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第27話 蘇芳
ーここが、都か---。ー
頼隆は、御簾をそっ---と上げて、辺りを見回した。
約束どおり、必死で用向きを片付けた頼隆を伴って、九神直義は上洛した。都に住む斎主---この国の最高権威を持つ存在に天下を治める最首となる約定をもらうためである。
「御前様、あまりお顔を出さないように。」
「わかっておる。」
柾木が傍らから、釘を指した。上洛に際し、直義は頼隆に駕篭での同行を条件とした。
ー何故、馬ではいかんのだ ?!ー
むくれる頼隆に、直義は『当然』と言わんばかりの顔をした。
ーお前は、内室として、同道するのだ。駕篭が当たり前だろう。ー
結局、都に行けることが何よりな頼隆は直義の条件を飲んだ。例の打ち掛けは派手過ぎるので、かろうじて、今少し無難な藤色の打ち掛けと萌葱の小袖で妥協した。錦に瑞鳥を織り込んだ帯を締めて佇めば充分に直義の威光は窺える。
ー立派な『お方様』でございますね。ー
絢姫に、全く嬉しくない褒め方をされた挙げ句、袖に紅を持たされて送り出された。
ー馬なら、もっと街の様子も見れるのに---ー
頼隆は聞こえてくる賑わいに、歯噛みした。自由に振る舞えないのが残念だった。
少し外を覗くのも、柾木に鋭く注意された。
それだって、御簾越しに見る街は活気に溢れて華やかだった。佐喜も那賀も栄えているが、これほどの活気は無い。斎主の偉大さが手に取るようにわかった。先の帝はこの斎主の第一の奉仕者として、顕つ世のこの国を治めていたが、謀叛に倒れた。
ー直義は、帝になるのか?ー
頼隆は訪ねたことがある。
ーなる。斎主の倫旨をもろうて、新しき世を作る。今でとは異なる形の国にはなるがな。ー
直義は、はっきりと言い切った。
ー外つ国と、互角に関わりを持てる、豊かで自由な国にする。ー
ーどうやって?ー
ー今はまだ国中の戦を終らせるのが先決だ。
その後、国を平定してから、作り直す。ー
ー遠いのぅ。ー
頼隆は苦笑した。
ーだが、行けるところまでは、行く。頼隆、着いてきてくれるか?ー
真剣な眼差しが真っ直ぐに見詰めていた。
ー直義は、どういう国を作るのか---。ー
回想は、そこで途切れた。
「着いたぞ。」
直義が、駕篭の傍らに立っていた。侍女が駕篭を開けた。正しくは、侍女を務めるくノ一達が、頼隆の傍らに跪いた。頼隆は、ゆっくりと立ち上がり、直義の手を取った。不本意ではあるが、打ち掛けなんぞという慣れない格好は動きにくい。絢姫にかなり指導を受けたが、やはり慣れない。
「足許に気を付けろよ。」
「うむ。」
直義らしくもなく、振り返り、振り返りしながら、城内に入った。頼隆も続いた。
城---と言っても、安能や鷹垣の城とは異なり、高い天守閣は無い。矢倉も控え目な高さだ。
ー斎主を見下ろすのは無礼である。ーということらしく、先の帝が作ったという屋敷構えの城を直義が直して、所有していた。
「ここが、御所か?」
と訊くと、違う---という。
「御所は、もう無い。」
謀叛を起こした領主が火を放ち、焼け落ちた---という。
「一から作り直しか。」
頼隆が言うと、何故だか嬉しそうに直義は笑った。
奥まった座敷に座り、頼隆はふぅ---と息をついて、植え込みの方を見た。トビが中間の姿で控えていた。
「手配は?」
「出来ております。」
頼隆は小さく頷いた。
次の日から、思いもかけず多忙だった。
恭順した都周辺の土着の郷士が献上品を携え、次々と訪ねてくる。貴族達がご機嫌伺いの使者を寄越す----。
頼隆は喉仏が露わにならぬよう襟元に薄絹の布を巻き、来客への対応に隣席させられた。
ー南蛮の布でな、すかーふ、とかいうらしい。ー
淡い生成の生地には繊細で緻密な刺繍が施されていた。小さな鳥を象った銀の留め具には緑色の石が、目に嵌め込まれていた。
ー翡翠か?ーと訊くと、違うらしい。
ー絢の土産にも、もろうてある。ー直義は頼隆の言いたいことを先回りして、押さえていた。取り敢えず、その気働きだけは褒めておこう---と思った。
「これは---お美しい御方様で---。」
と挨拶する客達に内心、いたって不機嫌なのを隠し、無理矢理な笑顔で対応するのは、なかなか骨が折れた。
「八雲御前。」
という即席の二つ名に対応するのは、もっと難儀だった。つい他人事のような素振りになるのを、直義の目線に何度も咎められた。
ー我れは、そのような名ではない。ーと、むくれる頼隆に、あくまでも便宜上と言いながら、直義は如何にも得意気だった。
その愚にもつかない賓客の中で、唯一、頼隆が待ち焦がれていた客がいた。
土御門の大夫---頼隆の祖父である。上洛することは、前以て文で伝えてあった。祖父は、遣いをよこすのではなく、自ら来訪してくれることになっていた。
その日だけは、元の武士の装いで別室で応対することを赦された。
ー土御門の大夫さま、御見えにございます。ー
近習の言葉に胸が踊った。案内役は勝手を知っている弥助、治平も控えにいた。
灰色がかった濃い蘇芳の直衣がゆったりと部屋の敷居を越え、頼隆は下座に身を据えた。一礼し、初めての対面に緊張の面持ちの頼隆に、祖父は柔らかな笑顔で語りかけた。
「そなたが、弥一郎どのかぇ?」
「はい---」
まだ、表情の硬い頼隆を、翁の微笑みがやんわりと包んでいた。
「二の姫によう似ておる---まっこと生き写しじゃなぁ---。」
祖父の目にうっすらと涙が浮かんでいた。
二の姫、すなわち頼隆の母は、佐喜に身を寄せて後、都の土を踏むことなく、みまかった。父の大夫も、直義が都周辺の領主を従え、ある程度の秩序が取り戻されたつい五、六年前に都に戻った---という。身を寄せていたのは、あの吾桑と海を挟んだ地の領主だと、この時初めて知った。
「九神どのには、ほんに感謝しておる。ようやっと都の土を踏むことがかなった。いくら礼を言うても足りぬ。」
ーよう仕えて下され。ーとにこにこ顔で言う祖父に、頼隆は内心、苦笑いをしていた。
「弥一郎どの、手土産じゃ。受け取って下され。」
直義への土産の品とは別に、祖父は頼隆にも手箱を二つ三つ、用意していた。
「媼も大層に喜んでおった。最近はめっきり身体も弱くなって、見苦しい姿は見せとうないと言うていたが---叶うことなら、見舞ってやって下され。」
祖母の樗の局の文と扇も添えられていた。
「それと---」
祖父は、扇で口元を隠し、ひそ---と言った。
「設楽どのがな、一度会いたいと申しておった。礼を申したいそうじゃ。」
頼隆は、一瞬、眉をひそめたが、丁寧ににこやかに返した。
設楽どの---というのは、祖父の大夫が身を寄せていた土地の領主、そして最初の吾桑攻めの際に協力を拒んだ男だ。二度目の戦では関わり無い振りをして、吾桑に近い水軍の頭領を攻め立て、制海権をその手に握った。
吾桑は、そちらにも援軍を出さねばならず、結果、吾桑の軍勢の戦力を削ぐことにはなったが---。
ー食えない男だ---。
頼隆は苦いものを喉元に押し込めた。
和やかに祖父と語らい、日暮れ近くまで過ごした後、頼隆は人払いをした戸口まで祖父を見送った。傍らに立っていた直義に、穏やかに微笑み、
ー弥一郎どのをよろしゅう---ー
と言い残して、祖父の輿はゆるゆると遠ざかっていった。
頼隆は、さっそくに祖母の見舞いの件を口にした。直義はしばらく渋っていたが、柾木を供につけることで、承諾した。
翌日、斎主に目通りするために、直義は頼隆を残して、城を出た。
黒の直衣に烏帽子という慣れない姿に窮屈そうな直義に、ー馬子にも衣装じゃな。ーと返して、自室に戻った。
誰もいないことを確かめ、祖父の手土産の手箱を開け、にっこりして、また硬く蓋をした。トビを使って入手した最新の短筒が二丁、二重底の合間に隠してあった。
祖父の手土産なら、柾木も手出しは出来ない。前もって土御門の祖父に頼んで正解だった---と頼隆は満足気に箱を見た。
直義の不在の間、夜中にしっかり稽古はしていた。格子の間から狙った枝に確実に当たるくらい修練した。後は実践だ---逸る気持ちを押さえ、辺りに人けが無いことを確かめた。
ートビ---。ー
頼隆は天井に向けて声をかけた。
ー動いたか?ー
ーはぃ---。ー
二つの眼が、キラリと光った。
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