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第1話

 二〇××年九月、N国T都。 「いらっしゃいませ」  重厚な扉を開けると、タイヤンは慇懃に頭をさげ丁重に出迎えた。闇に色とりどりの光を撒き散らしている歓楽街は、今夜も雑多な喧噪が溢れている。 「ああ」  華奢で綺麗なオメガの少年を連れた鬼龍(きりゅう)会会長、金剛寺(こんごうじ)は原色の光を背に鷹揚に頷いた。  ぶくぶくと醜く太った鬼瓦のような容姿の金剛寺と小さく華奢なオメガは、美女と野獣そのものだ。 「いらっしゃい、パパ。今日もかわいい男の子連れて、妬けるわね」  華やかだが上品なママがにこやかに出迎え、金剛寺を奥へと誘う。  前後を護るふたりのボディガートが油断なく左右を見渡しながら高級クラブの中へ入ると、タイヤンは静かに扉を閉めた。途端に雑音は遮られ、辺りには落ち着いた間接灯の淡い光だけが満ちる。  タイヤンがママの伝手で黒服になって一ヶ月になるが、クラブのオーナーでもある金剛寺が訪れるのはこれで三度目だ。訪れる時刻や滞在時間は異なっても変わらないのは引き連れているメンツだった。  ふたりの屈強なボディガード、それから今一番お気に入りのペットである少年。  いつも金剛寺に細い腰を抱かれ、光沢のある白いサテンのコートを身に着けたアイ。折れそうなほど細い首に、オメガの証の赤い首輪。繋がった銀の鎖の先は金剛寺の手の中だ。  今や世界的な金融経済都市であり一大歓楽街をなす国の中心、怪しげな錬金術師たちが闊歩する、このT都には様々な人種がひしめいているが、アイは生粋のN国人だ。  艶めく漆黒の長髪、黒曜石のように輝く双眸はやや切れ長、化粧っ気はまったくないのに滑らかな肌は真珠の光を帯びて、頬はほんのりと薔薇色に染まっている。桜の花びらのような唇は可憐だ。  それぞれのパーツは小さいがバランスよく整っている。タイヤンが見知っているオメガの中でも格別に美しく、そしてなぜか懐かしい。  この高級クラブの粒ぞろいのホステスすら霞むほど色香を滲ませる綺麗な顔立ちだ。アルファであるタイヤンは、仕事を忘れて魅入ってしまいそうになる自分を叱責する。 忘れるな。オメガはアルファを惑わす危険な生き物だということを。  オメガ――この世に五パーセント程度しか存在しない希少な種。  男女問わず、アルファの子を産むしか能がない、と世間に揶揄されているヒエラルキーの下層階級。  今現在、この世界には男女の性別の他、アルファ、ベータ、オメガの三種の性が存在している。  圧倒的多数を占めるのがベータ。一〇パーセント程度存在するアルファは、知能・身体能力ともに優れている支配階級だ。  それは裏の世界でも例外ではない。  鬼龍会会長、金剛寺もアルファだ。  しかしいくらアルファとオメガとはいえ、金剛寺のアイに対する扱いは酷い。  鎖に繋がれて引っ張られて、あれではまるで家畜ではないか。  それに――。  いや、とタイヤンは強く首を横に振って、その思考を中断する。  しっかりしろ、今は大事な仕事中だ。  店内には生演奏のピアノの、しっとりとした音色が華やかな空間に響いていた。  落ち着いた高価な内装に、着飾ったホステスたちが色とりどりのドレスの裾をひらひらさせて、まるで熱帯魚のように優雅にあちらこちらのテーブルを行き交う。  見るからに裏社会の大物といったオーラを漂わせる金剛寺の登場に、言葉をなくしたフロアはピアノだけが囀っていたが、それも金剛寺がVIPルームへ消えるまでのことで、すぐに笑い声を孕んだノイズが混じりはじめる。  アルファ専用高級クラブのフロアの片隅でVIPルームに意識を集中しながら、タイヤンは腕時計型モバイルフォンを密かに操作した。         †  †  †  赤い首輪に繋がっている鎖を金剛寺に引っ張られて部屋に入ると、すでに大陸人らしい男がふたりいた。ひとりはソファに座り、もうひとりは後ろで控えている。どちらもきちんとダークスーツを着こなしている。  ソファに座る男は、中肉中背。これといって特徴のない顔だが、蛇のように陰湿な印象を与えるのは、底知れぬ黒い双眸のせいだ。後ろの男はボディガードかなにかだろう。引き締まった筋肉質の肉体が油断なくこちらを見据えている。 「待たせたかな」 「いえ、お会いできて光栄です、会長」  おもむろに立ち上がった男は敵意のない証として金剛寺に手を差し出し握手した。  敵意はないといっても、あきらかに裏社会の人間特有の危ないオーラを孕んでいる。 「これが会長ご自慢のオメガですか。なかなか美しい。大陸でもちょっとお目にかかれない上物ですね」  男は会長の脇に寄りそうアイを舐め回すように見る。その視線が気持ち悪くて、ぞっとするが、表情には出さない。そう訓練されていた。 「ははっ、今からこれに奉仕させよう。その代わり約束は守っていただく」  ふたりは揃って上質な革張りのソファに腰を下ろす。満足そうに笑う金剛寺に鎖をぐいっと引っ張られたアイは、勢いふたりの間の足下に跪かされる形になった。 「ええ、わかっていますよ。口淫だけでも、こんなに美しいN国のオメガに奉仕されるなら安いものですよ、会長」  腰かけた男の股間は、すでに期待に膨らんでいる。醜悪だと目を背けたいが、そんなわけにはいかない。なにしろ今から自分が悦ばせなくてはならない箇所だ。 「さあ、アイ」  予想どおり、金剛寺が命じる。アイに拒否する権利はない。今のアイは金剛寺に金で買われた哀れなオメガなのだから。  初めてこんな真似をさせられそうになった時は、さすがに躊躇した。性的な経験がほぼ皆無だった自分には無理だと思った。けれど、金剛寺は躊躇うアイを決して許さなかった。  殴り、押さえつけ、無理やり行為を強要した。  逆らえない。身体に教え込まれたアイは、今ではもう金剛寺の命令をすぐさま実行するしかないのだとわかっている。  ここにいる誰もアイを擁護してはくれないのだから。  そうとなれば、少しでも早く終わるほうがいい。 「はい、ご主人様」  男たちに見下ろされながら、アイはこくんと頷くと、人ひとり分の間を置いて金剛寺の隣に座る男の股間に顔を寄せる。  男から漂うのは、今まで嗅いだことのない泥臭い海の匂い。不快感に思わず眉を顰める。だが、躊躇すれば金剛寺に叱責されて、無理やり口腔に男のモノを突っ込まれるのだ。  それなら自ら咥えるほうがマシだ。  むっとする不快な匂いを我慢しながら、アイは口と歯を使って器用に男のファスナーを下げていく。  すでに兆している男の器官を唇と舌で引っ張り出すと、ぱくりと咥える。 「ん、んっ……」  薄く小さなアイの唇が、青黒く醜悪に膨らんでいく男を飲み込んでいく。含まされた男の器官に因って、大きく引き裂かれた可憐な紅い唇が淫らに濡れそぼっていく。  じっと見下ろす男たちのギラギラと熱っぽい視線が嫌でもアイの口許に突き刺さる。 『あ、ああ……っ、綺麗なだけではなく、男を悦ばせることも上手いとは堪らない』  男は大陸の言葉で感嘆すると、アイの頭を掴んで、ぐいっと手前に引きつける。 「んっ、んぐ……っ」  我を忘れたように激しく小さな口に劣情を抽挿されると、苦しくて息ができない。そのため頬が紅潮してしまうのに金剛寺は、 「ははっ、本当にいやらしいな、お前は。こんなに男をそそる淫らな顔をして」  横から手を伸ばすと、ぐいっとアイの顎を持ち上げる。 「ん、ん……っ」  別に男など欲しがってはいない。ただ苦しいだけなのだ。けれど、男のモノを深く咥えさせられているアイは反論できない。  その間も、男はアイの口腔を使って自慰行為に陶酔している。  そう、これはアイの口を使った男の自慰なのだ。自分はただの道具でしかない。  そう思うと、いっそ割り切れた。  こんなことに意味はないのだ。  ただの粘膜の摩擦。  だから男がアイの喉奥深くで欲を爆発させても、なんの感情も湧かない。  紅潮した顔で男を見上げ、喉をこくんと上下させ男の汚い精を飲み下すと、てらてらと濡れた唇を紅い舌でちろりと舐めあげる。これで今日の仕事は終わりだ。  しかし男はうっとりとアイを見ながら熱っぽく金剛寺に懇願した。 「会長、ぜひこのオメガを私に譲ってください。金ならいくらでも出します」  今にもアイをかき抱かんばかりだ。しかし会長はひと仕事終えたアイを男から引き離すように、反対側の自分の隣に座らせ、抱き寄せる。 「でしたら、ぜひとも龍幇(ロンパン)と我々との仲介を成功させることですな」  龍幇は大陸系マフィアの中でも最大の組織だ。そしてこの男は名乗ってはいないけれど、おそらく大陸系の貿易商だ、表も裏も取り扱う。  金剛寺は、おそらくこの男を通じて龍幇と繋がりを持とうとしている。 「可以。かならずお役に立ちますよ」  言葉は金剛寺と交わしながら、男の目はずっとアイに釘付けだ。 「では、一秒でも早く実行していただきたい」 「了解」  金剛寺の言葉に弾かれたように立ち上がると、後ろに立っていた屈強な男を伴って挨拶もそこそこに出ていった。  きっと今すぐにでも龍幇と交渉を始めるつもりだろう。 「バカな男だ。俺がアイを手放すと、本気で思っているのか」  男たちが去った後、アイに水割りを作らせ、金剛寺は一息に呷る。 「お前も、あんな男にサービスをしすぎだ。本当にどんどんいやらしくなっていくな」  ぐいっとアイを引き寄せると、白いコートの下の、裸体の乳首をぎりりと抓み潰す。 「あうっ、い……っ」  痛みに思わず小さく悲鳴をあげる。 「忘れるな。お前は俺のオメガなんだ。もっともお前の下半身の鍵は俺が肌身離さず持っているから、これ以上の悪さはできないだろうがな」 「そ、そんな、ことは……」  金剛寺に飼われ囲われている今のアイに、いったいどんな悪さができるというのか。 そもそも金剛寺の言うような悪いことをするつもりはないし、身体は常に金剛寺の監視下におかれている。  けれどオメガだというだけで、まるでセックス依存症患者のように世間は認知している。  そんなわけないだろう、とアイは思うが、誰もオメガであるアイの言葉には耳を貸さない。 「さて、俺たちもそろそろ帰るか。いやらしいお前をたっぷり満足させてやらんとな」  ぞっとするような酷薄な笑みを浮かべるが、金剛寺はEDだ。そして、とんでもなく歪んだ性癖の持ち主でもある。  自分が性的に満たされないからか、酷くアイを嬲るのだ。  きっと今晩も執拗に金剛寺にいたぶられ、満足に寝かせてもらえないだろう。  考えるだけで憂鬱になる。けれど、今は耐えるしかない。 「はい、ご主人様」  自分に言い聞かせると、アイは従順なペットらしく金剛寺に身をすり寄せた。

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