年も明け、正月ムードもすっかりと過ぎ去ったある日の朝。 清高はいつものように、小さな鞄に必要最低限の荷物を次から次へと詰めていく。 その手慣れた所作に感心しながら、穂もいつものようにそれを眺めていた。 今回は南の島五日間のツアーへ添乗するらしい。 日本ではもっぱら暖冬が話題になっているが、正月を過ぎてからグッと冷え込むようになった。 仕事とはいえ、そんな時に暖かい南の島へ行けるなんて少し羨ましく感じる。 季節外れの海パンやラッシュガードなどのアイテムを眺めながら、ぼんやりと夏を思い出していると突然清高のスマホが着信音を鳴らしはじめた。 「もしもし？あ。母さん、何？」 通話の相手は清高の母親らしい。 穂は少しドキッとしながら、スマホで母親と会話をする清高を見つめた。 こんな状況が以前にもあった事を思い出したからだ。 「待って、本人に聞くから」 清高が耳元からスマホを離すと、穂に向かって困ったような笑みを浮かべた。 「悪い、穂。何かまたお袋が旅行に行きたいらしくておやじの面倒お願いできないかって」 「…え？」 「正月も終わったし子どもじゃねーんだから一人でも大丈夫だろってお袋は言ったらしいんだけど…おやじ、穂の事えらく気に入ったみたいでさ、またこっちに来たいって聞かねーんだと。悪いけどまた頼める？」 心臓が跳ね上がり、口から飛び出してしまいそうになる。 穂は何とか動揺を抑え込むと、ニコリと笑ってみせた。 「も、もちろんだよ」 「本当に！？さっすが穂！めちゃくちゃ助かる！！本当ありがとな！」 清高は捲したてるように礼を言うや否や、再びスマホを耳に当てて話し出した。 「穂いいってさ！…うん、うん、わかった、穂に言っとくよ。……あ、親父か？穂がかわいいからってあんまり困らせるなよ？俺の大事な奥さんなんだからな？あ、穂に代わる？わかった」 清高が耳に当てていたスマホを差し出してきた。 断るわけにもいかず、穂は汗で湿った手でそれを受け取ると、恐る恐る耳に当てがった。 「もしもし」 震える声で何とか絞り出す。 『やぁ、穂くん。元気にしてたかな？』 鼓膜に響く憶えのある低い声に、穂の身体は一気に高鳴りはじめた。 全身の血はいきなり沸点に達し、あっという間にグラグラと煮立っていく。 『この前は世話になったね、とても助かったよ』 「いえ、そんな…僕は…何も」 穂はスマホを強く握りしめた。 義父の態度は至って普通だ。 あんな事があったなんて思えないほどに。 もしかして… 穂はハッとした。 もしかしたら、あれは穂の夢だったのかもしれない。 義父が居るという緊張感と年末の忙しない空気に呑まれて、義父が泊まっていた数日間、勝手に一人で奇妙な夢を見ていたのかも… しかし義父の一言でそれが夢や幻覚ではなかった事を確信する。 『それじゃあ、また一緒に頑張ろうね』 通話口の向こうから囁かれたその言葉。 それは、確かにあの日義父に組み敷かれながら聞いたあの言葉だった。 俯いた穂の口元がゆっくりと綻ぶ。 「はい、お義父さん」 義父が、やって来る。 end.