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第一章 波の狭間で4

 月曜日の夜。この時間帯、宏輝はどうしてもひとりになってしまう。将大のアルバイトのシフトが重なっているためだ。将大は宏輝をひとりにさせまいと、シフト面でかなり上と話し合ったそうだが、月曜日だけはどうしても人手が足らなかったらしい。  宏輝は当初、そこまでアルバイト先と話す必要はない、子供じゃないんだからひとりでも帰れると主張していたが、当の将大が頑として受け取らなかった。  だが宏輝は今日ほど隣に将大がいないことを不安に思ったことはない。  大学から宏輝がひとり暮らしをしているアパートまでは徒歩で二十分ほどである。学生街とはいえアパートへと足を進めるたびに街灯は減っていき、人通りもまばらになってくる。  午後七時三十五分。五月になったとはいえ、暗い道のりだった。  宏輝は足早に家路を急ぐ。嫌な予感がしたのだ。後ろを振り返る勇気もない。  あの視線が。宏輝をじわじわと苦しめていたあの暴力的な視線が、大学を出てからずっとついてくるのである。こんなことは初めてだった。今まで、視線を感じていたのは大学構内に限った話だった。  だが、今日は宏輝の帰宅と共に大学を抜け出して、あろうことか自宅アパートまで接近しようとしている。  ――どうしよう。  宏輝は焦った。このままアパートに帰るのは怖い。あの視線が部屋の中にまでついてくるのかと思うだけで吐き気がする。かといってこのままうろうろと辺りをさまよい、視線から逃れるというのも無理な話だ。宏輝にはそんな度胸もないし、視線から逃れるための策を思いつくだけの頭もない。  だがそのとき、尻ポケットに入れていたスマートフォンが振動する。メールの着信が入ったのだ。宏輝は急いで画面をタッチし、送り主を確認する。安堵の息が漏れた。 「マサくん……」  メールの送り主は将大だった。 「ああ、マサくん……マサくん……」  宏輝はその場に崩れ落ちた。極度の緊張状態から解放され、安堵のあまり膝をついてしまったのだ。 「マサくん……マサくん……」  スマートフォンを握る手に力がこもる。縋りついているかのようだ。それはここにはいない将大を想っての行為だろう。涙の雫が液晶画面にぽたりとこぼれた。  ひとしきり泣いたところで宏輝ははっと我に帰る。反射的に顔を上げて周りを見渡すと、そこには誰もいなかった。宏輝を怯えさせていた暴力的な視線も、どこかへ行ってしまったようである。  ――もしかしたら、最初から僕の思い違いだったのかな。  宏輝はそう思った。あの視線の正体は将大が隣にいない寂しさと不安が形となって、宏輝を苦しめんとする幻覚だったのかもしれない。それでいい。それでいい。  将大という存在を再認識した今、宏輝の心にはゆとりができた。  ――大丈夫。だって僕にはマサくんが隣にいるから。  だが、その思いこそが幻覚であったのだと、のちに宏輝は知ることになる。  視線の暴力は新たな手段で宏輝に接近したのだ。

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