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第一章 波の狭間で3

 宏輝がその視線に気づいたのは、四月の末、あと数日で大型連休にさしかかろうとしていたときだ。  大学構内を歩いていると、どこからか不審な視線を感じる。まるで常にカメラのファインダーを当てられているようだ。その視線は宏輝がどこにいるときも、必ず付きまとってくる。  はじめは気のせいだと思った。自らを意識過剰な人間だと思っている宏輝は、被害者意識を持ちやすい。自分の悪い癖だとわかっている。今回もそうだろう。きっと新年度に入って周りの環境が少しずつ変化し、ストレスが蓄積されたせいだろうと、宏輝はいつものことだと割り切って、視線の暴力に耐えた。  だが、それは決して気のせいなどではなかった。  宏輝がそう感じるようになったのは、不審な視線が付きまとうときが決まって、宏輝が大学構内を移動しているときに限るようになったからだ。それも、宏輝がひとりで行動するときに限って。  宏輝は日常の多くを将大と共に行動している。だが、必ずしもいつも一緒にいられるわけではない。視線は、将大が宏輝のそばを離れるほんの一瞬の隙をついて、宏輝の周りを付きまとうのだ。  嫌な感じがする。今までこんな経験はなかった。  宏輝は視線から逃れるように、ますます自分の世界にこもるようになり、将大以外の人間との接触を拒むようになる。目立たない地味な色の服を着こむようになったのもこの頃からだ。  外出時にはどんなに気温が高かろうと長袖のパーカーをはおり、顔はキャップやマスクで隠す。視線から逃れるためには自分自身を消してしまえばいい。宏輝は愚かにもそう考えていた。  その考えが間違っていたと宏輝が知るのは、視線の暴力に怯えるようになってから、さらに一週間が経ったときであった。 「まただ……」  宏輝は辺りを見渡して、そっと嘆息する。視線の暴力は宏輝が想像していた以上に執拗に、また粘度をはらんだものになっていた。  宏輝がそう感じるようになったのは、将大の些細な一言がきっかけであった。  ――最近、構内が騒がしいな。  宏輝には、将大の真意がわからなかった。宏輝を気遣って、わざと遠い言い回しをしたのだろう。将大が他人を気にするような発言をすることは、めったに無いからだ。つまり将大は、宏輝の身の回りが騒がしい、何かあったのではないかと察したのだ。  だが、それが何なのか、将大は感づくことができなかった。だから宏輝に対してもあいまいな発言になってしまったのである。  宏輝が将大の言葉の意味を理解したのは、あの視線の暴力が将大と一緒にいるときでさえ感じるようになっていたと宏輝自身が察したときだった。  はじめは将大が宏輝のそばから離れているときに、視線は現れはじめた。だが、今では将大が宏輝のそばにいようかいまいか関係なく、視線が襲ってくる。むしろ将大といるときのほうが視線の粘度は高い。  それは嫉妬にも似た卑しい感情であっただろう。  しかし、宏輝には誰かに嫉妬したことも、嫉妬されたこともなかった。だから、その視線に含まれている感情を見抜くことができない。ただただ、怖かったのである。恐ろしかったのである。

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