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1.「無欲」な少年。
何を考えているのかわからない男がいた。いつも飄々としていて何を言われても怒らない。「変わってる」と誰かにからかわれても、親に怒られても、褒められても目をくりくりさせていつも同じ表情しかしない。まるで人間の言葉が通じない小動物のようだった。一部の女子は彼を「ちゃん付け」で呼び、かわいがった。そう、意外にも彼はモテたのである。それなりに勉強もできたが、スポーツは目立っていい成績ではなく、極めて普通。しかしそれすらご愛敬。走るのが速くないことも、球技をやってもほとんど活躍できなくても一部の女子は、それも「かわいい」と言った。普通の男子ならちやほやされてさぞかし嬉しがるところである。だが彼は、それを表情に出さない。目をくりくりさせるだけだった。
だからといって表情を変えられないわけではなかった。眩しかったら目を細めるし、笑う時もある。しかし目はくりっとさせたままで。黒目勝ちで小動物のような瞳で。
ある時彼は同じクラスの女子生徒に告白された。そしてその女子と交際を始めた。学校が休みの日に何度かデートもした。花火大会に行ったり、友達を集めて勉強会したり、プールにも行った。彼女に誘われて。
思い出をたくさん作った。写真もたくさん撮った。キスもした。彼女に言われて。
彼は彼女の要求通りに動いた。飼い主に従順な犬のように。彼女はそれで満たされたはずだった。だがある日、彼女は彼にこう言った。
「何考えてるのかわかんない」
そして彼は振られた。
「この前一緒に手を繋いで歩いてた子、あの子とはどうなったの?」
以前学校帰り彼女と手を繋いで歩いている所を母親は目撃していた。車で丁度そこを通りかかったのだ。
「振られた」
息子はあっさりそう答えた。とくに気にしている様子はない。いつものように目をくりくりさせて、何事もなかったかのようにコップでジュースを飲みながら、テレビを観ている。
やっぱり。
心の声が母親の喉から出かけた。
彼女はそんな息子のことを心配していた。
なんて欲がない子なんだ、と。
母親には詳しく説明しなくてもわかっていたのだ。息子は昔からそうだった。よその子は欲しいおもちゃや、お菓子を買ってとねだっていたが、自分の息子には一切それがなかった。親の方が息子に気を使って「これ欲しい?」と言ってやらないといけないくらい彼は欲がなかったのだ。何がやりたいとも言わない。周りの友達に誘われてようやく動くという感じだった。だからおそらく誰かと付き合っても続かない気はしていた。相手の子は困惑しただろう。この人、何を考えているのだろうと。
やればほぼ何でも卒なくこなすのに、母親には息子が不憫に思えてならなかった。こんなにも欲がなくて自分の意思がないと、この先悪い人間に騙されてしまうかもしれない。誰かこの子に自己主張の仕方を教えてやってくれないかしら。誰かいなかったかしらねぇ……
あ、あの人にお願いしてみよう!
そう思い立った母親は、さっそく週末ある人物の家に電話をかけた。旦那の従弟の独り所帯に。彼は灯 といい、三十路の独身男だった。バツが一つ付いている。お見合いした相手と結婚したが、二年ほどで離婚してしまったのだ。なぜ彼を抜擢したかというと、その男――灯が息子にそっくりな性格だったのだ。似た者同士、話もわかるだろう。そう思ってのことだった。こんなことを言うのもなんだが、母親は灯を変わり者だと思っていた。その彼でも結婚できたのだ。うちの息子だって、と期待せずにはいられない。いや、さすがに結婚はまだ気が早いが、それでも人生の先輩として良き相談相手にでもなってくれればと願う母親だった。
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