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善くんと誠くんの話1
清水善と坂本誠の話。
―善―
〝次の駅は、――駅です。出入り口付近にお立ちのお客様は、閉まる扉にご注意ください〟
車掌のアナウンスから少しして、三センチだけ開いていた扉がプシュッと音を立てて閉まった。鋲 で留めてある扉の注意書きに、11月30日〜3月31日までは手動になると書かれている。
暖房で温められた車内は、自分と同じように受験生でいっぱいだった。ほとんどの人はノートや参考書を手にしていて、俺も例外じゃない。
さっきの駅で隣町の中学生も乗り込んで、車内はさらに混み合っていた。
次の駅に停まり、また人が増える。あとは俺が降りる駅まで高校がないから、人は増える一方だろう。
「あぁ、今日は高校受験の日、だったわねぇ」
反対側の扉の入り口付近で、さっき乗り込んできたおばあさんが戸惑いながら辺りを見回している。おばあさんは席が空いていないのを確認すると、人と人の隙間から手を伸ばし、枯れた枝のような指で手すりを握った。
かなり不安定な体勢だ。周りの人たちも、もう少し動いてあげればいいのに。
気になってつい見てしまうけど、反対側の位置にいる俺にはどうすることもできない。
「あの」
扉のそばの席に座っていた学ランの中学生が、おばあさんに気づいて声をかけた。
「俺、もう少しで降りるんで、ここ座ってください」
立ち上がり、おばあさんに席を譲る。
立ち上がった拍子に顔にかかった髪を、耳にかけようとしてやめた。少し長めの髪からは、いくつもピアスホールの空いた耳が覗いている。第一ボタンまで留めてあるが、制服についたシワや生地の擦れ具合から、普段は着崩していることが想像できる。
「あれ、お前、翔嶺 高校受けるんだっけ?」
一緒にいた仲間がキョトンとした顔で問いかける。
翔嶺高校は、俺も受験する予定の、県内で一番偏差値の高い学校だ。公立だが、ほとんどの生徒は国立大に進学する。申し訳ないけど、扉の前の学ランくんはそんなに頭が良さそうには見えなかった。
「俺、翔嶺高校に進路変更したの、言ってなかったっけ? 担任には入れるって言われてたろ」
「留年する気しかしないって、やめたのに?」
「うん、気が変わった。やっぱ将来考えたら、進学しといたほうがいいし」
ありがとうね、と繰り返すおばあさんに笑顔を向けながら、学ランくんはおばあさんにもらった飴をそっと手の中に握った。
高校の最寄り駅に着くと、一気に人が降りて行く。俺もその波に乗って電車を降りる。
さっきの学ランくんは、おばあさんから見えない位置まで小走りでいくと、急いで別の車両に飛び乗った。目的を達成した、と言わんばかりの清々しい顔だ。
「え、結局、お前、翔嶺受けないが?」
学ランくんの仲間が、扉の前で面食らっている。学ランくんはマイペースに、さっきもらった飴の包みをくるくる開いている。
「受けないが?って、受けるわけねぇろ。勉強ばっかしてたら逆にアホんなるぞ。じゃ、せいぜい落ちないように頑張れよ」
学ランくんが飴をポイっと口に放るのと、電車の扉が閉まるのはほぼ同時だった。
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