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食後、ソファでまったりしていると、蓮が俺の手をきゅっと握ってきた。
「……さっきのやつ、気になる?」
「え?」
「雑誌とか」
まさか蓮の方から振ってくるとは思わなくて、びっくりした。
「え、うん。まあ気になるけど、あんま話したくなさそうだったから。無理に言わなくていいよ」
「いや。好きなひとに隠しごととかしたくないなって」
蓮はすっと立ち上がり、よいしょと言いながら先ほど倒した山を丸ごと持ってきた。
さっき見た、『パブリック・アイデア・アワード受賞のスーパー大学生に密着』と書かれた雑誌を手渡される。
去年の10月号――いまから4ヶ月前だ。
「4月に、大きなアイデアコンペがあってさ。春休み暇だったから、ひとりでぽちぽち作って出したら、最優秀賞に選ばれた。若手向けの伝統あるやつで、過去の受賞者はみんな有名建築家になってるから、すごい競争率のはずなんだけど……なんかミラクル起きちゃって」
パラパラとめくると、大学のカフェテラスで微笑む蓮の写真ともに、長文の記事が載っていた。
「これが受賞したやつ」
左ページに大きく載った、手書きっぽいラフな絵と、正確な図面。
「これ、蓮が描いたの? すごいね」
「大学1年生が何のメソッドもなくふわふわっと描いただけなんだけどね。なんで受賞できたんだか」
学生の受賞は史上初、とある。
「読んでいい?」
「どうぞ」
密着取材と題打ってあるだけあり、朝起きてから寝るまでの1日が細かく書いてあった。
「いっそがしい。これは体壊すよ」
「建築士なんて体力勝負だから。こんなんで参ってたら生きてけない」
自嘲気味に笑う。
早朝に起きて調べ物と読書、学校でみっちり授業を受け、バイトはOBの建築事務所を掛け持ち。
帰って学校の課題をやって、個人的に出すコンペの作業をして、読書して寝る。
建築漬けだ。
「友達と遊ぶ暇なんてなかったんじゃないの?」
「そんなことないよ。ずっとそんなことやってたら疲れちゃうし、ちゃーんと適度に遊んでた」
「今月のカレ?」
別の雑誌を指差すと、苦笑いした。
「それはなんかインカレサークルのやつらが作ってる雑誌で、『ウケるから』とかいう訳分かんない理由で、あの手この手でオレの写真撮って帰る」
バサバサと山を崩して出てきたのは、7冊。
おととしの4月号の『イケメン新入生君いらっしゃい!』からスタートして、蓮の言う通り、まさにあの手この手で出されている。
「蓮、すごいひとだったんだなー。でもまあ、言葉の端々には感じたてけどね。たまに変な理論持ち出すじゃん。実はすっごい頭良くて、凡人と感覚ズレてんのかなって思ってた」
「変な理論? そんなこと言った?」
そもそも、ここへ来たのもキスしたのも、蓮の不思議な理論のせいなんだけど。
「あのさ、仁井田さんの生前の話も、ちょっと聞いてもいい? やだったらいいけど」
「ん? 別にいいよ。仁井田さんはシステムエンジニアだったらしい」
「へえ、プログラミングとかかっこいいな」
蓮は素朴なリアクションをしてみせたけど、俺はふるふると首を横に振った。
「IT土方って言うの。ITピラミッド社会の最底辺で、ひたすらコードを書き続ける作業員。そして典型的なブラック企業。仁井田さんが作っていたのはメガバンクのシステムだけど、ネームバリューとは裏腹に、もらえる給与はすずめの涙だったらしい」
蓮みたいなきらびやかな経歴は何もなくて、本当、1日中怒鳴りつけられながらひたすら孤独にパソコンに向かっていた。
「そっか。なんか、大人だな」
「え? いまの会話のどこで?」
びっくりして顔を見ると、蓮はまじめな顔をしていた。
「オレまだ学生だから、そういう苦労は全然分かんないもん。プログラミングかっこいー何でもできそうくらいしか思わなかった。でも弓弦はちゃんと大人で、生きて抜いてきた世界が違う感じがする」
「死んで逃げようとしたんだけど?」
「オレ死ぬほど必死になったことなんてない」
なんか、まっすぐな子だな、と思った。
かっこよかったり、優しかったり、色っぽかったり、蓮には色々な面があるけれど、こんな風にまっすぐな視線を向けられたら、本当に愛しくて仕方なくなった。
ごまかすように、頭をかく。
「そろそろ寝よ? 久々に外出たりご飯作ったりで、ちょっと疲れた」
「あ、ごめん長々。寝よっか」
ふたりしてもぞもぞと布団にもぐる。
すっぽり抱きしめられるのにはすっかり慣れて、いままでこれなしにどうやって寝ていたのか思い出せない。
それから、寝る前の長いキス。
「おやすみ、蓮」
「きょうも楽しかった。またあした。おやすみ」
くちびるをくっつけられると、途方もない幸福感に包まれる。
蓮の咳で目が覚めた。時計を見ると、時刻は1:00過ぎ。
コンコンという小さな空咳で、本人は起きていない。
背中をさすってあげようかと思ったけれど、それで起こしてしまったら悪いなと思い、そのまま見守っていた。
しかし、なかなかおさまらない。
徐々にゲホゲホと激しく咳き込むようになってきたところで、急に飛び起きた。
「ゲホッ……あっぶね、なんか出てきそうだった」
「大丈夫?」
「ごめん、うるさくて。どうしたんだろ」
そう言いながら、ゴホゴホと咳き込む。
「水持ってくるから。薬はどこ?」
「パソコンデスクの引き出し。ごめん」
しゃべりながらも激しく咳き込み、呼吸も苦しそうだ。
デスクを開けると、細かいマス目が入った製図用の紙と、シャーペンなどの筆記用具が間仕切りされていて、その中に、錠剤がシートごと無造作に入っていた。
何錠飲むのか分からないのでそのまま持って、水と一緒に渡した。
「ごめん、ありがと」
1粒手に出し、飲み込む。
コップを受け取って戻ってくると、蓮はベッドに腰掛けていて、不安そうに俺を見上げていた。
少し涙目だ――咳のせいなのか気分的な問題なのかは分からない。
「眠れる?」
「止まれば」
「起き上がってる? 横になる?」
「布団の中で弓弦とくっつきたい」
「分かった」
布団にもぐると、蓮は腕枕のように首の下に手を入れてきて、空いた手を後ろに回し、しがみつくように抱きついてきた。
「さっき賞の話とかしたからかな」
「……そうかも。思い出して症状出ちゃうとか、メンタル弱いのな」
他人事のように笑うけど、弱々しい。そして咳き込む。
何も言わずに、背中をさすった。
「白状すると、やっぱ、なんだかんだプレッシャーだったんだよね。急に天才とか色々言われたり、周りが態度変わったり知らないひとがやたら友達になりたいとか言ってきたり、偉い先生たちも期待してるとかなんとか」
そりゃそうだろうなと思う。
若くして才能を発揮するひとが注目を集めるのは当たり前で、加えてこのルックスなのだから、繋がりたい学生も、うまく商売につなげたい大人もたくさんいるだろう。
学校だって、現役の学生が活躍すれば、それだけ評判も上がる。
蓮は、自分の意思が追いつかないままに、どんどん色々なものを背負わされていったのだと思った。
「蓮は蓮だよ。俺は損得とか打算抜きに、蓮が好きだし」
そう言って背中をさすると、蓮は、ぱっと目を見開いた。
「……弓弦、初めてオレのこと好きって言った」
「え? そうだっけ?」
「うん」
全然気付いていなかった。
自分の気分が不安定でそれどころじゃなかったのもあるけれど、たしかに『心地よい』とか『落ち着く』とかそいういう気持ちは自然と口から出るのに、恋愛的に好きとかそういうのは、自分の中でも上手く言語化できていなかった気がする。
「……そっか。好きってこういう感じなんだ」
「すごくうれしい」
くちびるを重ねてくる。
何度もついばむようなキスをするうち、蓮の目がとろんと眠たそうになってきた。
「眠れそう?」
「うん。咳止まったっぽい」
「それじゃ、またあした。おやすみ」
蓮は、子供みたいにぎゅっと抱きついたまま、眠りについた。
寝顔を見ながら思う。
現状なにひとつ良いところのないダメな大人の俺だけど、好きなひとのためなら何かできるだろうか……と。
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