れ言を抜かしていたような気はするが、そんな趣味の悪い冗談を実行に移すとは思っても見なかった。 「佳き品であろう?お前に似合いの柄を作らせるのに苦労したぞ。」  すこぶる上機嫌な直義に、頼隆は両の拳を震わせた。あまりのことに血管が切れそうだった。 「そなた、正気か!---我れは男ぞ!」  怒りで倒れそうな頼隆に、絢姫がにこにことあやすように話しかけてきた。 「そう仰せにならず---お袖を通してみせてくださいませな。」 「絢どの---」  先の出奔の協力者にあくまでもにこやかな様で、しかし有無を言わさぬ口調で迫られては、ぐぅの音も出ない。   しぶしぶと、侍女達の促すままに、打ち掛けに袖を通した。正直、重い。足許も捌きづらい。 ー女というのは、よくこんな物を着て動けるな---。ー  妙なところで感心していると、絢姫がとんでもなく頓狂な声を上げた。 「まぁ、まぁ、まぁ!」  両の瞳が、とんでもなく輝いている。 「なんてまぁ---とても良くお似合いですよ、頼隆さま。」  嬉しい---わけがない。頼隆は絢姫の隣で悦に入る直義を睨みつけた。 「うむ。頼隆は上背があるからな。華やかな柄がよう映える。」  ニヤニヤと緩む口元が、本当に憎らしい。だが、少女のように眼を輝かせる絢姫には勝てなかった。 「お袖を拡げてみて---くるっと廻って、お背中も見せてくださいな。」 ー勘弁してくれ---。ー  憮然としながら、仕方なく絢姫の言う通りに動いて見せた。頼隆は、細身ではあるが、さほど背が低いわけではない。五尺弱はある。 四尺五寸程度の絢姫でも、この時代では体格のいい方だ。 ーこんな大女、いてたまるか!ー  内心、ぶつぶつと文句を言う頼隆を余所に、絢姫も侍女も、所作のたびにふぅわりと匂う色香にうっとりと頼隆を見上げていた。直義の顔を見るとますます脂下がっている。 「せっかくですから、化粧も---」 と言い出す絢姫に、頼隆はさすがにきっぱりと拒んだ。 「しません ! 」 「何やらお賑やかですな---」  打ち掛け姿の頼隆にきゃっきゃっとはしゃぐ絢姫達の背後から、掠れた低い声がした。  柾木が、ひょいと顔を覗かせていた。 ーこやつには、見られたくなかった---ー  頼隆の動揺を察してか、柾木は唇の端でにやっ---と笑った。 「良くお似合いですぞ、御前様。」  語尾を強調され、むっ---とする頼隆の目の前に、柾木は山のような文書をどん---と置いた。 「それは?」  直義が、ちら---と目をやって問うた。 「吾桑の領地の知行割です。頼隆さま---失礼、御前様には、お時間がたんとあるようなので、整理と検討をお願いしたいと思いまして---」 ー私からの『お土産』です。ー と、嫌みたっぶりに柾木は付け加えた。 「国獲りは、後の始末が肝要ですからな--。」  うむ---と直義は頷いて、不満顔の頼隆の二の腕をぽんぽん---と叩いた。 「我らを欺いた罰じゃ。しっかりと努めよ。終われば都に連れていってやる。」 「都? 本当か?」  頼隆の目が、急にキラキラと輝いた。 ー都に行けるのか?!ー  すべての武士、武家のみならず、この国の者達の憧れ---『都』の言葉に頼隆は踊った。 「本当じゃ。---そのための打ち掛けじゃ。」 「はぁ?---なんじゃとぉ?」  直義は、天にも舞い上がりそうな頼隆に思いきり釘を指した。 「都は、まだまだ物騒だからな。女姿のほうが安全であろう。」  柾木も、然り---と深く頷いた。 「御前様は、また名を上げてしまわれましたからな。あまり人目に触れるのも宜しくありませんから、殿の奥方の振りをして行っていただきます。」 「う---。」  仏頂面の頼隆に、絢姫がころころと笑って言った。 「では、お名も変えねばなりませんね。その折は---」 「絢どの---」 「八雲さま---というのは、いかがでしょうか?殿が大事に、大事に八重垣の内にしまわれておいでですから---。」  ますます眉を寄せる頼隆に、直義はう~んと形ばかり悩んだ振りをして、ニカッ--と笑って言った。気にいったぞ---と絢姫に目線で合図を送る。 「妙案じゃの、絢。では、八雲御前、しっかり頼んだぞ。」 「直義!」 緋色の桜が、頼隆の背中でさわさわと揺れた。  夕刻近くにやっと絢姫達の『お遊び』から解放された頼隆は心底、閉口していた。 ーあんなものを着せられて歩かされるなどたまったものではない。ー  重いし、刀を振るには袖が邪魔だ。  頼隆は夜を待って、真剣に直義に抗議した。が、直義は一向に意に介さず、 「ダメだ。」 の一言だった。 「お前の無茶を押さえるには、多少の不便が無いとなぁ---。」  「それが本音か。」 「そればかりでは無いがな---」  打ち掛けを眺めて口許を弛ませる直義に、頼隆は思い切りむくれてそっぽを向いた。  ー嫌がらせにも程がある---。ー  勝手に城を抜け、戦に参戦したのが気に入らないのは、判る。 ー勝てたのだから、良いではないか。ー と言っても、 ー白勢の軍だけ寄越せば良いものを、お前まで城を抜けて刃を振るわんでも良かったであろう!ー と憤慨して収まらなかった。 ー策が成らなかったら、どうなっていたと思うのだ!ー ー草葉の露よ。ー と、あっさり言い捨てると、ますます頭から湯気をたてる。 「何故じゃ。武士が戦に出たいと思うのは、当たり前ではないか。」 「そういう事ではない。」  ひとしきり睦み合った後、尚も懸命に抗議する頼隆に、やれやれ---という顔をして、直義は言った。 「座れ。」  胡座をかいて腕組みをし、正座した頼隆の目を真っ直ぐに見つめた。 「お前、お前の生命は誰のものだと思っている?」 「は?」  頼隆は、素直に首をかしげた。 「我れの生命は我れのものではないか。」 「違う。」  即座に否定して、直義は続けた。 「お前の生命は、皆のものだ。---白勢の家臣---幸隆を始めとする一族郎党、佐喜の民、皆のものだ。---そして、今は儂のものでもあり、絢のものでもある。分かるか?」 「皆のもの---だと?」  合点がいかぬ---と言わんばかりの頼隆に、直義は大きくため息をついた。 「お前がいなくなった時の幸隆を、白勢を佐喜を考えてみろ。」  頼隆は黙り込んだ。兄は嘆くだろう、家臣は戸惑うだろう、民は---どうだろうか? 「わからんのか?---国主が、領主がいなくなれば、領内は当然、不安定になる。他所の国から攻め入られるかもしれぬ。その時に一番辛い思いをするのは誰だ?」 あ---と頼隆は声を上げた。 「国主というのは、そういうものだ。国主は国に生きる者全てのものだ。だから、軽々しく身を危険に曝すようなことをしてはならんのだ。『死なないこと』が国主の一番の責務なのだぞ。」  ずしり---と胸に堪えた。 「幸隆が、お前を国主という座に留める限り、お前は軽々しく死ぬことは出来ぬのだ。そればかりではない---」  直義は、言葉を切り、こほん---と小さく咳払いした。 「お前は、儂の女だ。儂のものだ。だから、お前の生命は儂のものでもある。」 「な---」  反論しようとする頼隆を遮って、直義は続けた。 「国主たる儂のものである---ということは、那賀の民、九神の家臣、そして絢姫のものでもあるのだ。」 「那賀の?」 「そうじゃ。柾木はお前をこの九神の軍師に育てる---と言うた。されば、ゆくゆくは、佐喜や那賀の民だけではない、この日の本の民、すべてのものとなる。」 「直義---」  頼隆は言葉を失った。壮大過ぎて想像がつかなかった。 「よいか、頼隆。人は生きねばならぬ。それは義務じゃ。人との交わりの中で人は生きておる。なれば、自らの関わりある人全てのために生きねばならぬのだ。」  直義の腕がぎゅ---と頼隆を抱きしめた。   「儂はこの温もりを失いとうない。お前の全てを失いたくないのだ。」 「我れは---」  直義を死なせたくなかった。だから戦に駆けつけた。 ーそれは全ての人が、誰もが同じなのだ。ー   直義は、耳許で囁いた。それ以上に--- 「惚れた相手なれば、傷のひとつもつけたくない。---それは当たり前のことだ。」 「我れが『鬼』でもか?」  直義の温もりの中で、頼隆は問うた。  どうしても問うてみたかった。それが『失なう』ことと引き換えになっても--。 「我れは---我れの中には鬼が棲む。そなたはそのような代物に惚れるのか?」  幼少期から自分の中の『得体の知れないもの』を知っていた。人の世にいてはならないもの---だからこそ人から遠ざかった。早くこの世から立ち去らねば---と思っていた。なのに ---何故この男は気にも留めぬのだろう---ー。  訝る頼隆に、直義はあっけらかんと笑って言った。 「人であれば、皆その内に鬼も仏も棲んでおる。故に儂は怖れぬ。『人』のお前は、無垢で可愛ゆうて、向こう見ずで---目が離せぬ。だから惚れたのじゃ。  たとえ一時、鬼が顔を出しても、儂が『人』に引き戻す。『仏』が顔を出しても同じじゃ。儂は『人』のお前に恋をしたのだからな。」  直義の腕が頼隆を強く抱きしめる。頭を撫でる手は優しく大きかった。頼隆は、その胸に深く顔を埋めた。 ー恋---か。ー  頼隆は、兄の言葉を思い出した。 『恋を知らない---というのは、桜の花を見たことが無い---というのと一緒だ。』  知らなければ、心を揺さぶられることはない。しかし、見てしまえば、知ってしまえば、心をそこに捕らわれる。捕らわれるとともに、新しい景色に出逢う。それは喜びである---と幸隆は教えてくれた。 ー世の中にたえて桜の無かりせば 人の心はのどけからまし---ーと。  頼隆は、自分の内にほつほつと小さな蕾が綻び始めているのを、まだ気付きたくなかった。 ー知ったら、きっと---。ー 捕らわれてしまう。ふっ---と眺める柄衣掛の桜は、夜陰の中で誘うように白い枝を伸べて爛漫に艶めいていた。

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