「おぉ、よう参られた。お待ちしておりましたぞ。」　 　 　十葛との戦に勝利し、名実ともに最首となった九神直義は、都の斎主に戦勝の報告に訪れた。 　その二日後、頼隆は、都の土御門の屋敷にいた。祖父の太夫は、いつもながらの穏やかな微笑みで孫を出迎えた。まずは戦勝の祝いを述べ、祝いの膳を共にした。 　「この度は、おめでとうさんどす。名実ともに見事に最首にならはりましたな。直義はんは」　 　「我れも、まずは安堵しております」 　都にも、既に聞こえている。九神直義は武将達の頂点に立ち、人々の安寧を図るため、新しい政の枠組みを作り始めた。その行方に対して、民衆や貴族達の期待も関心も大きい。 　頼隆は食事を終えた後、乞うて祖父の茶室に座を設けてもらうと、祖父の点てた茶を喫しながら、静かに応えた。簡素だが風流で雅なこの佇まいが好きだった。床の間の設えも茶道具も、媚びず驕らず、恬淡としてそこにあった。 　頼隆は、軸に描かれた真っ白な蓮の花がそよそよと吹く風に幽かに揺れるのをしばし見惚れていた。 　「これで、天下も安泰どすな---。」 　ゆるゆると柄杓で湯を操りながら、翁が微笑んだ。 　「まだ、道半ばにはございますが---。」 　意外にも、返す頼隆の言葉に高揚は無かった。ただただ静かに微笑み、眼を伏せた。 　「弥一郎はん？」 　太夫は、ふ---と胸内の騒ぐのを感じた。 　「その後、直義はんはお健やかで？」 　「はい。直義は息災でございます。輝信どのも---。」 　ただ---。と頼隆は言外に呟いた。ここに到りまでに、多くの者が去った。兄-幸隆や絢姫、そして柾木---この戦に到る前に去った者達もあるが、今回の戦で世を去った者も多い。 　初めて近習として着いた弥助や治平、頼隆が剣を指南してきた少年達の多くが命を落とした。それほどに熾烈な激戦だった。 「直義はんも、輝信はんもお身内を亡くされたとか----ほんに戦とは酷いものにございますな。」 　直義の伯父や弟、輝信の弟、甥------血を分けた者も多く亡くなった。中には頼隆の従兄弟もいた。太夫の耳には大方の情報は既に入っていたらしい。 　「真に------我れらは、戦無き世を創らねばなりませぬ。が-----。」 　「弥一郎はん？」 　「難しいものです---」 　頼隆は、茶を干し、庭先を見詰めた。青紅葉が鮮やかさを増し、時を過ぎた桜の花びらが一面に地に降り敷いていた。 　「花の季節ももう終わりますな---。」 　薄紅の唇が小さく呟いた。太夫は息を呑んだ。 　頼隆は密やかな口振りで言った。 　「土御門の血---辛いものですな。けれど、それが故に、私は『人』というものを知りました。本当に『人』というものは、暖かく、愛うおしく-----切ないものですな。」 　頼隆は小さく笑った。何処とはなしに哀しげなその笑みに太夫は返す言葉を失った。 　「今は----この世に生きられた事には感謝しております。母上初め幸隆兄上や白勢の者達皆に慈しんでいただき、直義に会うて、人と共にある喜びを知り、良き夢を見て生きて参りました。---太夫さまにも、周囲の方々にもそれは良うして頂きました。輝信どのにも---」 　ふふっ-----と声を洩らし、頼隆は今一度、庭先に目を向けた。 　「我れは幸せ者でございます。---この頃はつくづくとそう思うようになりました。」 　翁はす-----と眼を閉じた。この世ならぬものと語り、この世ならぬものを見る。土御門の翁の逃れられぬ宿業は、一筋の滴となって頬を伝った。 　　　 　色褪せた唇が震えながら、呟いた。 　「弥一郎はん、そなたは、それで---良ろしゅうおすのか？」 　太夫は、他に言える言葉が無いことを悟った。が、その声は震えて、押さえようが無かった。　 　「我らは先達でございますゆえ------後は輝信どのが形にしてくれましょう。」 　頼隆の眼が伏せられ、その頭が深く下げられた。 　「太夫さまに存分な孝養を尽くせなんだこは申し訳ないと思うております。----我らは随分と殺生を重ねましたがゆえ、蓮の臺には辿り着けはしますまい。なれど------」 　ゆっくりと上げられた面がふわりと微笑んだ。 　「悔いは、御座りませぬ。」 　「真に----」 　蘇芳色の袖が、口元を覆った。堪えきれぬ咽ぶように呟きが洩れた。 　「我らは因果な血ぃに産まれてしもうた---」 　「そのように仰せ下さりますな---」 　頼隆は困ったように笑いながら言った。 　「この先、国許を離れることもなかなか儘ならなくなりましょう故、まずはひとまずお暇乞いをしておかねば---と思うて罷り来るしたる由にございます。」 　うんうん---と翁は何度も頷いた。 　その背中は、いつもより小さく頼り無げに見えた。頼隆は乞われるままに、日暮れるまで、翁と語り合った。 　「いつでも、また来はったらええ。待っておるよって-----。」 　翁は、帰り際に頼隆の頬に手を触れ、両手を握りしめて、すがるように囁いた。 　「弥一郎はん------宿命(さだめ)は変えられずとも、『選ぶ』ことはできはるんえ？よう考えてな-----。」 　頼隆は答えなかった。ただただ深く頭をさげ、土御門邸を後にした。 ―選ぶことは出来る。なれど------― 　すでに、頼隆は『選んだ』のだ。そっと閉じた瞼の奥であの真っ白な蓮の花が静かに揺れていた。