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第36話

 やると即答した俺に、卯月さんはどうしてか痛そうに目を眇めた。 「なんで自分大事にしないの。言ってる意味が分からなかった?」 「そんなにガキじゃない」 「そう。じゃあ先に形が欲しい。脱いで」 「え……」  突き放した物言いと怒った表情。  別にどうって事は無いと思う。誰だってやってる事で、相手が男だってだけでやる事は同じだし。むしろこんなんで三年も刹那に付き添ってくれる卯月さんの方が人がいい。 「全部脱いでベットに上がれ」  自分の家族を見てみろよ、身内であぁなら他人なんか尚更信用出来ない。だから何をされても何を言われても平気だし、むしろ卯月さんなら約束は守ってくれるから俺は運がいい。  そう、思おう。 「別に構わないだろ、脱がせる所からとか面倒。早く」  急かされて自分でジャッジアップフリースのファスナーを下げたら、下に着ているティーシャツの白が他人事のように見えた。  その間に卯月さんは先にベットに移動して、足を組んで座りながら俺が脱ぐのを見ている。  上下を脱ぐのはいいけど、さすがに下着は抵抗があって戸惑う。けれどそれもとパンツを示されて、仕方なく下着も脱いで全裸になった。  急に自分が物凄く頼りなく感じる。布切れ一枚で、腹巻にも劣ると言われるパンツの意味が初めて分かった。  来てと、全裸になった俺を卯月さんが呼ぶ。  俺は惨めだ。  唇を噛んだ時、いきなり手首を引っ張られてベットに仰向けに引き倒された。  乱暴さに驚いて見開いた視界に、すぐさま卯月さんのどアップが入り込む。 「んっ……」  重なった唇に呼吸を忘れている間に下腹部に触れて息を飲んだ。  怖い。  思っても無かった乱暴さが怖い。そのまま足の間に入った手が太ももの内側を乱暴に押し上げて、足を開かされる。 「っ……」  怖い。  力じゃ敵わない。大人の男に全裸にされて力任せにされること。  俺は惨めだ。  口にビールの苦味とアルコールの匂いを残して、卯月さんの唇が胸に移動する。  乳首を含まれて、唾液に濡れた柔らかな舌は強烈だった。わざと大きく立てられた濡れた音が耳まで生々しく、相手の体温も肌の実感も髪の香りもすぐそこにある。  俺は惨めだ。  怖い、怖い、怖い。 「どこまで我慢するの?これ以上されるとこっちが困るんだけど」  困ったような呟きと同時に動きが止まって、俺はギュッと閉じていた瞼を恐る恐る開けてみる。 「怖いだろ、泣き言の一つも言えよ」  そこに居たのはさっきまでの怒った空気では無くて、いつもの温和な空気を醸し出した卯月さんだった。痛ましそうに俺を見ている。 「こんなんされて怖く無い奴なんかいない。だから嫌だって言えばいいんだよ。ホラ、言ってみな」  急に放り出されて、自分がみっともなくてシーツの上で動けなくなる。 「なんで分からないの?刹那さんのために自分を粗末にするのは違うだろ」 「だって、俺なんか……」 「それだよ、俺なんか。自分に価値が無いから人と対等な関係を築けないと思ってる。交換条件を持ち掛けれは朔実はどんなに損でも断らない。前もそうだった」  俺に損は無いと思う。三年という長い時間を費やすのは卯月さんの方だ。 「損だよ。朔実が一言お願いって言えば、俺は何でもしてやるのに」  だからねと、卯月さんは身体を起こしながら俺の髪を撫でた。その手が優しくて、怖いのはもう終わったのかとホッと息を吐く。 「刹那さんが大事なのは分かる。でも自分を粗末にするのは違う。朔実はどうしてもそれを理解しないから見てて腹が立つ。なんでなのか教えようか」  そんな事は無い。  俺は自分がとても小さな人間だとよく知ってるから、誰かに迷惑をかけてはいけないし、一人でやれる。 「朔実も被害者なんだよ。お祖母さんが刹那さんに向けた言葉と暴力に怯えて萎縮して、自分に価値が無いと思い込んでる。本当にお前の祖母さんはやってくれた。刹那さんを縛ったのはお祖父さんの事でも、朔実は違う。朔実を縛っていたのはお祖母さんの方だ」  言い当てられて記憶の言葉がよみがえる。  バカでノロマで人より遅れたダメな子。  婆さんが刹那を怒鳴りつけていた言葉はそのまま俺に刻まれて、自分がダメな人間のように思えて仕方ない。なんで俺はこんな奴なんだろうって情けなくて嫌で嫌で。  何度も何度も思った。兄貴と比べて何にも出来ない自分に、親父にあっさり騙された自分に、やっぱり俺はバカでノロマな遅れた奴だって何度も思った。  ブワッと感情が込み上げて来て、俺は手で口元を押さえる。 「うそ、泣いた?ごめん、やり過ぎた」 「……泣いて無い」  本当は……人が怖い。自分がどんなにダメか知ってるから、見抜かれて叱られるのが怖い。  怖いんだ。 「十八歳で半身麻痺の兄貴を一生背負って行く覚悟を決められる奴は、そうは居ないと思うよ。そのための道筋も立てて、ちゃんと進もうとしてる。朔実はダメじゃない、かなりしっかり者の凄い奴だ。俺が十八の頃はそんな事は出来なかった」  もっと言って欲しい。  認めて欲しい、俺はずっとずっと……。  喉の奥が熱くなって、込み上げて来る。  今まで沢山泣いた。泣いて泣いて、いつだって一人で泣いていた。 「……怖いよ、本当は怖い。人が怖いんだ」  人が怖い。人と関わるのが怖い。全部ダメな自分が悪い。 「うん。誰もみんな他人を怖いと思う時が有るよ。だから朔実は変じゃないし、朔実はちゃんとやれてる。いくらでも言ってやる、朔実はダメじゃない。強くて優しくてしっかり者の凄い奴だ」  そうなんだろうか。俺は自信を持っていいんだろうか。人並みに出来ているのだろうか。 「言葉は支配にもなるよ、子供の頃に恐怖で植え付けられたらなかなか拭えない。でも、もういいんだよ、朔実を叱る人は居ないし、誰の目から見ても朔実は強いよ。開放されたのは刹那さんだけじゃ無い、朔実もだ。だからもう酷い言葉や過去に縛られ無くてもいいんだよ」  卯月さんの言葉が胸の奥に沁みて行く。耳から入って小川のように心に流れて行く。  もう、いいのか……。  俺は楽になっていいのか。  やっぱり卯月さんは太陽だった。押し潰されそうになる思いを、何度も何度もすくい上げて照らしてくれる。  それでも鎖に繋がれたように刹那しか選べなかったのは、恋では無くてきっと情なんだろう。ダメだノロマだと蔑まれて、消えない傷を飲み込んで、上げては下げてを繰り返す、似た者同士の二人が肩を寄せ合って生きて来た重い重い鎖。 「だから、三年後には俺の所に帰って来い。二人は同じじゃないから、折れそうになったら俺が何度でも言ってやるから、朔実はここに帰って来い」  同じじゃ無い。  そう、俺と刹那は別の人間で、それぞれの道を行かなきゃ行けない。たとえ一緒に暮らしても、恋人も仕事も考え方も別でなくちゃいけない。 「メタメタに愛してやるから俺んとこに来い」  刹那は俺で俺は刹那だ。  だけどもう違う。夏休みの始まりのあの日、刹那が刹那になるために飛んだあの日から道が別れてしまった。  俺は俺になるために進もう。 「卯月さんと……生きたい」  卯月さんとなら俺は俺になれる気がする。刹那から親離れして、今度こそしっかりと。  涙を見せないように、卯月さんの首にすがりついた。

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