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第一章 波の狭間で8

 将大の部屋はアパートの外階段を上がった二階の奥の角部屋だ。外階段を上がるときの金属がギシギシと擦れ合う音にも、もう慣れた。ギシギシが重なるたびに将大のもとへ近づけると思うだけで、宏輝は安心感に包まれていく。  ――203号室。長谷川。  几帳面だけど、どこか力強い将大の筆跡を指でたどる。宏輝の記憶では、将大は幼少期から習字に通っていて、学内の書道コンテストではいつも金賞だった。宏輝は幼馴染の功績を自分のことのように誇らしく思っていた。  表札の下のインターフォンは塵ひとつ被っていない。将大の几帳面さはこんな場所にもあらわれている。  宏輝はフードの中で小さく微笑み、インターフォンを押した。  ――ピンポーン。  気の抜けたインターフォンが鳴る。だが宏輝がしばらく待っても、中からの返事はない。もう一度押してみる。やはり返事はない。  ――どうしたんだろう。  宏輝は首をかしげ、さらにインターフォンを押す。結果は変わらない。  そこでようやく気がついた。今日は月曜日、すなわち将大がアルバイトで帰りが遅くなる日だったのだ。 「ああ……」  小さく落胆の息がこぼれる。宏輝は玄関扉に片手をつき、ずるずると上体を崩す。将大のもとに辿り着いたという安堵感は霧散し、全身がどっと疲れた。だが不思議とストーカーへの恐怖心はわいてこない。将大の居住スペースにいるというだけで、守られているように感じた。 「――どうしよう」  宏輝はこれからのことを考える。自宅アパートへ帰るか。いや、それは恐ろしい。何をしに将大のもとまで来たのか。それはストーカーの恐怖から逃げるためであろう。だったらこのまま将大が帰宅するまで待つか。  宏輝はスマートフォンを取り出し、現時刻を確認する。午後八時二十三分。将大のシフトは午後十時まで。あと一時間以上待たなければならない。それでも自宅アパートへ戻るよりも、マシだと思えた。  宏輝は玄関扉を背にして座り直す。フードを深くかぶり、膝を抱えると、周りの世界から断絶されたような心地になる。夜の暗闇に溶けこむように、宏輝は軽く目蓋を閉じた。

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