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第4話 困惑

譲が去った後の扉を見つめ、充は一人ため息を吐いた。 「少し大人気なかったかな」 子供の言う事を真に受けて、せっかくやる気になっているところを頭ごなしに否定するなんて。 そもそもこんな片田舎の塾に通ったくらいでそれほどの学力なんてつくはずが無いし、少し時間を置けば昨日の話なんて忘れてしまっていたかもしれないのに。 「百合、やっぱり俺一人では難しいよ・・・・・・」 充はデスクの上に飾ってある一枚の写真に語りかけた。 鎖骨辺りまでかかる長めの黒髪に色の白い肌。 パーツは小さいがバランス良く配置された可愛らしい顔立ちの女性。 三年前にこの世を去った、充の妻であり譲の母である斉木 百合(さいき ゆり)の写真だ。 薄暗い部屋の仕事用デスクは、3台のモニタと厚みのある大きなキーボード、自作のPCがひしめき合っているが、百合の写真はその真ん中に据えられていて、いつでも充に笑いかけていた。 「百合が生きていたら・・・・・・」 この三年間、何度となく同じ問いを繰り返してきたが、今ほど切望した事は無い。 「はああぁ・・・・・・ダメなのは俺の方だ・・・・・・」 完全に仕事が手に着かなくなった充は、夕飯を用意するという口実を見つけ、台所へと向かうことにした。 (よし、今日はあれにしよう) こんな時に作るメニューは、いつも一つだった。 充が夕飯を作り終えた頃、玄関の扉を開く音と共に譲の「ただいま」の声が響く。 台所からワンフロアになっているリビングの扉から顔を覗かせた譲の顔は、充が想像していたような暗いものでは無かった。 「わ!かに玉!」 譲は食卓を前に目を輝かせる。 「今日父さん譲に酷いこと言ったから、お詫びに」 喧嘩をした時に譲の好物のかに玉を作るのは、百合が生きていた頃からの習慣だった。 少し高価なカニの缶詰を、多めの玉子で半熟にとじる。その上から黄金色のつやつやの餡をたっぷりかけるのが、斉木家のかに玉だ。 「酷いことって・・・・・・塾の事?」 譲は食卓から目を離し、充を見上げて首をかしげる。 「うん。譲が本当に行きたいんだったら、行ってもいいよ」 充を見つめる黒く大きな瞳が更に大きく見開かれた。 「ありがとう!」 満面の笑みで返された言葉。 充は仲直りできたことに安堵したが、譲が続けて発した言葉は予想していたものと大きく違った。 「でも、もういいんだ」 「え?」 「英一兄さんに教えてもらえるから!」 「・・・・・・えいいち、兄さん?」 「うん!だからもう塾には行かないよ」 譲は元気良く答えて、もう待ちきれないとばかりに食卓の自分の定位置へと腰掛けた。 「ちょっと待って。そのえいいちさんって・・・・・・」 「父さんご飯さめちゃうよ!」 はやくはやくと急かす声に、突如として振って沸いた疑問を切り上げて、充が食卓につくと、すぐに向かい側から「いただきます」の声が聞こえてくる。 「譲、そのえいいちさん、明日家に連れておいで。お父さんも挨拶したいから」 「はぁい」 (えいいち・・・・・・えいいち・・・・・・。どっかで聞いたような気がするんだよな) 何か引っかかるものを感じながらも、明日には解決するだろう。 そう結論付けて、充はつやつやの餡がかかった玉子にスプーンを差し入れた――

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