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第1話

 田宮 悠(たみや ゆう)は、教室のゴミ箱を見下ろしていた。プラスチック製の四角い箱の中には、不要になったプリントや埃と一緒にユウの片方の靴が放り込まれていた。まだ新しかった革靴は誰かの足跡が無数についている。  昼休みの教室には、まばらに生徒がおり、クラスメイトたちはユウに起きた悲劇を遠巻きに眺めていた。  ユウはこういう時、どうすればいいのかを知っている。  ただ悲しそうな顔をして、立ち尽くしていればいいのだ。それだけで、靴を捨てた犯人は溜飲を下げ、慈悲深い者はユウを慰める。それで全てが解決するのだ。 「誰だよ、こんな下らねぇことする奴はよ!」 (ほら、釣れた)  教室に響いた怒声に振り返ると転入してきたばかりの吾妻 啓持(あづま けいじ)が鬼の形相でクラスメイトを睨みつけていた。  ケイジは背が高く、赤っぽい茶髪に淡褐色の瞳が特徴的の生徒だった。どう贔屓目で見ても派手な外見だった。 (よりによって、落ちこぼれが釣れるなんて) 「吾妻くん、大丈夫だよ。ボクが悪いんだ。オメガなのに、普通の高校に通ってるから。生意気だと思われても仕方ないよ」  この世には男性女性以外に、もう一つ性がある。アルファ、ベータ、オメガ。アルファはエリートとして生まれ、当然教育にも力をいれられる。多くのアルファは施設も教育内容も整った高度な高校へと進学する。ベータは大多数の普通の性。そして、オメガは発情期があり、出産に特化した最下層の性。多くのオメガは差別から身を守るため、専用の高校に進学する。  その結果、普通科高校と呼ばれる学校は通常ベータしかいない。  ユウはオメガという性別に生まれたにも関わらず、ベータだらけの普通科の高校へと進学した。オメガの専門学校は教養に特化しているため、勉学に励みたいというユウの思いがあったのだが、理解してくれる者は少ない。  抑制剤で発情期を抑えて通学し、成績もいい方だ。それでも一定数の否定派はいる。 「てめぇ、俺への当てつけか?」  ケイジの怒りは突然ユウへと向けられた。ケイジはユウの胸ぐらを掴むと顔を近づけて凄んだ。  ケイジはこの学校唯一のアルファだ。しかし、優秀とは言い難い。アルファの専門学校から追い出され、普通科に通うしかなくなった落ちこぼれである。  ユウは真正面からケイジの顔を見返した。ユウは罵倒し返したい気持ちを抑え、代わりに微笑んだ。 「そんなつもりはないよ。君もアルファだから、大変だよね。お互い頑張ろうね」  思ってもないことをスラスラ言えるのは、相手が心の底でどんな言葉を求めているか分かるからだ。  案の定ケイジは毒気を抜かれたようだった。舌打ちをして、胸ぐらを掴んでいた手を離した。  そしてケイジはゴミ箱に手を入れると、ユウの靴を取り出して渡してきた。 「もう片方は放課後までに見つけてやるから」 「探さなくても大丈夫だよ。上靴でも帰れるし……」  しかしユウが最後まで言う前に、ケイジは教室を出て行ってしまった。その背中を見ながらユウは小さく息を吐いた。そして、誰にも聞かれない声で呟いた。 「クズアルファと仲良くする気はないんだけどな」  ユウには野望がある。  優秀なアルファと出会い、番になることだ。  そんなアルファに見初められるには、己も優秀になる必要があるとユウは考える。だからこそ、ベータだらけの学校に通い、石にかじりつく思いで勉強している。こんな些細な嫌がらせなど、どうでもいいのだ。

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