16 / 52

君がため 第10話

 ――離せと言うまで、このままでいてやろう……。  悪戯にそう思いついて、廊下に出ても手を離さなかった。 「そういや、なんでお前ここにいるんだ? ジャンケンで勝ったのに」 「だって。待ち合わせの場所、決めてなかったから」 「意味ねぇー」  呟いて、廊下の或る一点で視線が止まった。  彼女が立っていた場所。  さっきまでは居心地の悪かった空間。  名前も聞かなかった。  憶えてるのは、あの真っ直ぐな瞳と、後ろ姿だけ。  ――今度。  もし今度、映画館で。喫茶店で。遊園地で。水族館で。  彼女を見かける事があったなら、その瞳が、その背中が、『とても楽しそう』である事を願う。  彼女がいる場所が、『居心地のいい空間』である事を祈る。  それを為してやれるのは、俺ではないけれど。  紡がれた彼女の言葉は、俺には届かなかったけれど。 「卒業、おめでとう」  俺もまた、彼女の耳には届かない言葉を呟こう。 「……なんだって?」  怪訝に目を剥く弘人にも、教えてやらない。  だってこれは『彼女』にだけ、贈った言葉だったから。

ともだちにシェアしよう!