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 ビルから15分ほど歩いた住宅街に、蓮のアパートがあった。  全部で6室の、2階建アパート。201号室が蓮の部屋らしい。 「どうぞ」  電気をつけると、部屋の中はシックな色味で統一されていた。  ローテーブルに、黒いソファ。下駄箱の上にある瓶には割り箸みたいなものが3本刺さっていて、なんかいいにおいがする。  そんな感じのオシャレな家。意外だ。  コンビニ袋に入っているのは、ちょっと高めのワイン――死んだつもりのお金だからと言って、躊躇(ちゅうちょ)なく買った。  これまたオシャレなガラスコップになみなみと注ぐ。  蓮は、にひっと笑って言った。 「まずは、1月31日までの仁井田さんのご冥福をお祈りして、献杯」 「どうも」  コップを合わせる。 「そして、きょうから新しい弓弦、誕生おめでとう。乾杯」 「どうも、ありがとうございます」  ちまちまと飲む。実はあまりお酒は得意じゃない。  蓮は、テレビの横にある小さなスピーカーの電源を入れ、スマホを操作した。  ほどなくして、スウィングジャズが流れる。 「蓮はこういうオシャレな感じが好きなの?」 「うん、好き。オレ、建築勉強してるんだよね。だから、インテリアとか生活用品に凝りがち」  なるほど、色々納得した。  家もだし、飛行場なんかわざわざ見に行くのも、普通のひととはちょっと着眼点が違うのだと思う。  ふと棚を見ると、小さな透明の盾があった。  何かに表彰されたのだろうか。優秀な学生なんだなと思った。 「んで、なんで死のうとしてたの?」 「上司が暴言吐くから」 「そんだけ?」 「暴言のレベルがちょっと違う。服に火つけようとされたこともあるし」 「やっば。何それ。死ぬ前に警察行けばよかったのに」 「そういうのもどうでもよくなる程度には、頭がマヒしてたかな」  辞めたら実家に殴り込むとか、残業申請したら減給とか、労基に訴えたら一生昇格させないとか。  なんで俺だけこんなに言われなきゃいけないのか全然分からなかったけど、誰もかばってもくれなかったし、なんか当たり前みたいな雰囲気になっていた。 「本当にあしたから来なくなったら、あいつらみんな、どうするんだろうなあ。実家に迷惑かけるけど、まあ、死んだと思えばね」 「そうそう。仁井田さんは死んだから」  死んだと思えば。便利な言葉だ。 「蓮はなんでそんな遊びたいの? 建築学生なんて忙しいでしょ」 「うん、すっごい忙しい。そんで体壊しまして、ただいま休学中」 「え? 大丈夫なの?」  ぱっと見た感じでは健康そうだし、メンタル的にやられていそうな感じもない――俺が言うことではないけど。 「寝ようとすると、咳が止まんなくなる。起きてれば大丈夫なんだけどね。だから寝たくなくて、夜中フラフラしてたらあそこを見つけた。毎晩眠くなるギリギリまで飛行場見て、家帰って意識失う感じで寝る。んで、咳で目を覚ます、と」 「病院行ってるの?」 「うん、呼吸器科通ってる。でも、検査しても異常ないし、医者も分かんないって言って、対症療法的に咳止め飲んでるだけ。ストレスかも知んないからメンタルの方行けとは言われたけど、なんかそっちは行きたくない」  蓮の二の腕のあたりを小突いた。 「なんだ、俺に警察行けとか言ってる場合じゃないじゃん。心療内科行けば?」 「んー……なんか気が進まないんだよなあ。だからなんか気晴らしになることして遊ぼって思ってたんだけど、休学してんのに友達誘えないしさ。弓弦に会えてうれしいよ」  なんのためらいもなく言われてしまい、言葉が出てこなかった。  ごまかすように、ワインに口をつける。 「何して遊ぼっか? オレ貯金と単発バイトで食いつないでる状態だから、あんまお金かけられないけど」 「死んだつもりのお金ならある」 「それは弓弦が生きるために前世から持ってきたやつだろ? バイトしようと思えばできるオレより、仕事ない弓弦の方がお金やばいと思うよ」 「……たしかに。やっぱり死んでこようかな」  職を失って人生転落することとかを考えて嫌になったのも、自殺しようとした理由のひとつだ。 「いやいやいや、死ぬなよ。遊ぶんだろ? お金かかんない遊びなんていくらでもあるから。ジェンガとか」 「ジェンガ?」 「え? ジェンガ知らないの?」 「知ってるに決まってるだろ。大の男ふたりでジェンガして何が楽しいんだよ」  目を細めてじとっと見ると、蓮は不適に笑った。 「分かってないな。ジェンガは奥が深いぞ。知能戦かつ心理戦。ロジカルな思考と手先の器用さ、バランス感覚、度胸。男の全てが試される」 「へえ」  ちょっと興味を持った俺の表情を察した蓮は、棚からジェンガを取り出してきた。  机の上のものをどけ、ブロックを綺麗に積んでゆく。 「はー、さすが建築学生だな。まっすぐぴったりだ」 「だろ」  積み上がったものを八方からぐるぐると見てチェックを終えた蓮は、「いざ」と言って、ジャンケンの構えをした。 「……っだあ!」  盛大に崩した。これで4回目。 「イエーイ勝ちー!」  おそるべし、倉本蓮。勝ち方もあざやかだけど、何より、人を(あお)るのがうますぎる。  ついムキになって、もう1回と挑んでしまう。 「何度やっても勝てないって」 「うるさい」  ちょっと酔いが回ってきて手元がおぼつかなくなっているのもあり、戦況はかなり不利だ。  けど、1回くらいは勝たないとなんだか気が済まない。 「じゃあさ、コツ教えるよ。まず、押すときはこう」  蓮の手元をじっと見る。真似てやってみると、まっすぐ抜けた。 「んじゃ、こうなっちゃったときは……」  わざと、ブロックを斜めに飛び出させる。 「そこ押して」 「ここ?」 「そう」  定まらない目線でじーっとブロックを見つめる。  蓮が俺の後ろに回ったと思ったら、首の横からぬっと長い腕が伸びてきた。 「ここだよ、ここ」  耳の後ろに呼吸が当たるほど顔が近づいて、なんだかいいにおいがする――オシャレな大学生はそういうのも気にするのだろうか。  蓮がちょっと押したものの続きを押す。と、塔は派手な音を立てて倒れた。 「あーあ。酔っ払い」  大笑いした蓮が、ふわっとあくびをした。  時計を見ると、3:30。 「そろそろ眠いんじゃないの? 眠れそうなら寝ようか」 「うーん、まあまあ眠いけど。あー弓弦さ、いまさらだけど、うるさくて寝らんなかったらごめんな?」 「別にそれは。お邪魔してる身だし」 「遊びに来てる身」  ムッとした表情で訂正される。  部屋着を貸してもらい、コンビニで買ってきた歯ブラシで歯を磨く。  どうせ眠れないからソファで寝るという蓮のお言葉に甘える形で、ベッドを借りることにした。 「じゃあ、おやすみ」 「おやすみー」  笑顔でひらひらと手を振り、電気を消した。  静寂が訪れる。  変な1日だった。死のうとしたら止められて、飛行場を見せられて、ジェンガをした。  あした……のことは考えたくない。けど、ひとりでに悪い想像ばかりが浮かんでしまう。  うとうととまとまらない思考で考えでいると、真っ暗な部屋に、コンコンという空咳が響いた。 「大丈夫?」 「うん。うるさくてごめん、コホッ」 「いや、俺は全然よくて。おやすみ」  寝落ちするまで声をかけるべきではないなと思って、再び布団にもぐる。  最初は遠慮がちだった咳も、我慢できないのか、だんだん強くなってきた。 「蓮? 平気?」 「ゴホッゴホッ、ん……くるし…ゴホッ」  俺は起き上がり、スマホのライトを頼りにソファに近寄った。 「水持ってこよっか?」 「ん……ごめん、ゴホッゴホッ」  蓮が、ローテーブルの上を指差す。  電気のリモコンをつけると、苦しそうな表情で、深呼吸と咳を交互に繰り返していた。 「ちょっと待っててな」  立ち上がってキッチンへ向かおうとしたとき、くんっとトレーナーの裾を引っ張られた。 「……行かないで」 「え?」  また激しく咳き込む。 「水、あとでいいから。ちょっとここに……ゴホッ」  慌ててしゃがみこむ。  目尻に涙を溜めた蓮は、苦しそうに「ごめん」とだけ言った。

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