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第47話 溢れる感情⑤
「柴、手ぇどけろ」
「い、嫌です」
「顔、見せろって」
「嫌だって言ってるじゃないですか!」
しばらくの間、必死に顔を隠そうとする暁人と、その腕を解こうとする葉山の攻防が続いたが、腕力で上をいったのはやはり葉山のほうだった。
「……じゃあ、その顔なんだよ」
「だからっ、違うし。空耳でも聞いたんじゃないですか。だいたい、本当だったら気持ち悪いでしょう!」
葉山だって、所詮は普通の男だ。
同性からの好意が他人事のうちは、何とでも言えるのだ。それが自分に対して向けられたものだと分かれば、引いて距離をおくことを選ぶのが普通なのだ。
これまでだって、ずっとそうだった。親友だと思っていたやつにさえ、引かれて気味悪がられた。葉山だってきっと同じはずだ。
「どうしてだよ? 普通に嬉しいぞ、俺は」
「は……?」
「おまえに好かれてんだって思ったら、普通に嬉しいよ。気持ち悪いなんて思わねぇ」
そう言って白い歯を見せた葉山を、暁人は驚いた顔のまま凝視した。この男は、どこまでも暁人の想像の斜め上を行く。
暁人が驚いて固まっている間に、葉山の手がそっと暁人の頬の涙を拭った。彼が暁人を見て優しく微笑んでから、ゆっくりとこちらに身体を寄せた。次第に近づいてくる葉山の顔を見つめながら、身動きをとることさえ忘れていると、次の瞬間頬にぬるりとした温かな感触が伝わり、彼が暁人の涙を舌で舐めたのだということに気が付いた。
「……なっ、なにして……っ」
反射的に後ろに飛び退いた暁人は、後ろがドアだという事を忘れていたために、思いきり後頭部をぶつけてしまった。酷く鈍い音がして「──痛っ!」と頭を抱えると、それを見ていた葉山がなぜか楽しそうに笑って、暁人の頭を両手で包み込んだ。
「バァカ。後ろドアだっての。大丈夫か? すげぇ音したぞ」
誰のせいだと──! と言おうとして、それが声にならなかったのは、微かに動いた唇を葉山に塞がれてしまったからだ。
──なにが、起きてる?
あまりに想定外な出来事に、視界に映る景色全てがスローモーションのようになった。ゆっくりと近づく葉山の顔が暁人の視界いっぱいに広がり、最早目の前にいるのが誰なのか分からないほど近づいて影になるのと同時に、唇に触れる温かな感触。しっとりと触れるだけ、きっと時間にしたら一秒か二秒あったかなかったか──の時間が、体感でいうとその百倍くらい長く感じた。
視界いっぱいでただの影でしかなかった葉山の実態が、少しずつ離れて行き、ようやく彼だと判別できる距離まで戻ったとき、ぱっと魔法が解けたみたいに暁人の中のリアルな時間軸が戻った。
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