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第37話
旅立ちの日は花曇りの白い空に桜が咲いていた。
今年は早いなと、リハビリ病院の玄関先で兄貴が遠くを見やる。
「寒いなぁ。刹那、風邪ひかないでね」
「朔実もな」
歩行器に掴まって俺を見る視線の高さが同じだ。
刹那はすいっと前方に視線を流して兄貴と同じ桜を見る。凛とした横顔は冴えて、あまり日に当たらない入院生活のせいか陶器のような頬が滑らかで美しい。
俺は希望の学校に入学出来た。
そこは新幹線一本で行き来出来る隣の県にある。
「次いつ来る?」
「うーん、来週か再来週」
「今まで、変わんねー。うるさい、来んなよ」
酷い。それが旅立つ弟に向けるセリフだろうか。
どんどん回復して来ても、刹那はやっぱり刹那だった。
骨折が治って左半身に不自由が無くなった刹那の車椅子卒業は早かった。右半身麻痺が有るので歩行器に掴まって歩くのだけれど、これが良くない。エレベーターのボタンを押せるからどこにでも行けて、頭の中に地図が描けずに院内で迷子になる。
くれぐれも外にだけは出ないでとお願いしているけれど、そこは刹那だ。旅立つ俺の心配は尽きない。
駐車場に滑り込んで来た一台の車が玄関脇のスペースに入って、運転席から卯月さんが降りてきた。
「こんにちは、いい天気で良かったですね」
そうだろうか。微妙に曇り空なんだけどと、相変わらず人好きのする穏やかな笑顔に思う。
今日は進学先の入寮日で、卯月さんがわざわざ県外の学校まで送ってくれる事になっている。
「卯月さん。すみません、お世話になります」
兄貴が階段を下りて挨拶に向かい、刹那は片手を上げる。
「とんでもないです、朔実くんの進学先に恩師が居るので、訪ねる機会が出来て楽しみにしてるんですよ」
温和な笑顔が役者だ。そんな恩師いないって俺は知ってる。
それじゃあと兄貴と刹那に手を振って、俺は卯月さんの車に乗り込んだ。
「悪い事したかな、お兄さんがここに来てるとは思わなかった」
運転席でシートベルトを締めながら、失敗したなとちょっとへこんでる。
「なんで?」
「休み取ったって事だろ、朔実を送って行くために」
なるほど、それは気付かなかった。
出発する前に刹那に会いに行くと言った俺を、用事のついでに病院まで乗せて来てくれただけだと思った。
「相変わらず愛情表現の下手な人だね。刹那さんは何か言ってた?」
「うるさいから帰って来るなって言われた」
「こっちの事は心配しないで頑張れよ、か」
卯月さんの耳はどうかしている。
「何でもいい方に解釈しちゃうからなぁ」
「朔実が捻くれすぎなんだろ」
走り出した車はやがて高速に乗り、県境を越えた。
休憩のために立ち寄ったパーキングエリアで俺はキョロキョロしてしまう。観光バスや普通車から下りて来た人達がみんな同じ方向に向かって歩いていて、サービスエリアの前には屋台が並んでる。
「珍しい?」
「うん。学校の旅行でしか来た事無い」
「そっか。美味い物売ってるんだよね、今度パーキング美味い物巡りしようか」
空気に美味しそうな匂いが混じって、そっちを見るとたこ焼きや豚串の屋が並んでいた。中でもくるくるウィンナーが鉄板の上で弾けて焼けるのが美味しそう。焼肉の匂いがする。
「あれ食べる?」
「要らない。ただのウィンナーでしょ、くるくるしてるのが珍しかっただけ」
くるくるくるくる。ウィンナーがぎっしりくるくる。
バカだねぇと笑った卯月さんが一本買ってくれた。
外のベンチで渡されて、感激だ。
貧乏家庭にくるくるウィンナーなんて縁の無い高級品。
「うまっ!」
一口食べたらパリッと弾けて想像以上。目がキラキラしてしまう。
まだ冷たい風の寒さも一気に忘れた。
「食わせ甲斐あるなぁ」
夢中になってる俺を見て卯月さんが笑ってる。
「美味しい物を食べさせてくれる人は悪い人だから着いて行くなよ」
「じゃあ卯月さんも悪い人なの?」
「くるくるは別だ、くるくるは。てか、くるくる程度で感動してる朔実が心配だ」
ベンチで並んで遠くに広がる街並みを見れば、春霞に白くけぶっている。今日から俺はあの町で暮らす。
「俺が卒業する頃には刹那も退院出来るでしょ?」
「もっと早いかなぁ。でも回復次第で退院にはバリアーフリーの住まいって条件が付くかも知れない。そこが難しいね、朔実の家の事情だと。三年後に朔実がそういう部屋借りればいいから大丈夫か」
「ふーん、じゃあ一軒家を借りよう」
「いいんじゃない」
食べかけのウィンナーを横からかじられて、俺のくるくるウィンナーが卯月さんの口の中消えた。
「これ美味いな、もう一個買ってこよう」
「じゃあ今度は豚串がいい。豚串買って」
「いいよ」
俺の願いはなんでも叶えてくれる。
言った通り、卯月さんはお願いすればくるくるウィンナーも豚串も買ってくれる。それから留守の間の刹那の様子も見てくれる。それ以上に難しいお願いはまだしてないから、どこまでが範囲なのかまだ分からない。
サービスエリアの人混みに紛れ混んでから、俺は卯月さんのシャツの背中を後ろから引っ張った。
結婚出来ないジンクスの独身寮はいつまで住んでいる気なのだろう。
三年後、一緒に暮らせたらいい。俺と刹那と卯月さんと三人で。卯月さんには負担をかけてしまう事になるけれど、どうか分かって欲しい。いずれ刹那に誰か特別な人が出来る、その日まで。
「あと、三年後に家も借りて。バリアーフリーの一軒家」
振り返った卯月さんが、一呼吸置いてから破顔した。
「いいよ」
Fine
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