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 5:45。まだ外は暗かったけど、雪はやんでいた。  朝が怖い……なんて言っている暇もないほど慌てて電車に乗り、駅から4分の自宅までダッシュ。  6:30を過ぎると、近所の主婦たちがゴミ出しを始めるからだ――俺は毎日早朝に、睡眠4時間足らずで出勤していた。  旅行バッグとリュックに、ありったけの服と、通帳、ハンコ、貴重品を詰め込んだ。 「泥棒してるみたいだな」  どこか感心したように、俺がちょこまか働くのを眺めている。 「亡くなった方の家からモノ持ち出してるんだから、泥棒でしょ」  ぼそっとつぶやいたら、蓮は少し笑った。 「ノートパソコン。どうしようかなあ。叩き割っちゃいたい気もするし、要る気もする」 「探られて嫌なものは持っていったほうがいいよ。割るのはあとでいくらでもできるだろ」  嫌な記憶が詰まったものなので、厄払い的にここで壊してしまいたい感じもしたけど、初期化して売ったらいくらかにはなるかと思い直し、かばんに詰めた。  6:20。荷造り完了。  仁井田さんさようなら、と思いながら、家を出た。  続いて銀行へ。  近所で防犯カメラに残ったら嫌だと思い、3駅先まで移動し、全財産を下ろした。  給料が入ったばかりだというのに、諸々引き落としが済んだ預金は、9万――12月に入ったボーナスを含めてこれだ。 「よく生きてたな」 「死にたくもなるでしょ?」 「借金ないだけいいじゃん」  とぼとぼと来た道を帰る。 「仕事どうしよ」  死ぬつもりだったほど、エネルギーはすっからかんだ。  正直、新しい仕事と人間関係をスタートさせる元気はない。 「しばらくうちでぼーっとしてたらいいじゃん」 「そんなことまで、いいの?」 「うん。いいよ」 「何で? 遊ぼうってだけだったじゃん」 「んー、心境の変化?」  蓮は顔をあさっての方向へ向け、ぽりぽりとうなじをかいた。  家に着き、かばんとジャンパーを床に置くと、蓮が横から抱きしめてきた。 「朝ごはん食べたらさ、布団の中でゴロゴロしよ。オレちょっと眠いや」  そう言って、俺の肩にあごを乗せる。  眠いのは当たり前だ。  うとうとしたところを咳き込んだり俺が起こしちゃったりで、ほとんど寝ていないのだから。 「ごめん、付き合わせちゃって。そうしようか」  食事を済ませ、再び冷たい布団にもぐり、真正面同士に向き合った。  男同士で何やってるんだろと冷静に状況を見ている自分と、死んだんだからと思考停止する自分がいる。  目の前の蓮は、ただこちらをじっと見ていて、明るいとろこでまじまじと見ると、本当に顔が整っているなと思った。 「またキスしていい?」 「なんで? 仁井田さんを殺すのはもう終わったでしょ?」 「寝落ちしたいから。キスしてると眠くなる」  蓮は1度おでこをこつんとしたあと、ゆっくりとくちびるを押し付けてきた。 「ん……」  びっくりして、ちょっと声が漏れる。  蓮の裾のところをつかむと、蓮は頭をなでて、またキスしてきた。  長かったり、触れるだけだったり。  蓮に聞こえてしまうのではないかと思うくらい心臓がドクンドクンと脈打っていていて、こんな調子で眠れるとは思えない。  余裕なく、酸素を求めて浅い呼吸を繰り返しながら蓮のキスを受けていると、テーブルの上で、俺のスマホがリロリロと嫌な音をたて始めた。  蓮が顔を離す。 「思ったより早いな。まだ8:20だよ」 「始業時間までは連絡よこさないと思ったんだけどね」  朝イチで掃除しているはずの俺がいなくて、誰かが怒ってかけてきたのだろう。  サボってんじゃねえぞいますぐ来い、という脅し声が聞こえてくる気がする。  蓮は無視して、またキスをしてきた。 「あれ止めてきていい? 着信音聞きたくない」 「いまはスマホ触んないほうがいいと思う。間違って出ちゃったら大変だろ」  蓮は俺の腰を抱いて引き寄せると、頭まですっぽり布団をかぶった。    何度もかかってくる電話。  先ほどまでとは違う動悸で息が苦しい。  涙がぽろぽろと落ちてきて、すがるように抱きついた。  蓮は俺の耳を覆ってくれる。たまらず、自分からキスをした。  くちびるをくっつけていると、嫌なこととか怖いことから逃げられるような気がする。  着信の嵐が止まったところで、蓮は起き上がり、ベッドに腰掛けた俺に向かって、スマホを投げた。  ロック画面には、ずらっと着信履歴。  手が震えてなかなか解除できないでいると、蓮が後ろから抱きしめてくれた。  落ち着いて、数字をタップする。  いまのところ、会社の電話と、何人かの社員からだけ。  家族にはまだ連絡がいっていないらしい。  とりあえず電源を切る。 「大丈夫?」  顔をのぞき込まれたけど、もちろん大丈夫じゃなくて、またぽろぽろと涙がこぼれてきた。 「やっぱ」 「なに」 「やっぱ死んじゃえばよかった」 「死ぬくらいなら遊ぼうって言っただろ」  裾で顔をぐいっと拭う。 「遊ぶってなに。蓮はキスするのが遊びなの? 俺そういう生き方してないから分かんない」  完全に八つ当たりで、思ってもいないことを言ってしまった。  蓮が孤独に傷ついてることは明らかだし、『仁井田さんは死んだ』と言った蓮の目はまじめそのものだった。  キスで遊んでいるはずがない。  蓮は、俺の言葉には答えず、じっとこちらを見ている。 「あ、っと、ごめん……」  言い訳しようとしたら、両手をぎゅっと握られた。 「まじめな仁井田さんが1番しなさそうなことを考えたら、男とキスかなと思った。してみたらなぜか心が落ち着いた。だからねだってしまいました」 「れん、」 「遊ぼうと言ったのは、キスのことじゃないです。何するかは決まってないけど、弓弦がちょっとでも気が晴れることをしたい。でも夜は一緒に寝て欲しいです。咳辛いから」  真剣な目でまっすぐ見つめられると、心底、言ってしまったことを後悔した。 「ごめん、八つ当たりした。俺のこと考えてしてくれたって分かってる。ごめん」  ぎゅっと手を握り返すと、眉根を寄せて、切なそうに微笑んだ。 「ねむたい。弓弦のこと抱っこして寝ていい?」 「うん」  布団にもぐり、自分から体を寄せて胸にすっぽりおさまると、あたたかいものに包まれるような安心感があった。 「こうやって寝るの、気持ちよくない? 変かなオレ」 「蓮は変わってるよ」  目を閉じて気持ち良さそうに頬ずりしてくる蓮は、なんだか幼い子供のようだった。

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