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第1話
アスファルトにゆらゆらと陽炎が立ち上がる、真夏の始まりの日。
一学期の終業式を終えた俺は、高校生活最後の夏に何をしようかと、これから始まる夏休みへの期待に満ちていた。校門横の桜の葉っぱがアスファルトにくっきりと影を落として、ジコジコ聞こえるのは蝉時雨。
「あちー、身体が溶けるんじゃね?」
同級生の一人が言うと、俺なんかもう溶けたよ、水着の女の子居たら復活すると、他の奴が続けて言って。
「身体のどこが溶けたんだよ」
誰かのツッコミにみんなで笑う、いつものバカ話で校門を抜けて行く。
そこに控え目なスマホの着信音がピリリリ……と俺のズボンのポケットから重なって流れたこの時。
「あ、電話だ」
俺は立ち止まってズボンのポケットを探る。
この瞬間、この一本の電話こそが俺を一気に奈落の底まで突き落とす電話だった。
ポケットから引っ張り出した画面には『光輝(こうき)』と八つ年上の兄の名前が表示されていた。
年が離れているせいか光輝からの電話なんて滅多に無くて、最後に顔を見たのもいつだったか思い出せないくらいに珍しい。
通話ボタンを押すとすぐに朔実(さくみ)かと呼ばれた低めの声に、そういやこんな声をしていたなと思った。
「うん。なに?」
『お前の学校の近くにN病院ってあるの分かるな』
「病院?うん」
『今すぐそこの救急に来い』
病院の救急?
首を捻りながら顔を上げれば、さっさと俺を置いて歩いて行く友人達の背中がずいぶん遠くに見えた。
『……刹那(せつな)が運ばれた』
刹那とは今電話をしている長男、光輝の下の兄で、次男の事だ。
「せっちゃんどうしたの?熱中症でもなった?」
『ビルから飛び降りたんだ』
アスファルトから立ち昇る陽炎に揺れて、同級生達の白いシャツが通学路の景色に滲んで行く。
ゆらゆら、ゆらゆら、消えて行く。
『朔実、刹那は飛んだんだよ』
その時校庭を囲む高い樹木の間から、一羽の鴉が飛び立った。何に驚いたのかこんな灼熱の空にバサバサと羽ばたいて行く。
その黒い翼が点のようになって水色に消えるまで、俺は目を細めて見送った。
刹那が飛んだ。
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