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甘く深い接吻から(2)

 唇を触れ合わせるだけの、子供の遊びみたいなキスしかしたことが無かった俺の唇を碓氷は貪るように口付けた。唇を湿らせるように――開けるように、俺のそれを舌で舐ってみたと思えば、息苦しさに少しだけ開けたその隙間に彼は舌をそのまま差し入れる。彼が飲んでいたカルアミルクの味が仄かに残る彼のそれは、俺の歯をなぞりその奥へと進みたいとでも言うように舌先で歯列をノックする。言葉のないその行為は、時折漏れる互いの吐息と、言葉よりも雄弁な彼の舌といつの間にか両頬に添えられた熱い手だけが印象的で。自然と開いてしまった歯列の隙間から奥へと進められた彼のものは、俺の知らない生き物みたいに荒々しく俺の口腔を貪り始めた。自分でも触れたことがないような場所を器用に撫であげるその生き物の動きに、ぞわりと腰が疼く。自分でも聞いたことのないような、色を含んだ吐息が漏れて、彼は気をよくしたのか更に深く――どうすればいいのかわからなかかったされるがままの俺の舌へと、彼自身のそれを擦り合わせたのだ。 「――ん、っ」  暗い部屋の中で、靴すら脱がずに続けられた深く長いその接吻は、碓氷の満足げな笑みと共に終わりを告げる。俺は今まで知らなかったそんな行為に、心臓がどこにあるかも分からないくらいにドキドキしていた上に、身体は熱く火照っていた。する、と布越しに撫であげられた中心にびくりと肩を揺らしてしまえば、知らなかった快感に兆しを見せてしまった俺の欲を彼に知られる。 「ちょっと、勃ってる?」  どこか楽しげに笑みを浮かべた碓氷の顔は、男の欲を光らせていた。「――そりゃあな、」思わず意地を張って何でもないことのないように口にした俺の言葉に、嬉しそうに微笑んだ彼は再び俺の唇に彼のそれを重ねる。今度は子供がするような触れるだけの接吻をひとつだけ落とした彼は「でも、がっついちゃうから、今日は我慢する」とだけ口にして、俺に倒れ込んでくるように、肩口へとその頭を埋めたのだ。 「――どうしろって言うんだ」  思わず溢した俺の言葉に答える声はない。すぐに規則的な寝息を立て始めた碓氷にしがみつかれたままで俺は壁にもたれたまま嘆息する。お前はこのままここで立ったまま寝るつもりか、とか勃ったままの俺はどうすればいいんだとか、頭の中で彼への文句はいくつか浮かぶ。それでも何故だか俺はこの男をこのまま投げ飛ばす事は出来ず、アルコールのせいか立ったまま器用に深い眠りへと就いた碓氷の靴だけ足先で脱がしてやって、ベッドへと送り届けるのだ。そして俺はせめて上着だけは脱ごうと彼から離れようとしたものの――意外と力のあるこの男の両腕から抜け出す事が出来なかった。諦めて、碓氷の抱き枕にされたまま、この部屋に唯一のシングルベッドの上で俺は瞼を下ろし、その夜を越した。知らない体温を横に、持て余した熱はそのままで。 「――舞島?」  カーテンもひかずに眠りについたシングルベッドの上で、俺を抱きしめたまま寝ていた男は寝起きの掠れた声で、俺を呼ぶ。「ったく、人を抱き枕にしやがって」俺の言葉に「すげぇいい夢見た」とぼんやりとした様子で答えにならない答えを返した碓氷は、にへら、と頰を緩ませて「お前キスする夢」と言葉を重ねる。そんな彼の様子が少しだけ面白くなくて、俺はそれが夢ではない事を教えてやる。 「え――えっ、嘘、でも俺も舞島も服着てるし……っていうか、なんでお前上着着たままなの……?」  焦った様子でガバリと起き上がった碓氷に「お前が離さないからだろ――それに、ヤってはない」と俺もベッドから起き上がり、そのままあまり眠れず重苦しい痛みを残す頭を軽く振る。ポケットに入れたままの携帯を見ればもう始発は動いている時間で。 「俺、これからバイトだから」 「ままままってちょっと、店から家までの間に一体何が!」  一人焦り続ける碓氷の口端に軽く俺の唇を落とし「それはまた今度な」と笑った俺は、ベッドから起き上がったそのままの姿で彼の家を後にした。 「あー、帰る程の時間ねぇな」  携帯に表示された時間から、この場所から家に向かいバイト先へ辿り着くまでの時間を考えれば遅刻はしないだろうがギリギリで。携帯と定期、財布さえあれば何とかならない事はないが――正直シャワーくらいは浴びたい。そうして思い付くのは母の弟である叔父とその恋人が暮らす家で。あそこならバイト先からも割と近いし、シャワーと着替え位は貸してもらえるだろう。あとは彼らが家に居るかだ。手の内にある携帯をそのまま操り画面に表示させたのはメッセージアプリ。叔父の名前を探し出してそのまま二言三言のメッセージを送れば、相手も起きていたらしくすぐに既読がつく。そうして画面を見ながら地下鉄駅のホームに降りた頃、彼からの返事が届くのだ。「よっしゃ」小さく言葉を零しても、休日の朝早くのホームは人もまばらで気付かれやしない。俺は彼のメッセージに手早く短かな返信をして、ホームに滑り込んできた地下鉄へと乗り込んだ。

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