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第1話 山での出来事
俺たちは高校から一緒だ。
高校の山岳部、というより山歩きといったゆるい部活で、先輩一人と俺とあいつの3人しかおらず、大会なんかは関係なく、気楽に好きな山に登っていた。平日は地図の読み方や器具の使い方を勉強したり、筋トレに勤しんだりしていた。
3月、先輩の卒業を見送ったあとの春休み、二人で近場の山に行くことにした。そんなに高くない山だが、頂上付近でテント泊してのんびり降りるつもりだった。
春の山は特別だ。辛夷 の白い花や山桜がけぶるように咲く他は、芽吹きを待つ枝だけが広がっている。春の陽射しが射し込む森のなかは明るく、春先だけのお楽しみが待っている。
春の妖精、そう呼ばれる春だけの花。春にしか届かない陽射しを独占して、白やピンク、青、色とりどりの可憐な花が咲く。森のなかでじっと座り込めば、ブブブブと小さな虫のかすかな羽音や、恋の季節を迎えた鳥たちの囀りに包まれる。
陽があたり、新しい土の匂いが立ち上るなかを、あいつと二人で山に登った。
山頂での夜は雲が出て、星は見えなかった。それでもおぼろ月を眺めコーヒーを飲みながら、今日見た花や、明日麓で取れそうな山菜なんかについて話をした。テントに入ってからも、これからの進路とか、とりとめもなく二人で話しているうちに眠りについた。
翌朝は、寝袋に入ったままテントの入口から朝日が昇るのを見たりした。
帰り道でそれは起きた。
復路もあと三分の一を残す辺り。ここらは傾斜が急で、丸太を横に渡して作ってある階段がしばらく続く。梢が切れて山裾の眺望が広がる。大きな木が森から突き出ているのが見えた。
「やっぱりあの木でけぇな!」
息を切らしながら、前を下りていくあいつの背中に声をかけた。
「ああ、樹齢500年とか書いてあったぞ」
「あの木だんとつで大きいな~・・・あそこで休もうぜ~」
「ああ、そうだな」
あいつが首にかけたタオルで汗を拭きつつ振り向いたとき、俺の足が階段の丸太を踏み抜いた。
バキッ
「ぅわっーーー」
ガラガラガラッ ガンッ
天地がひっくり返る。空が回って見えた。
少し先を歩くあいつの足元に転がり落ちる。
「大丈夫かっ?」
「ーーっ・・・、う、っくーー」
すぐに駆け寄って抱き起こしてくれたけど、声が出ない。ザックのお陰で背中はなんともなかったが、右足首が熱い。グキャっと変な衝撃があった場所がジンジンと痛くなってきた。すぐに冷やしたけど、足はとても体重がかけられる状態じゃ無かった。
二人分の荷物をパッキングし直してあいつが背負う。肩を貸してもらって、一歩一歩ゆっくり降りた。
「ごめん・・・」
情けなくて鼻の奥が痛い。
あいつは汗だくだった。急斜面で俺を支えながら二人分の荷物を背負う。休み休み時間をかけて降りる。麓近くで会った山菜採りの人が荷物を手伝ってくれて、道が平坦になってからはあいつが俺を背負って登山口まで降りた。
病院に駆け込み診てもらうと、足首の靱帯が損傷していた。手術はしないで済んだが、パンパンに腫れ上がって、しばらく右足は使えなかった。
残りの春休み、俺は家に引きこもることになってしまった。あいつが度々様子を見に来てくれて、一緒にゲームしたり宿題を片付けたりするのだけが楽しみだった。
新学期になるとあいつは、まだ足首に痛みが残る俺を、家まで自転車で迎えに来てくれた。
二人乗りは違反になるから、俺を荷台に座らせて自転車を押す。
自転車を押す、お前のうなじ。
俺を乗せて重い自転車を支える肩と腕。
俺を背負って歩いたお前のうなじを思い出す。日に焼けた肌は、汗だくで熱かった。後ろから見えるお前の頬や顎にはちょっと出てきた無精ひげが出てた。足は痛いし申し訳ない気持ちでいっぱいなのに、こいつひげ濃いんだな、なんて思ったりした。
今日は綺麗に剃ってある頬と顎。あの日を思い出して鳩尾にキュッと差し込むものが走る。
あの日、情けないことに涙と鼻水が止まらずただ謝る俺に、あの階段がちょっと朽ちてると思ったのに注意しなかった、とあいつは悔いた。
もう大丈夫だと言うのに、随分長い間送り迎えしてくれた。
梅雨も明けていよいよ暑くなった頃、足首は完治したが、俺は困っていた。
お前と目が合うと、心臓が跳ね上がる。話をしていても、動く口元に胸がムズムズする。
よろけたりして、支えてもらった腕はくすぐったくチリチリ疼く。
しまいには、廊下の向こうを歩くお前を見つけただけでこめかみが熱くなる始末。
これは、おかしい。いくらなんでもおかしい。
夏休みに入ったある夜、なんだかムラムラがおさまらなくて動画で抜いていたんだが・・・
イく直前、瞼を閉じると突然あいつの顔が浮かんだ。してることはいつもと変わらないのに、異常に高ぶって脳みそからつま先まで気持ちよかった。落ち着くにつれ、浮かんだ汗は冷や汗に変わっていった。
その次の日、俺は志望大学を遠くにすることを心の奥底で決めた。
受験直前に志望大学を変えたように見せて、3月、逃げるように引っ越した。
就職も大学と同じ場所で、職場の女の子と付き合ったりした。こんな顔も背丈も普通の俺を、好きだって言ってくれるのが素直に嬉しかったし、もしかしたら普通に幸せになるかもしれないって思ったんだ。
でも、付き合って2年にもなる頃、突然、抱き合ってる最中にあいつの顔を思い出した。もちろんたびたび思い出すことはあったけど、Hの最中にってのは初めて。
突然息を止めて硬直した俺に、彼女は目を丸くしていた。俺の中で、ショックと彼女に対する懺悔と自分への怒りが膨れ上がり渦巻いた。
――もう、ダメだ。こんな裏切るようなことして・・・最低だ俺。
――このままここで暮らしていけるのか?・・・あいつに一生涯会わないでいいのか?
不誠実な自分、中途半端な自分に心底嫌気がさした。いい加減自分をごまかすのにも疲れた。もう、こんなに長く離れてしまって、あいつだって彼女くらいいるに決まってる。
でも、やっぱり俺はあいつが好きなんだ。友人でいることは苦しいかもしれない。でも顔が見たい。話がしたいよ。隣に座りたいよ。
そうしてようやく、俺は地元に戻る覚悟を決めたんだ。
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