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「弓弦」
ぼんやりとした意識から我に返ると、隣に寝転がった蓮が、頭をなでていてくれた。
「大丈夫?」
「……ん、平気」
全身だるいけど、痛いとかそういうのはない。
蓮は俺のおでこにキスした。
「可愛かった。なんだろ……なんか、健気な感じで」
なでられると、照れてしまう。
「俺はけっこうしみじみと、蓮かっこいいなあと思っちゃった。顔もだけど、優しいし、気遣ってくれるし、そういうとこがかっこいい。大事にされてる感じもした」
素直に伝えると、蓮はうれしそうにはにかんで笑った。
蓮がペットボトルを持ってきてくれたので、服を着つつ、ごくごくと飲む。
「でもなあ……弓弦の可愛さは罪だなあ。イくとこ見ててって……」
「ゴホッ」
盛大にむせた。慌てて訂正する。
「っちっがうちがう! 見ててもいいって言おうとしたら語尾が切れちゃっただけ」
「えー、そうなのー?」
ニヤニヤする蓮の顔に、思い切り枕を投げつけた。
「ふーん、枕投げ。受けて立ちましょうか」
ふんわりと、しかし確実に顔に当ててきた。
ボフッという音ともに、体がひっくり返りそうになるのをこらえる。
「やったな?」
斜めに投げて、わざと軌道を外す。蓮は片手でキャッチした。
「これならどうだっ」
投げ返されたのは、頭の上。
ひざ立ちになってキャッチしようとしたけど、指をかすっただけで枕はベッドの後ろに落ち、自分もそのままごろんとうしろに倒れた。
「あはは、勝ったー。大丈夫?」
「くっそー」
ジェンガのときも思ったけど、蓮の勝ったときの反応は、とても大人げない――それに煽 られてムキになる俺も、だいぶ大人げない。
蓮はにじりにじりと寄ってきて、俺の両手首をつかんで、キスしてきた。
「可愛い」
そんな優しい顔をされたら、どう返していいか分からない。
「枕、救出しなきゃ」
目をそらして早口で言うと、蓮は手を離してくれた。
起き上がって、ベッドの裏側に手を伸ばす。
すると、横に積んであった本の塔を崩してしまった。
「あ、やっちゃった」
降りて直そうとしたら、蓮が滑り込むように割って入ってきた。
「あー大丈夫。オレやるから」
なんだか焦った顔をしている。
「ごめん」
紙やら本やらが散乱しているなか、目に入ったのは、建築雑誌。
表紙の右端に『パブリック・アイデア・アワード受賞のスーパー大学生に密着』とある。
その横に落ちているのは、求人誌みたいなペラペラな小冊子で、学生向けと思しきタイトルのもの。
大きく『今月のカレ:イケメン明工大生・倉本蓮くん』の文字。
「蓮って有名人なの?」
何てことはなしにぼんやりと聞くと、蓮は明らかにギクっと肩を揺らした。
「え? 何が?」
こちらに背を向けたまま、落ちたものを拾ってまとめる。
「明工大って、明和工業大だよね? めちゃくちゃ頭いいんじゃないの」
「ん? うん、まあそうだね。でも別にオレは有名じゃないよ」
あんまり触れて欲しくなさそうなので、話題を変える。
「きょうは食欲ありそう。夕飯、俺なんか作ろっか。ずっと用意してもらってたし」
「へえ、弓弦料理できんだ」
振り返った顔は、いつもの蓮だった。
「ひとり暮らし長いし。まあ、基本貧乏レシピなんだけど」
「楽しみ」
ふたりで買い物に行くことにして、久々に外に出た。
事件性が薄い成人男性の捜索がどの程度行われるのかは分からないけれど、外を歩くのはいささか緊張した。
蓮の家があるのは、塔南寺駅から15分ほどの閑静な住宅街。
大きなスーパーに行くには、駅前まで出なければならない。
塔南寺駅は、空港から近いので乗降者数も多いし、俺の自宅があるひばり台の隣駅だし、何より自殺しようとした現場だ。
誰かが自分を探しているのではないかと、ひとの目線が怖くなった。
手が震えて、呼吸も浅くなる。
「交番避けてこ」
蓮がさり気なく俺の背中をトンと叩いてくれて、ハッと我に返った。
「うん」
短く答えた声も震えていて、察した蓮は、頭をぽんぽんとしてくれた。
「ちゃんと顔隠れてるから大丈夫」
蓮に借りた大判のマフラーで、目の下まですっぽり隠している。
スーパーでは少し気が紛れて、ふたりで考えながら、3日分くらいの材料を買い込んで帰ってきた。
「はー……緊張した」
買い物袋を床に置き、へたり込む。蓮がぎゅっと抱きしめてくれた。
「怖かった?」
「うん」
「ごめんな。今度からネットスーパーにしよっか」
「いや……大丈夫。ちょっとずつ慣れないとだし」
実は、ひとの視線が怖かったのは、蓮が原因でもあった。
と言っても本人は一切悪くなく、単純に蓮の見た目が良すぎて女性の視線が集まっていたからなのだけど、そんなことは言えない。
気を取り直して、料理に取りかかる。
俺が作っている間に好きなことをしてていいよと言ったところ、ちょっと作業をすると言って、窓際の机に置いたデスクトップパソコンに向かった。
見ちゃダメかなと思いつつ、チラチラと見る。
図面――たぶん、建築の何か。
学校は休んでいても、ひとりで勉強しているのだろうか。
雑誌の表紙を思い出す。
本人は否定していたけど、取材を受けるくらい優秀な学生なんだろう。
最初の日に見た透明な盾はいつの間にかなくなっていたけど、あれが、書いてあった賞のものなのかも知れない――特集を組まれるほど権威ある賞なんだろうな、と想像がつく。
「できたよ」
80円の野菜ミックスを放り込んだだけの味噌汁と、もやしと玉ねぎで量 増しした親子丼。
「めっちゃいいにおいする」
機嫌良くソファに座った蓮は、うれしそうにへへへと笑った。
「オレ、幸せってこういう感じだと思うよ」
「生前の仁井田さんが見たらびっくりするだろうな」
「誰それ?」
俺の手からおはしを奪って、キスしてきた。
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