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起きたのは夕方近かった。
蓮は1度も咳をすることなくぐっすり寝ていて、慢性的に寝不足の俺も、文字通り泥のように眠った。
体勢を変えようとしたら、俺を抱きかかえたままの蓮は、小さく「ん」と言った――それでも起きないので、本当によく眠っている。
電源を切ったきりのスマホは、どうなっているだろうか……。
見ておかないと怖いような、見るのが怖いような。
死んだと思えばもう見る必要もないのかも知れないけれど、自分がどういう状況なのか知っておかないと怖い感じもする。
蓮の言う通り、潔く折るか川へ投げてしまった方が、未練なく過ごせて良かったりして?
ぐるぐる考えていても仕方ないので、起こさないようそっと抜け出し、ソファに座ってスマホを手に取った。
手汗がにじんでくる。
「……ん?」
うしろから、寝ぼけた声がした。
なんとなく、見るなら蓮が起きてくる前のほうがいい気がする。
そんなの見なくていいと言うかもしれないし、または、すごく気を遣って一緒に見守ってくれるとか、とにかく要らぬ心配をかけてしまう。
サイドのボタンを長押しする。
電話のアイコンにくっついた赤丸のバッヂには、166とあった。
間違って折り返してしまわないよう、慎重にスクロールしながら履歴を見る。
会社の代表電話、部署の直通、何人もの社員の携帯、家族親戚……市内局番の知らない番号は、不動産屋か何かか。
留守電もすごい数だけど、さすがにこれを聞く気にはなれない。
引き返せないところへ来たのだと思った。
何もなかったかのようにひょっこり現れて元の生活に戻るなんて、俺には無理だ。
ただでさえ限界だった暮らしに、この山盛りの迷惑の借りを返しながら生きるなんて、できない。
再びスマホの電源を落とし布団へ戻ろうとしたら、寝転がったままこちらを見つめる蓮と目が合った。
「大丈夫?」
「3ケタの着信履歴なんて初めて見た」
無理してニヘラと笑ってみたけど、蓮はまじめな顔のままだった。
体を起こしてベッドの縁に腰掛け、両太ももをぺんぺんと叩いた。そして両手を広げる。
ひざの上に座れということだろうか。
そばへ寄って椅子に座る感じで背を向けたら、「逆」と言われた。
「重くない?」
「軽いよ」
背中に手を回される。
自分はどうしていいか分からず、なんとなくだらんとしていた。
「俺もう、二度と家族にも会えないし戻るとこないや」
「自殺するってそういうことだよ」
「どうしよう。死んだら無の予定だったのに、続いちゃった」
蓮は一瞬口を結んだあと、腕にぎゅうっと力を込めた。
「ごめんな。やっぱり最初に弓弦が怒ったのが正しかったのかな」
――あんたが気まぐれに中途半端な正義感で止めたせいで、俺はまたあしたから生き地獄を味わうんだ。
たしかに、死んで全部楽になるはずが、また生きて現実に向き合わなくちゃいけなくなった。
蓮に止められたせいだ。
でもなんか……。
「でも、想像してた生き地獄とちょっと違う。仕事辞めたら、もっと絶望的かと思った。お金も住むところもなくなって友達もみんな離れていって、社会的にど底辺になって抜け出せないのが何十年も続いて、それで最後は、満足な治療も受けられないまま普通なら死なない軽い病気で死ぬ」
蓮は俺の後頭部をそっとなでた。
「辛かったな。ひとりで考えて」
「うん」
こくりとうなずくと、のどの奥がじわじわしてきて、泣きそうになった。
蓮は、背中をさすりながら、穏やかな声で言った。
「弓弦、もうずっとここに居なよ」
「え……?」
びっくりしすぎて、思わずのけぞって蓮の顔を見たけど、やっぱりまじめな顔をしていた。
蓮は俺の背中を抱え直して、ぐっと引き寄せる。
「別に、止めちゃったから責任感じてとかじゃなくて。オレ、弓弦とくっついてるとすごい落ち着くんだ。こんなひとに会ったの初めて。死なれちゃ困るし絶望して欲しくない。いつか居なくなるとかも嫌だ」
「え、え? 何言ってんの?」
「好きなひとに出会ったから人生捧げようと思った、という話をしたつもり」
冗談を言っている風ではない。
でもそれは、ただの勘違いだと思う。
「蓮、違うよ。好きとかじゃないって。蓮はいまちょっと孤独で、心が弱ってるところにたまたま人肌の温もりを感じたからそう思うだけだ。よく考えて? 体調良くなって学校に復帰したら友達もみんな戻ってくるし、冷静になったら勘違いだったなってすぐ分かるから」
蓮は、キョトンとした顔で俺を見つめたあと、小首をかしげた。
「弓弦を抱きしめてオレの心が落ち着くことと、復学することに、何の関係があるんだ?」
「……何で分かんないんだよ」
「弓弦は? オレのこと好き? 好きじゃないけど寂しいからこうしてるだけ?」
背中に回された手に意識がいくと、混乱してまた泣きたくなった。
「寂しいよ俺は。そりゃそうだろ、死のうとしたくらいなんだから。こんな風にひとに優しくされたのなんて、いつぶりだろ。『キスしたら仁井田さんが死ぬ』なんて訳分かんない理論に納得しちゃった程度には弱ってるし」
「じゃあ、好きじゃなくて寂しいからなんだな」
「ん……と。分かんない」
蓮は俺の頭を軽く押さえて、くちびるがくっつくギリギリに寄せた。
「ドキドキする?」
こくりとうなずく。
「オレもする」
そう言いながら、急に俺の肩をつかんで、雑に俺をベッドへなぎ倒した。
「うわ」
倒れた俺の顔の両側に手をついて、見下ろす。
「10秒後に、あんま優しくないキスする。嫌だったら逃げろ」
「え」
「10……9……」
勝手にカウントダウンが始まる。
優しくないってなんだろう。首でもしめられるんだろうか。
でも、蓮の顔を見たら、死んだと思えばいまさら何が起きてもいいやという、あきらめるような気持ちになった。
これで死ぬとしても、死ぬのが1日延びただけだ。
そっと目を閉じる。
「……はあ」
ため息とともに、カウントダウンが止まった。
片目だけうっすら開いてみると、蓮は苦笑いしている。
「あのなあ、弓弦。そういうとこだって」
「何が?」
「そんな顔されて、優しくなくなんてできるはずないだろ」
どんな顔してた?
聞こうとする前に、蓮のくちびるでふさがれていた。
長いキス。
口をくっつけているだけなのに、どうしてこんな風にぼーっとして、ドキドキして、たまらなくなるんだろう。
そっと顔を離した蓮は、少しはにかんで言った。
「やっぱ、男だとそういう目で見らんないかな? 難しいこと抜きに、恋をする、とか」
「そんなの分かんない。きのうまで死ぬことしか考えてなかった人間が、急に誰か好きになったりときめいたりできない。心が死んでる感じがする」
「でもさっきドキドキしてた」
つつ、と、くちびるを指でなぞられる。そのまま首筋を通って、左胸へ。
トントンと指先で叩く。
「弓弦は生きてる。だからドキドキした。心は死んでない。オレのこと好きとか思えないんだったら、それは心が死んでるせいじゃなくて、普通に弓弦がオレのことなんとも思わないだけだ」
優しく微笑まれたら、また泣きたくなってきた。
「俺、ドキドキしたら、泣きそうになるんだけど。どうしたらいいか分かんなくて、たまらなくなる。これは何?」
「弓弦。泣きそうっていうか、泣いてる」
頬を拭われて初めて、自分が涙を流していることに気づいた。
「俺、ほんとは死にたくなかった」
「死ななくてよかったな」
「怖かった」
「いまは? まだ怖い?」
「怖い」
「じゃあ、怖くないように一緒に居よ。大事にするから」
蓮が、頬に口づけてきた。
俺は年甲斐もなくわんわんと泣いて、蓮はベッドの上で折り重なるように、泣き止むまでずーっと抱きしめていてくれた。
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