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第21話

 モール内の『そば処』。  テーブルの上で車雑誌を捲りながら、想像を巡らせていた。  孝太はどんな車が好きだろう、と。  多分彼の事だから、乗れればどれでもいいと言うのに違いない。  だがそれでも車によって、見せた時の反応が違うだろう。 「久坂先生、真剣ですね」 「こんなに難しい顔して車雑誌見る奴、初めて見たな」  脇からコソコソと、話す声が聞こえてくる。 「先生、車買うんですかぁ?」 「彼女の為ですかね?」 「メロメロだな」 「えー、いいなー」  雑誌をテーブルに置いて、3人を見回す。 「なんですか」 「いや。有意義な昼休みを過ごしてるなーと」  食べ終わった丼を脇に押し遣って、先輩がトントンと雑誌を小突く。 「これなんかいいんじゃないか? あの子にピッタリだ」  それは、スカイブルーのスポーツカー。  車もだが、値段も勿論超一流の代物だ。 「これですか……」  確かに孝太には、似合うかもしれない。 「すごーい! 高額ですねー」 「もう少し、女の子が喜ぶ色が良くないですか? せめて赤とか」 「赤いスポーツカー? ありがちだなー」  先輩がゲンナリと肩を竦めてみせる。 「私ならオレンジの車がいいなー」 「君の意見は訊いていない。それに、乗るのは久坂なんだぞ」 「それじゃあ、この色じゃなくてもう少し落ち着いた色がよくないですか?」  僕を差し置いて、三者三様の意見を交し合っている。 「あのね、みんな。貴重なご意見は有り難く拝聴するけれども、少し黙っ ててくれます?」 「絶対、これがいいって」 「――少し、派手過ぎなような…」 「いやいや。今の若い子はこれぐらいの方が喜ぶって。そして、たまに俺に貸してくれ」 「先輩が乗りたいだけじゃないですか」 「あ、バレた?」  カラカラと笑っていた先輩が、ハタと動きを止める。上着の内ポケットから携帯を取り出して、耳へとあてた。  席を立ちながらボソボソと話していた先輩が、突然頓狂な声を出す。 「は? 予定日は明日だろう。今からは無理だ。午後の診療がある」  腕時計を見ながら、顔を顰めた。 「ああ、ああ。そりゃそうだ。兎に角、診療が終わったら寄るから」  席に再び座る先輩に、声をかける。 「どうされたんですか?」 「ああ、おふくろからだ。智恵子が産気付いたらしい」 「ええぇっ?」  大変じゃないですか、と騒ぐ僕達に、先輩は肩を竦めた。 「大丈夫だよ。もう既に入院してるし。向こうの母親が付いてるし、おふくろも今から向かうって言ってたから」 「どうして、先輩に連絡なかったんですか?」 「智恵子が止めたんだと。診療があるからって」 「ええーっ。でも、来てほしいんじゃないですかー?」 「私もそう思います」  女性2人の意見に、眉間に皺を寄せる。彼も行きたいのは、山々なようだ。 「いいですよ。ひと目だけでも、見てきてあげて下さい。数時間くらいなら、僕頑張りますから」 「そうですね。初めてのお産ですもの。きっと奥様不安ですよ」 「そうですよー」  しばらく迷っているようだったが、僕達3人の顔を見回して頷いた。 「じゃあ、ひと目だけ」  そう言って立ち上がり、ワタワタと財布を取り出そうとする。 「いいですよ。僕出しときますから。事故らないようにだけ、気を付けて下さい」 「サンキュー、宙」  ポンと僕の肩に手を置いて、2人にも目を向ける。 「丸山さんも、古谷さんも、ありがとう」 「奥様によろしく」 「写メ撮ってきて下さいねー」 「ああ。金曜は、みんな昼メシ奢るから!」  スルリと肩から手が離れて、駆け出して行く。振り返り見送って、自然と笑いが零れた。  どうやら、宙と呼ぶのが癖になってしまったようだ。それはふとした時に出てくる。そして心に、くすぐったいような、微かな幸せの余韻として、残っていた。  ――孝太に聞かれたら、きっと目を剥くに違いないけれど……。  クスクスと笑った僕に、2人が不思議そうに首を傾げる。 「どうしたんですか?」 「いや。院長の方がメロメロだと思って」  3人で吹き出した。 「本当ですねー」 「確かにメロメロー」  明日からは春休みだから、家に帰れば孝太が待っていてくれるに違いない。  いつもは真っ暗な廊下とリビングにも、今日は煌々と電気が点いている事だろう。  今までは当然だった暗い廊下も、虚しく響く鍵をかける音も、一度この幸せを知ってしまっては、もう堪えられないのかもしれない。 「おかえり」  すぐにリビングのドアが開いて、その先には、君がいるんだ。  満面の笑みを浮かべ、小走りに走って来てくれる。いつものように靴を揃えて、埃を払って……。  そうして僕を、ずっと幸せに浸らせて。

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