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第1話 シズクと初めまして

   ハムときゅうりのサンドイッチのあとにコロッケパンをたいらげる。牛乳を飲んでひと息つくと、仰向けに寝転がって空を見上げた。  ふわりと欠伸がもれる。風が少しひんやりとしているけど日差しは暖かくて、昼寝にちょうどいい天気だ。  そんなふうに屋上の出入口の真上にあたる一番高いスペースで微睡んでいると、急に下が騒がしくなる。 「ん?」  いったい何事だろうと身を乗りだして下の様子を窺おうとしたら、それよりも早く、低く迫力のある声が辺りに響いた。 「シズク! いい加減俺の群れに入れ」  ただならない様子に驚いて視線を落とせば、そこには二人の男子生徒の姿。  高い身長にほどよく筋肉がついて引き締まった体。同性なら誰もが羨みそうな精悍な顔だち。先ほど声を荒らげていたのはどうやらこの男らしい。  命令することに慣れた自信満々な態度といい、恵まれた体格といい、典型的なアルファだ。  そんな男から逃げるように距離をとっている後ろ姿は――オメガ?  ぱっと目をひく綺麗な長い髪をしているから一瞬背の高い女の子かとも思ったけど、その割には骨格がしっかりしているし、ここは男子校だから男で合ってるはず。  オメガはアルファより数が少ないこともあって、ここに入学するまでほとんど関わりを持たなかった。せいぜいが母親くらいだ。  それでも後ろ姿からでもわかるほど繊細で儚げな印象と、アルファらしき男が発した内容からオメガだと断定する。  ここ、大噛(おおかみ)学園はアルファが自分のオメガをみつけるためにつくられた機関だ。  入学を許された少数のアルファのために、全国からたくさんのオメガが集められている。  けれど、そんなふうにアルファがオメガを選べる仕組みだとしても、相手の意思は尊重するべきだろう。  タフなアルファとちがってオメガはとても繊細だと聞くし、そもそもその気のないオメガにアプローチするのならもっと慎重な方法をとった方がいいと思う。  悪い見本のようなアルファが何かしでかしやしないかとハラハラ見守っていたら、それまで沈黙を保っていたシズクというオメガが口を開く。 「ホムラ様。何度も申し上げていますが、私はどこかの群れに属するつもりはありません」  しっかりとした受け答えだった。  オメガでなくとも、あんなに迫力のあるアルファを相手にしたら怯みそうなものなのに、シズクは怯えるでもなく冷静を保っている。  そんな勇ましい態度に、ホムラと呼ばれたアルファの眉間に皺がきざまれた。 「なにが不満なんだ。俺以上にお前に相応しいアルファなんてここにはいないぞ」 「相応しい……というのは、どういうところをおっしゃっているのでしょうか? 外見? ホムラ様は私のことを大してご存知ではないですよね」  すらすらと飛びでる容赦のない言葉たち。まさかの反論にごくりと息をのむ。  他のバース性に比べ、オメガは大人しい気性でか弱い、というのが俺の認識だった。  実際に接触する機会はほとんどなかったため知識に偏りがある可能性はあったけど、まさかこんなところでこうも見事に誤りだと気づかされるとは。  呆気にとられているあいだに、気がつけばホムラがシズクを壁際へ追い詰めていた。 「これだけ目をかけてやっているってのに、お前はいつもそうだな。いったい俺にどうしろっていうんだ?」  逃げ場をなくてし一瞬怯んだ様子をみせたものの、シズクはすぐに挑むようにホムラを見据える。 「……私のことはどうぞ構わないでください。ホムラ様にはすでに十分過ぎるほどオメガがいるではありませんか。そちらに少しでも目を向けられてはいかがですか」 「群れのオメガは向こうが望むから入れただけで、俺が望んで迎えたいのはお前だけだ」 「もう、話になりません……」  絞りだすようにそれだけ言うとシズクは俯いてしまう。  肩を震わせる彼を見ていられなくなった俺は、中途半端に浮かせていた腰を持ちあげると近くにあったビニール袋を小さく纏め、下にいるアルファの足もとめがけて投げつけた。  その後すぐさま二人のそばに着地する。 「!? なんだッ」  突然のことに動揺するホムラを尻目に俺はシズクの腕を掴む。 「え……っ?」  状況を理解できずにいるシズクが驚いたような声をあげたけど、構わずその手を引いて走りだした。  屋上を出て階段を下り、ひたすら廊下を走ってひと気のないところまで来たところで、シズクが足を縺れさせながら苦しそうに声をあげる。 「はぁ、はぁ……待ってっ。……待ってください……っ」  その必死の静止に、俺は足を止めてシズクをふり返る。  多少気を遣って走ったつもりだったけど、アルファとオメガの体力差は予想以上にあったらしい。  失敗した。 「突然すみません……。大丈夫ですか?」  掴んでいた腕を解放し反省しながら尋ねると、シズクは上半身を前に倒したまま何度か頷く。  息を調える彼の首もとからは赤色のタイが垂れていた。  赤、ということは相手は二学年上で三年生ということになる。 「――もう、大丈夫です」  そう言って顔をあげた先輩と目が合うなり、俺は呼吸を忘れる。  美人だろうことは後ろ姿だけでもなんとなく感じとれていたけど、改めて向きあった彼は俺の予想を遥かに超える美貌の持ち主だった。  なるほど、と納得する。  シズク先輩があれほどしつこく追い回されていた理由がわかったような気がした。  この人は見目がいいオメガの中でも飛び抜けて容姿が整っているんだ。  つやつやと輝く白銀の長い髪に、陶器のように白く滑らかな肌。髪と同じ色の睫毛から覗くアイスブルーの瞳はとても印象的で、儚げなのにしっかりとした意志の強さが窺える。  男らしいというよりは中性的で、けれど女性っぽいわけでもない。  多分、天使というものがこの世に存在したならきっとシズク先輩のような姿をしているんじゃないかと思った。  すっかり見惚れていると、どこか遠慮がちに見上げられる。 「あの失礼ですがあなたは?」 「ええと……。俺はたまたまあの場に居合わせただけ、だったんですけど、先輩が困ってるように見えたのでつい手を出してしまいました。もし余計な真似だったらすみません」 「っそんな余計なんてことは……。助けていただいてありがとうございます」  しどろもどろになっていると、間髪いれずに否定される。それから丁寧なお辞儀と一緒に礼を伝えられた。  ふんわりと微笑みを浮かべていたシズク先輩だったけれど、なぜかふとその表情が憂いを帯びる。  長い睫毛がそっと伏せられた。 「β(ベータ)クラスの方ですよね? もしかして一年生ですか?」 「え? いえ。はい……?」  確かに一年ではあるけれど、ベータ??  思いがけない問いに戸惑っていると、シズク先輩が「やっぱり」とつぶやいて肩を落とした。 「入学したばかりなら知らなくて当然ですが、先ほど私と一緒にいたのは三年のアルファで、ホムラ・レンジョウ様とおっしゃいます」 「へえ。そうなんですね」  ホムラ様、と呼ばれていたアルファの姿を思い出す。  彼もやはり三年生だったのかと納得していると、シズク先輩の表情がいっきに暗くなる。 「ホムラ様はアルファの中でも特に気難しい方なんです。さっきの件であなたが目をつけられていないといいのですが」  俺の心配をして、申し訳なさそうに視線を落としているシズク先輩はきっと優しいひとなんだろう。  だけど今はアルファに目をつけられたことよりも気になることがある。  確かに俺は、アルファの中のアルファといった風貌のホムラ様に比べ貧弱な体つきをしているかもしれない。  フェロモンが薄いとも言われるし、入学してひと月以上経つのにいまだ自分の群れすらつくれていない。  それでも。そうだとしても。  俺はベータではなくアルファだ。 「私は三年のシズク・ハナサキです。ホムラ様のことで何か困ったことがあったら、どうか私を頼ってください。微弱ながら力になりますので」 「あの……シズク先輩?」  誤解を正そうとするも、シズク先輩は腕時計に視線を落とすなり「いけない」と顔色を変える。 「申し訳ないのですが、今は時間がなくて。お礼にはまた改めて伺わせてもらいますね。ではまた」  訂正する暇もなく、シズク先輩は深々とお辞儀をすると走り去ってしまった。  

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