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第43話 溢れる感情①

11   溢れる感情    帰りの電車に乗っている時に降り始めた雨は、最寄り駅に着く頃にはすっかり本降りになっていた。生憎傘がなかったため、コンビニで傘を買おうかこのままタクシーで帰ろうか、思案しているところに「あれ? きみ……もしかしてさ」と二人組の若い男たちに声を掛けられた。  誰だろう? そう思った二人の男を見比べて、そのうちの片方の男の顔と耳のピアスになんとなく覚えがあった。 「あ」  声を発したのと、その男を思い出したのは同時だった。いつだったか、サイトで知り合ってホテルに行き、行為の最中に興奮が高まり暁人を殴った男だった。反射的に男に背を向けてその場を去ろうとすると、後ろから腕を掴まれ逃げることを阻まれた。 「やっぱり! その顔は、思い出してくれた?」  男がにやりと笑った。まえに暁人を殴った時と同じ冷ややかな笑い顔に、身体がすくんだ。 「酷いな、顔見て逃げることないじゃん。なに? もしかしてまた相手探してんの? だったら俺たちが相手しようか? 3Pとか興味ある?」 「違っ……、人違いだ」  そう言って手を振り払おうとしたが、簡単には振りほどけないほど男の腕の力は強かった。 「違わないよ。俺、きみの顔かなり好みだったから覚えてる」  口調は優しげが、あの夜手首を縛られ、顔を殴られた記憶に身体が震えた。男が好きだと言ったサディスティックなプレイに抵抗し、少し暴れたら殴られた。たった一度だけだったが、恐怖を覚えトラウマになるには充分な経験だった。 「俺は覚えてない。てか、知らない。放せって」 「もしかして、この間のこと怒ってんの? きみ暴れるからちょっと大人しくさせただけじゃん。激しくされてけっこう悦んでたくせに」 「ふざけんな……っ!」  思いきり男の手を振り払ったが、今度はその男の連れが暁人の行く手を阻み、再び腕を掴まれた。 「そんな嫌がんなくてもいいじゃん。俺たちと遊ぼ? 俺はこいつと違ってめちゃくちゃ優しくするからさ」  連れの男が笑いながら言った。 「だからっ……いらないって! 放せって言ってるだろ」  大きな声で言って、もう一度男の手を力一杯振り払った。そんな暁人たちのやり取りを周りの人々が何事かと眺めている。暁人が絡まれていることは見れば分かるだろうが、もちろん周りの人間はその状況を眺めているだけだ。当然だ、誰だって厄介事に巻き込まれることは避けたいものだ。  その時、 「──柴?」  ふいに聞き覚えのある声に呼ばれて振り返ると、なぜかそこに葉山が立っていた。小型のスーツケースを手にしていることから、例の法事帰りだということが分かる。葉山のマンションはこの駅の北口から近い。帰り際に、偶然暁人を見掛け声を掛けてきたのだろう。 「……葉山さん」 「おまえ、こんなところで何やってんだ」  小さなスーツケースを引きながら近づいてくる葉山を「なんだ、こいつ」と二人の男が睨みつけた。──が、それには構わず近づいてきた葉山が、暁人と二人の男の前に立った。 「柴、こっち来い」  葉山が低い声で言った。 「……」 「いいから、こっちこい!」  彼の厳しい口調に驚いて、暁人は反射的に男の手を振り払って葉山のほうへ駆け寄った。それと同時に葉山が暁人の手を強く引き、そのまま「走るぞ」と言った彼に半ば引きずられるように走り出した。 「おいっ、待てっ!」  背中越しに男たちが追い掛けてくる声と足音が聞こえたが、暁人は自分の手を引いて走る葉山の背中を追い掛けることで精一杯だった。  小型ではあるが片手にスーツケースを提げ、なおかつ暁人の手を引いて走っているにも関わらず、葉山はとても速かった。学生のとき以来の全速力に、心臓が壊れてしまうんじゃないかと思うほど呼吸が苦しかったが、苦しいながらにも前を走る葉山の背中が広いなとか、手が熱いな、とかそんなことばかりを考えていた。  次第に背中から聞こえる足音が小さくなり、男たちを振り切ったのだろうということが分かったが、葉山はその足を止めずに彼の住むレンガ造りのマンションまで走り続けた。

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