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――RRRRRRR......
「……ん?」
アラームの音で目が覚めた。しかし室内は真っ暗。
合わせ間違いでもしたかと思って、枕の横に置いたスマホを取ろうとしたら、蓮が目を覚ました。
「ごめん、オレ」
サイドボードに手を伸ばし、雑な動きでアラームを止める。
蓮の顔を見上げて聞いた。
「何時?」
「3:00」
「目覚ましかけたの?」
「うん。咳してるか確かめたくて。してた?」
「え?」
びっくりして、一瞬詰まってしまった。
「いや、してなかった……と思う。俺普通に寝てたし」
「そっか、ならよかった」
トロンとした目で笑う。
「何かあったの?」
わざわざアラームをセットしてまで確かめたがったのには、何か理由があるに違いない。
心配になって聞くと、蓮はそっと俺の頭をなでた。
「実はきょう、例の賞をくれた協会の会長さんが来ててさ。話したんだ。休学してるって結構あちこちに噂いってたみたいで、体調はどうかって」
「何て答えたの?」
「ふつうに、夜咳が止まらないので呼吸器科に通ってます、ってだけ。でも、体調良くなったら参加して欲しいプロジェクトが~みたいな話をされた」
帰ってからの話では、そんなことはひとことも言っていなかったし、そんなことがあったようには全然見えなかった。
「期待してるとか色々言われたんだけど。咳出なかったな」
「う、うん。良かったけど……」
蓮は、ぎゅーっと俺を抱きしめて言った。
「出ない気がしてた。出なくてよかった」
「え? 出ない気がしてたの?」
「うん。大丈夫な気がしてたから、大丈夫なまま普通に朝になっちゃうかもと思って、あえてこんな時間にアラーム。ごめんな、起こして」
「いや、全然いいけど」
なぜ、出ない気がしていたのだろう。
心境の変化が起きるようなことが、他にもあったのだろうか。
聞こうとしたら、その前に蓮が、ふふふと笑って頬をすりよせてきた。
「なんか、想像したんだよ。体調良くなって、また学校行ったり活動始めても、家に帰ったら弓弦がいるんだなあって。弓弦はその頃何してるか分かんないけど、とにかく1日の始まりと終わりには絶対居て、すぽって胸のとこにおさまって寝てるのも絶対だよなって思ったら、なーんにも怖くなくなった」
ありがとな、と小さく言って、おでこにキスされた。
そして、1日中ぐるぐる考えていた自分を、心底バカだと思った。
「蓮は俺を置いていかないんだな」
「ん? 置いて? どこに?」
「蓮は立ち直ったら、元の倉本蓮くんに戻ると思ってた」
率直に答えると、蓮はキョトンとしていた。
「元も何も、オレずっと、倉本蓮だし」
「いまは本来の倉本蓮くんじゃないでしょ? 弱ってて」
静かにたずねると、蓮は、じわじわと笑いをこらえ始めた。
「え? オレいま、かりそめの姿なの?」
半笑いで聞き返しながら、むぎゅむぎゅと腕の力を強めてくる。
「なんだよそれー。もう、弓弦は発想がいちいち可愛いんだよな。どこへ置いてくんだよ」
「だって、蓮は外の世界があるけど、俺は何もないもん」
「んー? オレはオレで好きな道へ進むよ、もちろん。やりたいこともあるし。でも、やりたいことするのと弓弦と暮らすことが両立できない道理なんてないだろ?」
屈託なく笑われてしまうと、きょう1日の悩みは、ほとんどが無駄だったということがはっきりしてしまった。
「あのさ。あした、渡したいものがある」
「ん? 何?」
「喜んでくれるといいな。だからもう寝よ?」
バレンタインには少し早いけれど、どうしても、あした遊びたいなと思った。
仁井田さんは、好きなひとにプレゼントを渡すなんて経験をすることもなく、24年の短い生涯を終えた。
そして新しい弓弦はいま、緊張気味に、箱を手にした両腕をぴんと伸ばして頭を極限まで下げて、卒業証書をもらう学生のようになっている――贈る立場だというのに。
「これ、バレンタイン」
朝一番に、ハートマークが飛び交う包装紙に包まれたそれを差し出した。
「ありがと。なんだろ、開けていい?」
「うん」
蓮が、几帳面にテープをはがす。開くと、ヒヤシンス姫が描かれた箱が姿を現した。
「ジグソーパズル!」
「そう。一緒に遊びたいなと思って」
肩をすくめて見せると、蓮は、キラキラと目を輝かせて箱を眺めた。
「これミュシャだろ? 弓弦、センスいいんだな。こんなおしゃれなプレゼント、なかなか思いつかないよ」
「蓮と何したら楽しいか考えたら、頭使うし協力するし、いいかなって」
「あはは、確かに。楽しそう」
そう言って、ニコニコする。
「ミュシャ知ってるんだったら、この絵も知ってる?」
「いや、画家の名前しか知らない」
「そっか。この絵、ヒヤシンス姫っていうタイトルらしいんだけど。なんでこれにしたか語ってもいい?」
「うん。聞きたい」
蓮は、箱を一旦テーブルの上に置き、居住まいを正してこちらに向き直った。
「ジグソーパズル売り場で、蓮が好きそうなおしゃれな感じで、この部屋にあっても違和感ないのどれかなーと思って探してたらこれ見つけてさ。絵とか詳しくない俺でも見たことあるくらいだから有名なんだろうけど、どういうものなのか分かんないままプレゼントするのはどうなんだろうって思って、本屋に行った」
「わざわざ本屋まで?」
「スマホないから調べらんないし」
「あ、そっか」
納得する蓮の顔が、なんだか可愛い。
「この絵は、ヒヤシンス姫っていうタイトルの劇のポスターらしい。俺、ヒヤシンスの花自体の意味が知りたくなってさ。それで花言葉辞典を見たの。そしたら、『もうこれしかない』って思うくらい、俺たちにぴったりだった」
「何?」
「遊び。あと、悲しみを超えた愛」
蓮が、大きく目を開いた。
「ヒヤシンスの由来はギリシャ神話で、ふたりの神様に愛された美少年の、ヒュアキントスからきてるらしい。太陽神アポロンとヒュアキントスが円盤投げして遊んでたところに、西風の神ゼピュロスが嫉妬して、風を起こした。そしたら運悪く円盤がヒュアキントスの頭に当たって、そのまま死んじゃった。その血の色が、ヒヤシンス」
蓮は、小首をかしげた。
「めちゃめちゃ不吉そうに聞こえるんだけど?」
「偉いやつらに翻弄されて死ぬ美少年とか、蓮っぽいでしょ」
「オレ別に死んでないけど」
怪訝 な顔をする。
「花言葉が『遊び』なのは、円盤投げからきてる。他にも、『スポーツ』とか『ゲーム』とか。『悲しみを超えた愛』っていうのも、神話のストーリーからきたってことみたい。不吉っぽいのも含めて、まあ、らしいかなって」
蓮は、しばらく箱を見つめたあと、くしゃっと笑った。
「それ、オレっていうか、弓弦じゃないの?」
「え?」
突拍子もないことを言い出す蓮に、驚いてしまう。
「だって、仁井田さん死んだし、それを乗り越えていまオレたち一緒にいるわけだろ?」
「いやいやいや、俺は美少年じゃないじゃん。ヒュアキントスは蓮だよ」
その後はなぜか、『どちらが死んだか』のなすりつけ合いになった。
そして結局、いかに俺が可愛くて嫉妬を呼びそうな存在であるかをめちゃくちゃに力説してきた蓮に負けて、ヒヤシンス姫は俺ということになり、蓮に大笑いされた。
「弓弦、可愛いもん。オレにとったら大事なお姫様だよ」
「そんな変なこと言うの、地球上に蓮しか存在しないと思う」
やや不満げに言うと、蓮はぐーっと顔を近づけてきた。
「当たり前だろ。弓弦をお姫様扱いする奴が他にいたら、めちゃくちゃ怒るよオレ」
「うわ、嫉妬に狂ったゼピュロスだ」
蓮は、愛おしそうに箱を眺めたあと、かぱっと開けて、中身を取り出した。
ビニールを破いて、ローテーブルの上にざらざらと出す。
「やろ」
返事も聞かず、ひっくり返ったピースを表に返しはじめる。
「まず、端のピースを固める。それから、色別に分ける。そんで、外枠を攻めつつ、顔とか服の模様とか、分かりやすいところを繋げていく。オーケー?」
「うん、分かった」
蓮は、鼻歌でも歌い出しそうな感じで楽しそうに仕分けしながら、こう言った。
「完成してものり付けはせずに何回も遊ぼう」
このひととずっと一緒に居られて、何回も遊べるのだと思ったら、幸せで幸せで仕方がなかった。
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